ヒューマナイガンは妊娠できる

吉良利休

プロローグ:トリプルメイド

ピンクの花と紫の花と銀の花が店頭で売られていた。どれも綺麗な花だった。

どれか一つを選べと言われたら、きっと君は迷うことだろう。

僕は財布に余裕があったので、全部買った。


花が心を持っていなかったならば、お話はここで終わりだったのだけど。


───────(1)───────


 居間からキャッキャッと甲高い声がかすかに響く……いつものことだ。


 その時、僕は書斎でファイルをいくつか漁りながら、役人向けの報告書に目を通していた。……報告書の内容と事実が著しく異なっている。いくら能無しの役人たちといえどもこの間違いに気が付かないほど間抜けではないだろう。役人に対する不正な報告は社会的な死を意味する。報告書の提出期限は月曜日。月曜までに何としてでも報告書を正しく修正しなければならない。僕は報告書をファイルに戻しながら修羅場を覚悟した。


 コンコン。かわいいノックの音の後にドアが開き、一人張り詰めた空気が廊下に逃げていく。書斎に入りこんだのはメイドのマルカだった。


「ヒカルさん、そろそろテレビで金曜の映画が始まるよ」

「わかった、今行く」


 金曜の夜は家族皆で居間で映画を鑑賞するのが、いつの間にか我が家の習慣になっていた。家族の団らんというのは円滑な家庭生活を送る上でとても重要な事項である。どんなに忙しい時期でも最低限の時間を確保するべきだろう。何、間に合う。土日を犠牲にすれば映画を見るぐらいの時間は確保できるはず。


「今日は何の映画だ?」


 僕は散らばった書類を整理しながらマルカに尋ねた。


「『トリプルメイド』っていう恋愛映画だよ」

「トリプルメイド……ああ、あれか。懐かしいな」

「見たことあるの?」

「もちろん、あるとも。君だって見たことあるはずだ」

「うん?」


 マルカが首を傾げる。


「そうか、君は覚えていないのか……。まあ、タイトルで思い出せなくても、見れば思い出せるかな。かという僕も、肝心の内容は全く覚えていないんだけど」

「新聞であらすじは読んだよ。2038年の映画で、三人のメイドが一人の主人を取り合う話だって」

「ああ……そんな話だったな」


 僕が床に散らばった書類を片付けているあいだ、マルカはぼんやりと僕の行動を観察していた。彼女はこの家で誰よりもメイド仕事に熱心だが、片付けや掃除には進んで手を付けようとはしなかった。もちろん床に散らばっている書類には大事なものもあるから、あまり触られたくもないのだが、かといって彼女の前で這いつくばって一人で書類を集めるのもあまり気持ちのいいものでもなかった。『手伝う気がないならあっちに行け』という気持ちを込めた視線をマルカに向けると、彼女はニヤリとただ笑みを返すだけで、ドアの前から動こうとしなかった。


───────(2)───────


「あら、旦那様。何しにいらっしゃったの?」


 書類の片付けが終わってマルカと共に居間に向かうと、トロツキーネに冷たい言葉を投げかけられる。


「そりゃあ、テレビを見に来たに決まっているだろう」

「いいご身分ね。こっちはやっと夕食の後片付けが終わったところよ。何か労いの言葉はないの?」

「ご苦労」


 僕は流すように労いの言葉を述べると、トロツキーネが不満そうにため息をついた。


「全くもって気持ちがこもってないわね。そんなんじゃ小指の疲れも取れないわ」

「そうかい。そうだ、トロツキーネ。君は今日の映画を見たことあるか?」

「ん?これから見るのよ。まだタイトルも知らないわ。なんて映画?」

「『トリプルメイド』というらしい」

「へえ。タイトルから察するにメイド物ね。どうせあれでしょ、いじわるな主人がその立場を利用してメイドにあれやこれやと破廉恥なことする感じの映画なんでしょ?よかったわね旦那様。今日は旦那様の好きそうな映画で、ねえ」

「君はそういう妄想が大好きだな。頼むから映画の途中で雰囲気をぶち壊すような予想をするんじゃないぞ」


 僕がテーブルにつくと、トロツキーネがチャンネルを切り替えるためにテレビに近づいてダイヤルをぐりぐりと回し始めた。分厚いテレビの中の歯車が音を立てて回りだしてノイズとともに映像が次々とかわる。ハイテクな時代に生きている読者にはピンと来ない光景かもしれないが、この時代のテレビはブラウン管を載せた大掛かりな歯車式装置である。かなり重いので、家にテレビを設置するときは最低でも大の男二人が必要だ。


───────(3)───────


 お盆を持った小柄な少女がキッチンからやってきた。レニッコだ。


「お茶を淹れましたわ。ご主人、どうぞ」

「ありがとう、レニッコ」


 僕はレニッコから湯のみを受け取り、チャンネル調整に苦労しているトロツキーネに話しかける。


「ほら見ろよ、トロツキーネ。真面目に働いている相手にはこうやって自然とお礼の気持ちが口から出てくるんだよ。君は誠意が欠けている」


 トロツキーネがダイヤルを回す手を止めてじろりと僕を睨んだ。


「おやおや。テレビ相手にがんばっている健気なメイドを見て何か言うこと無いのかしらねえ」

「テレビの上のアンテナも適当に動かしてみるといいよ。ダイヤルは頼りにならないときは本当に使えないから」

「へえ、そう!旦那様は本当に頼りになるわねえ。そこまで詳しいならこっちに来て手伝えばいいのに」

「家電はメイドの領域だろう。チャンネルの切り替えぐらい一人で出来るようになりなさい」

「ああもう……。マルカ!呑気に座ってないで手伝いなさいよ。あんたもメイドでしょうが」


 トロツキーネの苛立ちの矛先がマルカに向く。彼女の言うとおり、マルカは呑気に茶をすすってテーブルの上に置いてあるせんべいをパリパリと食べていて、指摘された後も悪びれる様子もなかった。


「メイドじゃないよ。私はヒカルさんの妻だよ」

「……毎度のことだが、君を妻にした覚えはない。働かざるもの食うべからずだぞ、マルカ。メイドの仕事くらいちゃんとやれ」

「ちぇっ」


 僕がせんべいが盛った皿をマルカの手の届かないところに動かしながら注意すると、ようやくマルカはしぶしぶと立ち上がってアンテナの調整を手伝ったのだった。マルカの勘が良かったのか、さっきまでノイズの酷かった映像がみるみると鮮明になっていく。


「あっ、手を止めてマルカ。やっと綺麗に映った」

「トロツキーネちゃん、それ違うチャンネルだよ。ほら、目盛りがA9チャンネルを指してる」

「もうこれでよくない?ダイヤル回すの飽きたわ。丁度旦那様が好きそうな番組が映っているし」


 トロツキーネがニヤリと笑って僕に視線を向けた。テレビの中では水着を着た女の子たちがビーチボールを持って飛んだり跳ねたりしている。こうやって事あるごとに僕をからかうのがトロツキーネの楽しみだった。


「別に好きじゃない」


 そう言って僕はぷいとテレビから目を背けたので、トロツキーネは嬉しそうにくすくすと笑った。その間に、テレビの映像がザーッとノイズまみれになった。マルカがダイヤルを回したからだ。


「私はこんなのより映画が見たい。ダイヤルは私が回すよ。トロツキーネちゃんはアンテナの微調整お願い」

「はいはい」


 そう言ってトロツキーネはひとしきり楽しんだあと、アンテナの調整係に徹するのだった。

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