ヒューマナイガンとのキスについて2
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窓から注がれる夕日が眩しい。僕はあれからずっと机の前に座っていた。古史さんが急いで書き上げた報告書を眺めて、二人で文章を添削しながら報告書を仕上げていったのだ。当の報告者として僕が内容面から、そして古史さんは文章の構成面から。二人で小一時間ほど言い合った後、最後に彼は鉛筆を窓の外にぶん投げた。
「よっしゃ、終わりだ。ああ、本当に最悪な日曜日だった」
「恩に着るよ。報酬の振込はいつもの口座でいいんだよね?」
「そうだよ。もう休日にやってくるなよ糞野郎」
ドアをノックする音が聞こえた。メイドが盆を抱えてやってきた。
「あの、お茶のおかわりは……」
「やあ、ハニー!もうそんなことはしなくていいんだよ!仕事は終わったからね」
「そうでしたか。今日もお疲れ様です」
僕は書類をカバンに詰めて帰る支度をした。メイドが机に近づいて湯のみを片付けようとする。すると、古史さんは彼女の手をとって、抱きつき、いきなり貪るようなキスを始めた。僕はぎょっとして全身がかたまるのを感じた。メイドはやっとのことで唇を離して、か細い声で抗議をした。
「駄目ですよ。お客様が見ています……」
「全くだ」
僕は彼女を援護するように独り言を言うと、古市さんが僕をギロリと睨んだ。
「仕事は終わりだ。そしてここは俺の家だ。俺の家で何をしようが俺の勝手だろう。……さあ、俺たちは今から休日を取り戻さないといけないんだ。軽間君はさっさと出て行きたまえ」
「はいはい、お邪魔しましたっと」
そう言って僕はカバンを閉めてさっさと部屋から出て行く。メイドが僕を見送ろうとついてきたが、それも古史さんに止められていた。服を脱がされそうになっているメイドに目を背けながら、僕はドアをバタンと閉めて事務所を出て行った。僕は動揺を顔に出さないように努めていたが、荒ぶった心臓を止めることまでは出来なかった。迷惑だ、と僕は思わずにいられなかったが、休日に仕事を持ち込んできた僕にそれを言う資格は恐らくないのだろう。
全て見なかったことにしよう。僕は早足で帰ることにした。
帰り道もまた、公園の側を通った。昼間に比べて公園に居る人は明らかに減っていた。どのベンチを見ても熱いキスを交わしているカップルしか見かけず、いくつかのボールが公園に放置されていた。当然ながら、カップルは全員人間とヒューマナイガンのペアで、人間同士のカップルなど皆無である。僕はそんな爛れた公園からも目を背けて、ただただ家を目指す。
古史さんの行動を見ても、爛れた公園を見ても、嫌気がする。嫌気はするが、同時に納得もしていた。これがこの国の休日なのだ。僕が生まれるずっとずっと前から、世界はこうなっているのだ。
───────(4)───────
空が暗くなってきた。僕は自分の家の前に辿り着く。一軒家。僕の年齢には不相応な広い家で、小さいながらも庭もついている。個人的にはもっと小さい家のほうが好きなのだが、ヒューマナイガンを三人も飼っているとそうもいかない。
「ただいま」
「おかえりなさい!」
玄関に入ると、パタパタとスリッパを履いた足音を立てながらマルカが出迎えてくれた。エプロン姿で、右手にはおたまを持っていた。僕は無言でカバンを渡す。
「今日の夕食は?」
「サラダとハンバーグとミネストローネです」
「上出来だ」
僕は革靴を脱いだ。マルカはおたまとカバンを両手に持ったまま、その場で何かを待つように立ち尽くしていた。
「……何?」
「えーっと、おかえりのキス……とか」
マルカは頬を染めておたまを振り回した。僕は公園の景色がフラッシュバックして何ともいえない気持ちになる。
「そんなものはないよ。なんで僕が君にキスをしないといけないんだ」
「もう、ヒカルさんはすぐそういうこと言う……。私はヒカルさんの妻なのに」
「結婚した覚えはないな」
僕がそう言い捨てても、マルカはニコニコと微笑むだけだった。彼女が僕の妻宣言をして、そのたびに僕が否定するのが、いつのまにか恒例のやりとりになっていたからだ。
───────(5)───────
右手におたま、左手に僕のカバンを持つこのメイドの名前はマルカ・ルクスという。ピンクの髪が特徴的なヒューマナイガンだ。
彼女についてとりたてて述べることはないが、強いて挙げるなら少し抜けている所がある。それとやたらと僕の妻を自称したがる。そのたびに人間とヒューマナイガンは結婚できないという話をするのだが、それを理解した上でやはり彼女は僕の妻を自称してくるのだ。
いつのことだったか、僕と彼女はこんな会話をした。
「マルカ。君のその出来の悪い脳みそでもそろそろ理解して欲しいのだが、人間とヒューマナイガンは結婚できないんだよ」
「わかってるよ、知ってるよ。それでも何度も教えるヒカルさんは、本当に意地悪な人だね」
「別に意地悪じゃないよ。単なる事実を述べているだけだ」
「それを意地悪だって言うんだよ。でもね、私は意地悪じゃないよ」
「いや、君も相当な意地悪だな。君がわかっていないふりをするから、僕は何度も同じことを説明する羽目になるんだ」
「違うよ、そうじゃないよ。結婚できなくても妻にはなれるの」
「それは事実婚とかいうやつかな」
「そういう法律の話じゃなくて、とにかく私はヒカルさんの妻なんだ」
「でも僕は認めないぞ」
「あなたが認めてくれなくても、それでも私は妻なんだ」
「なるほど、なるほど……。じゃあ、好きにするがいいさ。君が思うだけなら君の勝手だからな」
「うん、好きにするよ。ヒカルさんは何とも思っていないけど、私はヒカルさんの妻だと信じてる。だから結婚まで、あと半分だね」
そう言って彼女はミステリアスな笑顔を僕に見せるのだった。このように、彼女の頭の中には独特の世界観があるので、時に全く話が通じなくなるのだが、それでも概ね良きメイドとして僕に尽くしてくれている。しかし放っておくとすぐに家事に手を抜くので、メイドの仕事はあまり好きじゃないんだろうなと事あるごとに僕は感じていた。
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