第5話 断罪の剣

猿のネメシスの残党狩りが完了したその日の夜、シェルティアは隊長室に呼ばれた。作戦は負傷者こそ出たものの死亡した者はおらず、成功であった。だが、シェルティアが倒した最後の一体が、途切れ途切れに残した言葉が頭に居座っており、胸がざらついた。

「疲れているところすまない。そちらに掛けてくれ」

アシュレイはソファーに座るようにシェルティアに勧めた。シェルティアは疲れていたので、遠慮することなく腰を掛けた。アシュレイはシェルティアと向かい合うように座る。

「呼び出したのは今日の任務についてだ。分隊2の報告は既に聞いている。他にも分隊2の報告は部分的には聞いているが、完全じゃない。そちらはどうだった?」

「私もあまり広い範囲では見られませんでしたが…」

それからシェルティアは倒したネメシスの数と、戦って気付いたこと、そしてネメシスの不吉な言葉を伝えた。すると、アシュレイは額を指で押さえる。

「やはりそちらでもその言葉を聞いたのか…」

苦々しくアシュレイは言った。

「そちらでも、ということは他にも同じことをネメシスが…!?」

シェルティアは信じられない気持で首を振り、アシュレイは縦に首を振った。

「一体その言葉は何を意味しているのか…。お前はどう思う?」

アシュレイに問われ、シェルティアは頭の中でネメシスの言葉を思い出す。『人間の血肉が必要、人間を滅ぼす』

「…人間への宣戦布告のようにも思えました。メリッサは〝予言めいたこと〟とも言っていましたし…」

「そうか、俺にもそう聞こえた。……とにかくこれから報告書を作成して、団長に相談してみたいと思う。今夜はしっかり体を休めてくれ」

「はい。失礼します」

シェルティアはそこで立ち上がり、隊長室を後にした。シェルティアが隊長室の扉を閉めた直後、アシュレイは小さくため息をついた。



 朝の鐘が鳴る。シェルティアはまだ眠いながらも体を起こして、下のベッドにいるアンネッタを揺り起こした。いつもと変わらぬ朝がやって来た。だが、アイギスに入ってから、いつも通り朝を迎えられるということがどれだけ奇跡的で、尊いものなのかをシェルティアは思い知った。自分は今日も生きているのだ。

 アンネッタと共に混み合う洗面所へと向かう。すると方々から、

「掲示板見た? 今日の朝礼は中止だって!」

「えー、どうしたんだろ?」

という少女たちの話し声が聞こえて来た。

「…聞いた? アンネッタ」

シェルティアはそっとアンネッタに問い掛ける。

「うん…朝礼がないときは悪いことが起こったってことだから、嫌な予感がする…」

 アンネッタは表情を曇らせた。シェルティアもアンネッタと同じ思いである。そして、昨日のネメシスの言葉が勝手に思い出された。

 掲示板を見ようとエントランスへ出ると、ここも人でごった返している。おもに人が集中しているのは掲示板であった。自分たちも掲示の内容を見たいが、とてもすぐに目に入れられそうにはない。そのとき、

「シェルティア! アンネッタ!」

と横から声をかけられた。メリッサがこちらにやって来る。

「メリッサ! 朝礼がないって本当?」

シェルティアは早速メリッサに尋ねる。

「ええ。原因は…研究班のケヴィン班長と、研究班の班員達の半数以上が突然失踪したことよ」

メリッサの言葉を聞いて、シェルティアは固まる。驚きのあまり言葉も出ない。

「失踪って…どうして…!」

シェルティアの気持ちを代弁するようにアンネッタが言う。

「それは分からない。今団長の元に、残った研究班の何人かが集まっているみたいよ」

 ―気が付けばシェルティアは駆け出していた。二人が自分を呼ぶ声が聞こえたが、振り向くことはしなかった。自然と足は団長室に向いていた。扉の前に着くと、軽くノックをし、中からの返答も聞かずに扉を開けた。

「失礼します!」

中には向かい合って座る団長と研究班の班員二人、その側にはアシュレイとガレオン、そしてレイナが立っていた。

「シェルティア! 無礼でしょう!? 突然入ってきたりして!」

レイナはシェルティアを咎める。

「すみません! でも、研究班の話を聞いて…」

「副団長、構わない。シェルティアは一時期研究班の所属だった。班員たちの話を一緒に聞いてもらおう」

「ありがとうございます!」

シェルティアはほっとする。

「シェルティアはアシュレイの隣に行ってくれ」

ゲオルギウスに言われた通り、シェルティアは動いた。アシュレイの隣に行くと、アシュレイは少々呆れた視線を送って来た。シェルティアは心の中でアシュレイに謝罪をしながら、座っている研究班員達の顔を見る。二人とも自分と同じ歳くらいの少年で、名前も知らず話したこともないが、見たことのある顔ではあった。どちらも不安と緊張が入り混じった顔をしている。ゲオルギウスは班員達の方へ向き直った。

「…それで、話の続きを聞かせてくれないか?」

「は、はい! それから班長は、討伐隊と調査部隊の作戦が終わった頃に僕たちを集めて『急に国立錬金術研究所に呼ばれ、ネメシスの最新報告を知りたいと頼まれたので、出向する。夜に出発する』と言いました。そして、一緒に連れていく人たちを呼んで、それから仲間たちと共に消えたっきりです…」

「馬鹿な! 団長の私に断りもせずにそんなことを…! 副団長、今すぐ研究所に問い合わせてくれ!」

「分かりました」

レイナは団長の机の上にある、通信機を操作し始めた。その機械は早馬の代わりに発達したものであり、信号を文字と数字のボタンで文章に変換して送る。蒸気機関によって発生した電気エネルギーで帝国中の地下に埋め込まれているケーブルを経由して信号が送られ、その信号は通信機に付属されているインクで紙に印字される。受け手はその文章を読む、というやり取りである。帝国本土以外ではまだ普及しておらず、シェルティアはその通信機を初めて見た。

レイナがその作業をしている間も、話し合いは続く。

「それにしても、見張りの者たちに気付かれずにどうやって…」

ゲオルギウスは呟き、暫くしてはっとした表情になる。

「一つ…見張りにも気付かれずに出られる場所がある!」

「それは…どこですか!?」

誰よりも早く訊いたのはシェルティアであった。

「地下に…帝国騎士団がここを使っていた時代…境界戦役の時代に敵にここを占拠されたときの逃げ道として、現在の帝国軍本部のある要塞に繋がる地下道が造られた。それが今も残っている。その地下道には途中にも脱出口があり、すぐに外にも出られる仕様になっている。そこから出たとしか考えられないだろう」

「…なぜ班長はそんなことを?」

シェルティアは研究班の二人を見て尋ねるが、二人とも〝こちらが訊きたい程だ〟という表情でかぶりを振った。ゲオルギウスも眉間に皺を寄せ、そのまま目を閉じた。ここにいる誰もがケヴィンの行動の意図が分からなかった。

「団長! 研究所から返答が来ました!」

レイナが叫び、皆はレイナの方を一斉に見る。

「…それで、何と?」

「『我々はそんな話は一切聞いておらず、ケヴィン・クラート博士とアイギスの隊員たちはこちらには来ていない』と…」

「そんな! じゃあ、班長は嘘を!?」

班員の一人が立ち上がり、叫んだ。もう一人も青ざめた顔で、口を僅かに開けて驚いている。ゲオルギウスは苦々しく口を開いた。

「残念ながら、そういうことになるのだろう。…皆、今すぐ緊急の全体会議を開く。研究班の二人は一度退室してくれ。レイナは団員全員に無期限の待機命令を出してくれ。ガレオン、調査隊の隊員はどうしている?」

「十名程、帝国内東部にて、猿のネメシスがいないかを捜索しています」

「では、二名程そちらに向かわせ、その地点で待機するように早馬で伝えて来てくれ」

「了解しました」

ガレオンとレイナは足早に一旦団長室を出ていった。その後で、研究班の班員二人も、どこか力のない足取りで退室した。

「…ここにいる者は全員残るように。ガレオンとレイナが戻ったらすぐに会議を始める」

「…はい」

ゲオルギウスの言葉に、シェルティアとアシュレイは弱々しく答えた。



 団長直々の無期限待機命令を仲間づてに聞いた門番の男は、別段驚くことも無かった。何やら内部では研究班の班長と班員の半数が行方不明になったことで騒動になっているが、自分には関係のないことである。どうせ、自分たちは何が起こっても門番の仕事を続けなければならないのだから。

 アイギスに来客は殆ど来ない。専らこの門はアイギス入団希望者か退団をする者だけが通り、最近の来客としては腕の立つ新人を引っ張ってきた帝国軍のグノー少佐だけである。後は先の戦いで命を落とした団員の葬列がここを通ったことだろうか。とにかくアイギスの門番は暇な仕事である。男はもう一人の門番仲間と喋っては、毎日時間を潰しているが。それだけの毎日に嫌気が差してきた。同じ門番でも、帝国軍基地の門番の方がよっぽど様になっており、女も寄って来るだろう。なぜ自分はアイギスを選んでしまったのかと、後悔し始めていた。

「…おい、誰かこっちに来るぞ」

仲間の男が世間話を中断し、遠くに視線を向けた。男もそれにつられて目を向ける。確かに、人がこちらにやって来た。そして門の手前まで来たところで、その人物はへたり込む。やって来たのはビロード生地の紺色のドレスに黒髪をシニョンにしたツリ目の派手な化粧の女である。良い家柄の娘と思われるが、ドレスはあちこち破け、髪は乱れ、手にも顔にも小さな傷が幾つもあった。男たちは女に近付く。

「おい、どうしたんだ?」

男は女に尋ねた。女は肩で息をしながら顔を上げる。女の灰色の瞳と男の目が合った。すると、女は突然男に縋りついて来る。

「助けて! 殺される! 〝ネメシス教〟に!」

女の口から思いがけない単語が飛び出して来た為、一瞬男と仲間は固まる。

「ネメシス教? お前は一体何者だ!」

気付けば男は、女にそう尋ねた。

「…私は…ネメシス教の教祖の娘、タニア・ギルムよ…」

女は気まずそうに名乗る。

「何だと!? 貴様、ここがどこだか分かっているのか? ここはネメシスを敵とする組織だぞ! 首を刎ねられにでも来たのか!?」

仲間は鞘から剣を抜いてタニアを威圧する。だが、タニアはそれに怯える様子は全くない。

「あいつらに殺されるくらいなら、その方がマシさ! でも、そのネメシス教はあんたたちアイギスの人間も関与してるんだよ!」

タニアの叫びに男と仲間は再び固まった。否、凍り付いた。



 団長室での会議は早急に行われた。レイナは失踪した班員達の名前を次々と読み上げていく。

「…ト二ー・カーズ…」

レイナの口からト二ーの名が出た瞬間、シェルティアは体を震わせた。ここにいて欲しいと思っていたが、その願いは叶わなかった。他にも友達となった研究班の班員の名が呼ばれる度に、シェルティアは胃の奥が痛くなってきた。

「以上、五十名が失踪した団員達です」

レイナはそう締めた。

「五十名も…ケヴィンの目的は本当に何なんだ? …ガレオン、東部にいる調査隊から何か報告は無いか?」

ゲオルギウスはガレオンに尋ねる。

「残念ながら、班員達の目撃情報はありません。今はネメシスよりも班員達の情報収集を優先させております」

「それは助かる。調査隊だけでなく、討伐際も捜索に加え、広域的に捜すことにしようと思っているが、どうだろうか? アシュレイ?」

「賛成です。何も手掛かりがない以上、そうせざるを得ないでしょう」

アシュレイの言葉を聞いたシェルティアは、ぜひ自分も捜索に加えて欲しい、と口に出しそうになるのを何とか抑える。討伐任務にではないにせよ、アシュレイは私情を挟みたがらないだろう。

「では、早速人員の数と、調査担当区域を…」

「失礼します!」ゲオルギウスの声は、張りのある男の声によって遮られた。慌てた様子で入って来た隊員の腕章は黄色である。アイギスの文官のようであった。

「何だ、重要な会議の途中だぞ」

「申し訳ございません! ですがお耳に入れていただきたいことが…」

「一体何だ?」

ゲオルギウスに文官は近付くと、耳打ちをした。ゲオルギウスの表情は訝しげなものから、みるみる驚愕のものへと変わる。

「すぐに通してくれ! 直接話を聞きたい」

「了解しました!」

文官の男はそこで去った。

「団長、何があったのですか?」

「今回の団員失踪事件の詳細を知っている者が現れたそうだ」

ゲオルギウスの言葉にその場にいる者たちは全員目を見開く。暫くすると、ノックの音が聞こえて来た。

「ネメシス教教祖の娘、タニア・ギルムを連れてきました」

団員たちに前後を挟まれる形で、一人の女が入って来た。女は一見上品で貴族のような身なりだが、よく見るとあちこちがボロボロである。両手は後ろで縄に縛られ、顔は憔悴しきっている。裁きを受ける罪人を目の前にしている気分になりながらも、〝ネメシス教〟という単語が気になった。そんなものは初めて聞くが、嫌な響きである。

「…その婦人の縄を解いてやれ」

憐みを込めた目でタニアを見ながら、ゲオルギウスは団員二人に命じた。

「よろしいのですか?」

「ああ。この様子では逃げることなど無いだろうし、ゆっくり話も聞けないからな。それと、彼女に椅子を」

「は、はい」

団員は女―タニアの両手首を縛る縄をナイフで切り、自由にした。別の団員が椅子を持って来ると、タニアは遠慮する様子も無く座った。団員二人は扉の前で待機する。

「さて…ネメシスを『神の裁き』とし、ネメシスに許しを乞うことで救われるとする、所謂ネメシスを崇める宗教団体の人間が、なぜここに来たのかを説明してもらおうか」

 先程の紳士的な態度から一転、ゲオルギウスの口調は尋問めいたものとなる。タニアは一瞬びくりとし、すぐに話そうとはしなかったが、やがてゆっくりと話を始める。

「…ネメシス教は今まで、ネメシスを崇め、生贄を信者の中から捧げ、ネメシスによる救済を望んでいた。でも最近、教団はある男によってネメシスを崇めることから〝造り出す〟という目的に変わってしまった…。教祖である父も信者も、それは紙を侮辱する行為だとして反対していた。でも、あの男の巧みな言葉で信者も父も、〝神を造り出す〟という方向へ考えを変えていった。そして男は信者たちと協力して…知性を有するネメシスを造り上げた」

 タニアの衝撃的な言葉に、皆はどよめいた。

「知性を有したネメシスというのは…あの猿のネメシスのことか!?」

ゲオルギウスが問うと、タニアはゆっくりと頷いた。その瞬間、シェルティアは激しい怒りを覚える。仲間が死に、負傷したのは全てネメシス教が元凶であったのだ。すぐに立ち上がってタニアを殴りつけたくなったが、アシュレイに肩を叩かれ、目が合うと首を横に振った。アシュレイはシェルティアの気持ちを察した上で制止したのだ。シェルティアはそんなアシュレイを見て、ぐっと堪えた。

「でもあのネメシスは男曰く、『まだ試作品』と言っていたわ。男は猿のネメシスとは別に、一体のネメシスを造り上げていた。男の本当の目的はそのネメシスの完成であり、猿のネメシスは実験体でしかなかった。それでもネメシスを一から造り上げ、知性を持たせたことは大きな成果だった。そして今、男の目的であるネメシスは完成した…。信者を全て殺し、そのネメシスに養分として与えたことで! 完全に男を妄信していた父は、娘のあたしまでもをその養分にしようとして殺そうとした! だから…あたしは…逃げ出したのよ!」

 タニアはそこでうずくまり、震えた。皆は信じ難い真実に息を呑み、何も言えないまま黙ってタニアを見ることしかできなかった。

「…率直に問おう。君の言うその男とは一体誰だ?」

「…あんたたちがよく知っている、ケヴィン・クラートよ! あの男はアイギスの人間も連れて来て…信者同様に全員殺して、ネメシスの餌食になった!」

タニアは金切り声で叫んだ。

「……嘘よ」

誰も何も言えないでいた中、シェルティアは徐に立ち上がってタニアに言った。

「嘘よ! 博士がそんなことする筈がない! ネメシス教なんてものに属しているあんたの言うことなんか信じられない!」

シェルティアの言葉を受けて、タニアはシェルティアを睨む。

「嘘なんかじゃない! あたしはこの目で見たんだ! ケヴィンが自分の持っている剣で次々にアイギスの団員を殺しては、ネメシスに食べさせていたのを! あたしは最後の一人だから助かった!」

「…そんな…ト二ー…皆…」

シェルティアはあまりにも突然やってきた絶望に、どうすることも出来ず、膝から崩れた。

「…教団は、ケヴィンは今どこにいる!?」

ゲオルギウスもまた、信じ難い気持ちと怒りが混ざった表情でタニアに訊く。

「…鉄樹の森の奥にある、昔の精霊信仰のときに使われていた精霊堂さ。ケヴィンは信者に自分の実験室を作らせた。それがこの結果よ」

「鉄樹の森だと…!? クソッ、だから猿のネメシスはあそこに…! もっとネメシス教を警戒しておけば…!」

ゲオルギウスは顔を憤怒の感情で赤くさせ、自分に対しても怒る。その場はまた沈黙する。シェルティアは茫然自失のままであった。

「…団長、今すぐケヴィン・クラートの追跡、及びケヴィンが造ったとされるネメシスの討伐任務作戦を提案します」

レイナは静かに言った。冷静を装ってはいるが、レイナもまたその表情の裏に怒りとやるせない気持ちを潜ませていた。

「…ああ、そうだな。取り乱してすまなかった」

ゲオルギウスは一度頷くと、立ち上がる。

「この場にいる討伐隊、調査隊隊長及び副隊長に告ぐ! これから鉄樹の森奥地へ向かい、ケヴィン・クラートの確保、そして新たなネメシスの討伐を命ずる! …今それが、我々に出来ることだ!」

ゲオルギウスの言葉の最後でシェルティアは我に返り、今自分がすべきことを徐々に自覚していった。



 討伐隊の待機室では、アシュレイの口から粛々とタニアから聞かされた真実が語られた。皆が驚愕したのは言うまでも無く、中には乾ききった笑みを浮かべる者もいた。人は自分の想像を上回る絶望に出会うと、笑みが勝手に出てしまうものなのである。

「…タニア・ギルムの証言が真実かどうかは分からない。真偽を確かめる為には鉄樹の森の奥にある精霊堂へ向かわなければならない。そしてもし…タニアの言うことが本当ならば我々は全力でケヴィンの企みを阻止し、ケヴィンが造り出したというネメシスを倒さなければならない。今回の作戦は生存者の救出も含め、大規模なものになると想定される。昨日討伐に出た者は、全員出撃する!」

アシュレイの命令に皆は普段と同じ返事をした。動揺せずに答えたのは、そのような事態に慣れているのではなく、反射的に答える様に身に染み付いている為であった。

「あのクソジジイ…! もしその女の言うことが本当だとしたら許さねえ…!」

 両の拳を硬く握りしめながら、スタンリーは怒りを露にした。

「信じられないよ…せっかく仲良くなれたのに…!」

アンネッタは、涙声で戸惑いを口にする。シェルティアは二人の言葉を聞きながら、防具の留め具を引っ掛けようとする。だが、うまく留められない。一度留め具から手を話すと、自分の手が震えていることに気が付いた。そのとき、メリッサが近付いて来て、シェルティアの留め具を留めた。メリッサの行動にシェルティアも、傍にいたスタンリーとアンネッタも驚く。メリッサはじっとシェルティアの目を見た。

「気持ちは分かるけど…しっかりしなさいよ! あんたは副隊長なんだから!」

「おい、てめえ、シェルのことも知らねえで!」

スタンリーはメリッサに突っかかりそうになる。シェルティアはそれを、片手を伸ばして制止した。

「待って! …ありがとうメリッサ。メリッサの言う通り、皆が混乱している中、副隊長の私が冷静にならないとね…」

「…分かってるんなら良い。でも、どうしても辛いときは仲間を頼るのよ? …あたしはあんたがいてくれたから、あのとき話を聞いてくれたから立ち直れたんだから」

メリッサの言葉にシェルティアは頷いた。そして、スタンリーとアンネッタを見る。

「もし私が取り乱す様なことがあれば、バックアップをお願い。二人は親友であると同時に、頼れる仲間なんだから」

「当然だろ! どんどん頼ってくれよな!」

「私も出来る限りのことをするよ! むしろこっちこそ、何かあったときはよろしくお願いするね」

スタンリーとアンネッタが笑顔で答えたのを見て、シェルティアは少し、胸の中にある重みが軽くなった。あとは、この目で真実を確かめるだけである。

「…行こう。一刻も早く、鉄樹の森へ」シェルティアが言うと、三人は頷いた。



 馬小屋で馬を引く隊員たちの足取りはどこか重そうに見える。それに追い打ちをかけるかのように、晩秋の冷たい風が吹き付けて来る。シェルティアはメリーを引いて小屋から出す。隊員たちの空気を察したかのように、どこかメリーも元気がなかった。

「大丈夫よメリー。あなたはいつも通りに私を導いてね」

シェルティアが鼻筋を撫でると、メリーはいつものように鼻を鳴らした。

「待って下さい!」

そのとき唐突に、慌てた様子の青年の声がした。それはジュードである。しっかりと防具を身に付け、腰の鞘には剣も差さっている。ジュードはアシュレイの前に立った。

「どうしたジュード、お前の怪我はまだ治っていない筈だ。出撃は認めない」

 にべもなくアシュレイはジュードに言い放つ。

「それは分かっています! ですが…俺も出撃させて下さい! 身内に裏切られて、黙ってベッドの上で過ごすことなんてできません!」

ジュードはアシュレイに負けじと、鬼気迫る表情で詰め寄った。

「手負いが一人いるだけで、チームの負担はより重くなるんだ。それが分からないお前ではないだろう?」

「ええ、それも分かっています。ですが…仲間が大変な目に遭っているというのに、その仲間の力になれないのは嫌なんです! …後生ですから、出撃を認めて下さい!」

 ジュードの発言に、周りで一部始終を見ていた隊員たちは皆目を丸くしていた。アシュレイとジュードの間には暫しの沈黙が降りる。すると、アシュレイの顔は僅かに穏やかなものとなった。

「…やっと、お前はアイギスの一員になれたんだな。分かった。特別に出撃を許可する。だが、無理はするなよ。アンネッタ! ジュードが無理をしないように見張っておいてくれ」

「は、はい! 分かりました!」

アンネッタははっとした表情で答えた。アシュレイを始めとした討伐隊は、全員馬に乗り込む。

「鉄樹の森には知性を有したネメシスがいる可能性もある。いつも通り、最後まで気を緩めるな! 出撃!」

 鬨の声と共に、馬列は動きだした。



 討伐隊の後には調査隊も続いた。舗装された道から土がむき出しの道に出て、白と赤の家々の街並みから徐々に田園風景に変わって行く。風を切って馬たちが走る中、黒々とした森が見えて来た。馬列はそのまま鉄樹の森の中へと入る。今日は今にも雨が降り出しそうな曇り空であり、元々日の差さない森はそこだけが夜のようである。

「ネメシスだ!」

前方から誰かの叫び声が聞こえて来た。やはり、ネメシスに待ち伏せされていたらしい。シェルティアは手綱を握る手に力を込める。ふとそのとき、視界の端に鈍く光るものが見えた。シェルティアは反射的に手綱を動かす。

「きゃあっ!」

メリーの足元に斧が刺さった。猿のネメシスが投げたものである。ネメシスがいると分かってはいても、冷や汗をかかずにはいられない。

「調査隊はこれより、ネメシス討伐隊への追撃を食い止める! 討伐隊は前へ進め!」

「討伐隊! とにかく精霊堂まで突っ切るぞ!」

ガレオンとアシュレイが叫ぶ。元より鉄樹の森に入ってからは、調査隊がネメシスの足止め、討伐隊が精霊堂へ向かうという作戦であった。討伐隊全員が精霊堂まで辿り着くのは、後は運任せである。

(皆が無事に、この黒い森を抜けられますように――!) 

メリーの走る速度を上げながら、シェルティアは心の中で強く祈った。

 森を駆けていく中で、何度もネメシスの投躑攻撃に遭う。だがシェルティアの意思が直に伝わっているかのようにメリーは見事に避けて見せた。こんなに賢い馬は見たことがない。その一方で、途中ネメシスの攻撃により落馬した者も見る。シェルティアは立ち止まりたかったが、その者たちと目が合う度に、

「構わずに前に進んでくれ!」

とうずくまり、痛みに顔を歪ませながらも叫ぶのである。シェルティアはそれに対して「気を付けて!」という声しか掛けられなかった。副隊長だというのに、という歯痒い気持ちと、一刻も早く真実をこの目で確かめたいという気持ちの狭間をシェルティアは彷徨っていた。

 決死行の中、黒い空間の頭に白い尖塔が見えて来た。―精霊堂である。やがて木々の間にある小径を抜けると、開けた場所に出た。その中央には何百年たってもなお色褪せない、白亜の精霊堂が聳え立っている。

元来この国、否この大陸は、神と神の使いである精霊を信仰していた。太陽と月の神々がおり、石には石の精霊が、木には木の精霊が宿っていると信じられていた。その信仰が禁止されたのは境界戦役以降、ミネア帝国が統治を始めた頃である。帝国は周辺諸国に、皇帝ゲルトこそ現人神であり、ゲルトのみを讃えるという〝ゲルト教〟を無理やり導入した。それから精霊信仰は衰退し、人々は万物に畏れを抱かなくなった。この精霊堂は森の精霊たちを奉る為の建造物である。ゲルト教に蹂躙されただけでなく、ネメシス教という忌々しく邪悪な宗教に利用されるとは、何とも不憫であった。馬を一ヶ所に寄せ、手綱を木に結び、シェルティア達は皆と合流する。

「隊長! 無事にここまで来られたのは!?」

真っ先にシェルティアの口から出た言葉がそれであった。

「六十名出撃して、約一割が脱落したとみている。…後は調査隊に任せて、今はこの精霊堂に突入する」

「…分かりました」

シェルティアはそこでアシュレイから離れた。今はあくまでも任務遂行が先である。自分は殿として、副隊長として隊員たちの背中を守らねばならないのだ。今はそう自分に言い聞かせ、脱落した隊員のことは考えないようにした。

 隊列の後ろへ行くと、アンネッタが青白い顔をしているのが見えたので、慌てて駆け寄った。

「アンネッタ、大丈夫?」

シェルティアが声をかけると、アンネッタははっとして薄い笑みを見せた。

「大丈夫だよ。ただ…この中に入るのはちょっと怖いかも…」

「それなら無理しないで、ここで待機した方が…」

「大丈夫だよ! 私だって…怖いけど討伐隊の一員なんだから!」

「アンネッタのことは俺が守る。だから、副隊長は任務に集中してくれ」

二人のやり取りを傍で見ていたジュードがそう言って来た。

「私がジュードのサポートをする筈だったのに…」

「ならば、互いが支え合えば良い。俺は医務室にいる間、アンネッタに支えてもらった。それが仲間だよな?」

ジュードの問いに、シェルティアは深く、ゆっくりと頷いた。



 アシュレイは古めかしい木の扉を僅かに押してみた。すると、キイという軋んだ音を立てて扉が開く。

「鍵は掛かっていない…中にケヴィンがいる可能性は高いな。全隊員に告ぐ! これより精霊堂の中へ突入する! より気を引き締めろ!」

アシュレイのその合図により、隊員たちは精霊堂の中へと入る。

 扉から先にはまず長い廊下が会った。壁にかかっている松明には火が点いており、足元の心配は無かった。廊下をそのまま直進すると、下へ降りるだけの階段があった。ここまで何か罠があるのかとシェルティアや隊員たちは構えていたが、精霊堂の中は森閑としており、物音といえば隊員たちの足音だけである。ただ何となく、シェルティアには血の匂いが微かに空気の中に混ざっているような気がした。階段を下りていくと、また木の扉があった。他に扉は無く、入れるのはここだけのようである。アシュレイは躊躇うことなく、ゆっくりと扉を押した。

 花崗岩の何の造作も施されていない石の床。鮮やかな緑を使い、木々を表したステンドグラスが壁の周囲にはめ込まれている。そして、本来祭壇がある場所には―。

「ひいっ!?」

隊員の数人が怯えた声を上げた。シェルティアも室内を見た瞬間に目を大きく見開く。暗い床には自分たちと同じ制服を着ていた者達の手や足が千切れて、まるで野犬が食べ散らかした肉のように捨て置かれていた。完全な人間の姿をした者は、部屋の中央にいるケヴィンだけであり、ケヴィンの後ろにある森霊の祭壇があった場所には、巨大な筒状のガラス容器に青い液体が満たしている。中には全身真っ白な羽毛に包まれた女体と鳥の翼をくっつけた、異形の生物が目を閉じてじっとして立っていた。

「これが…ネメシスなの…?」

シェルティアは思わず口に出してしまった。シェルティアの言葉を聞いたケヴィンは、実に嬉しそうな笑顔を見せた。

「そうだ、これこそが究極のネメシス、ユーフォリアだよ!」

ケヴィンの答えを聞いて皆固まる。タニアの言っていたことはやはり真実であった。

「てめえっ!!」

ケヴィンに今にも斬りかかりそうな、青筋を立てたスタンリーを制したのはアシュレイであった。

「ケヴィン、いくつか訊きたいことがある」

「何かね? 討伐隊隊長殿」

「まず…研究班の班員達を自らの手で殺し、そのネメシスに食わせたのは本当か?」

「ああそうだ。彼らには聖なる生贄となってもらったよ。世界の新たな頂点に立つ者の一部になれて、彼らも喜んでいるだろう!」

ケヴィンは恍惚とした表情で答えた。その罪悪感の一つも無いケヴィンの姿を見たシェルティアは、怒りの臨界点に達しようとしていた。自然と手は鞘に収まったままの剣の柄にかかっていた。

「…ここにいたネメシス教の信者はどうした? お前はネメシス教の教祖と知り合いだったのだろう?」

「愚問だなアシュレイ。彼らもまたユーフォリアの生贄となったに決まっているだろう。今日そのゴード・ギルムとて例外ではない。ゴードには逃げた娘の代わりとなってもらったよ。まだ聞きたいことはあるかね?」

「…もう一つ、最後の質問だ。お前はなぜこのネメシスを造った?」

 ケヴィンはその質問にすぐに答えを言わず、アシュレイたちに背を向けた。そして、ユーフォリアがいるガラス容器へと歩き、そっとそれに手を触れた。

「…僕は、カリアス王国の国境の街に住んでいた。牧場を営む平凡な家庭だったが、それなりに幸せな生活を送っていた。だが、僕が十代半ばのある日、帝国軍の脱走兵が僕の家に強盗に入り、家族は僕以外、全員殺されたよ。…勿論、帝国の植民地に住む僕がそいつを裁く権利を持つ筈も無く、奴の罪は脱走罪だけの軽いものだった。…それから僕は誓ったのだよ。帝国全てに復讐をね」

「…その復讐の道具として、そのネメシスを造ったというのか?」

「道具だと…? 口を慎め!」

突然怒りの形相となったケヴィンに、アシュレイたちは困惑する。だが、すぐにケヴィンは笑顔に戻る。

「ああ失礼、取り乱してしまったね。…くくっ、帝国に復讐ということも勿論だ。だが、帝国が滅んだ後はどうなると思う? 想像してみたまえ。人の歴史は戦いの歴史だ。帝国が滅んだ後は再び境界を巡って戦争となり、また新たな帝国が出来るだろう。同じことを繰り返すとは、ヒトとは何と愚かな生物なんだ! そんな愚行を止めるにはどうすれば良いか? 人間を滅ぼし、ネメシスが生態系の頂点となって新しい世界を造り出す。…それが僕の目的だよ。ユーフォリアはその新世界の頂点の始祖だ。ユーフォリアこそ神聖な存在なのだよ」

 ――狂っている――シェルティアはケヴィンに対してその言葉しか出なかった。そして、同時にネメシスの正体を知り皆は愕然とする。シェルティアは隊員たちを掻き分けて、アシュレイよりも前に出る。

「…言いたいことはそれだけ?」

シェルティアは鞘から剣を抜いた。

「おおシェルティア! 懐かしいねえ。君も随分と強くなったものだ。…だが、その剣で僕を殺すことは出来ても、ユーフォリアには敵わないだろう」

「思い上がるのもいい加減にして! そのネメシスは私達が必ず倒す!」

シェルティアはケヴィンに吼えた。だが、ケヴィンの笑い声は一層大きくなる。

「では、そろそろ目覚めてもらうとしよう…ユーフォリアよ!」

ケヴィンが素手でガラス妖気を叩き割った。容器には容易にヒビが入り、青い液体が溢れ出る。

 白い羽毛に包まれた女体に、人間の女の顔をした、翼を持つネメシスがゆっくりと目を開いた。その金の瞳は猛禽類を思わせ、女神を想起させる程の美しい顔立ちをしている。身長は二メートル程あり、両足はそれこそ鳥そのもので、〝鳥の女怪〟という響きがぴったりであった。

「さあ、ユーフォリアよ。この者たちを存分に食らうが良い!」

ケヴィンは陶酔しながらユーフォリアに命じる。ユーフォリアは何も言わず、ケヴィンを睥睨した。

「そして―」

ケヴィンはユーフォリアを見上げながら何かを言おうとした。だがその瞬間、口を大きく開き、肉食獣のような牙を見せると、そのままケヴィンの頭部ごと食い千切ってしまった。

「きゃあああ!」

何人かが悲鳴を上げる。ケヴィンの体はそのまま首から上がないまま力無く倒れた。ゴリゴリと嫌な音を立てながらユーフォリアは口の周りを赤くして咀嚼する。

「シェルティア! 下がれ!」

アシュレイの叫び声にシェルティアははっと我に返り、ユーフォリアから離れようとした。だがユーフォリアは素早く飛び立つと、足の鉤爪を出し、シェルティアを狙って来た。シェルティアは何とか剣で受け止める。

「くっ…この!」

シェルティアは鉤爪を押しのけると、ユーフォリアはあっさりと離れ、背中にある翼で羽ばたいた。ひろい天井をユーフォリアは縦横無尽に飛び回る。

『我は人間どもを食らいつくす者…次の贄は誰だ?』

猿のネメシスとは違い、美しい女の声ですらすらとユーフォリアは喋った。

「誰がてめえの餌なんかになるかよ!」

スタンリーは銃を取り出し、ユーフォリアに狙いを着けて引き金を引いた。ユーフォリアは優雅に飛び回り、弾丸を避ける。ユーフォリアはにやりと笑い、その笑顔を見たシェルティアはぞっとした。今までのネメシス以上に、こいつは怪物なのだ、と認識する。余裕を見せて飛び回っていたユーフォリアであったが、スタンリーの銃の腕はユーフォリアの想定以上であった。片翼を被弾し、バランスを崩す。

「ざまあねえな!」

スタンリーはにやりと笑う。すると、ユーフォリアは大口を開けてその場でホバリングする。シェルティアはユーフォリアの口の奥に注目した。

「っ、気を付けて! あいつの喉の奥に銃口のようなものが見える!」

シェルティアは叫んだ。しかし、退避をする暇も無く、その銃口から火の玉がスタンリーに向けて発射された。

「やべえっ!」

スタンリーはなんとか寸手のところでかわし、事なきを得た。

 ユーフォリアは今まであっさりと殺された人間とは違う為に、戸惑う表情を見せた。その隙を見てスタンリーはまた引き金を引く。今度はもう片方の翼に当たり、ユーフォリアは地面に落ちる。これは好機と思い、シェルティアともう一人駆け出した人物がいた。アシュレイである。シェルティアとアシュレイは同時にユーフォリアの足を斬り落とした。

『おのれ…!』

ユーフォリアはそのまま足から赤い血を流しながら地面に落ちた。

「畳み掛ける!」

シェルティアとアシュレイは素早く剣を構え直し、ユーフォリアに向かった。ユーフォリアは二人を見ると口角を上げ、次の瞬間に被弾した筈の翼を使って飛び上がる。そして、見た目とは裏腹に、あっさりと頑丈な天井を頭から突き破って飛んで行ってしまった。あちこちで軽く悲鳴が上がる。

「総員、直ちにあのネメシスを追い、散開せよ! ただし、単独で戦おうとはするな! 見つけ次第警告笛を鳴らせ!」

アシュレイの命令により、隊員たちは元来た道を戻り、シェルティアも後から続いた。地上に出ると、パラパラと雨が降り始めていた。空にユーフォリアの姿は見えない。

「各自散開し、近辺を探せ!」

アシュレイの合図で隊員たちは散らばる。シェルティアも森の中へ入ろうとしたそのとき、

「シェルティア!」

アシュレイに呼び止められる。

「どうかしましたか!?」

シェルティアはアシュレイの元へ駆け寄った。アシュレイは険しい表情のままである。

「もしユーフォリアと遭遇しても、無理に一人で戦おうとするな。必ず応援を呼ぶんだ。お前はすぐに、一人で突っ走ろうとするからな」

「…善処します」

先程自分が前に出たことを、アシュレイは婉曲的に注意しているのだろう。だが、自分にはアシュレイの命令を守れるかどうか自信がなく、曖昧な返事をしてしまった。アシュレイはシェルティアの態度を見て、小さくため息を漏らす。

「善処、ではなくそうすると誓ってくれ。もっと自分を大切にしろ。…とにかく、ユーフォリアの捜索に向かってくれ。あいつに街へ出られると厄介だ」

「…分かりました。隊長も、お気を付けて」

「ああ、分かっている」

アシュレイとシェルティアはそこで別れ、シェルティアはまた暗い森の中へと入って行った。



ポタポタと制服に雨が落ちる音、自分の息遣いと足音のみが大きく耳に入って来る。他の隊員はどうしているのだろうか、調査隊は無事だろうか、ユーフォリアはこの森から出ていないだろうか―不安ばかりが頭の中をよぎる。遠くから物音が聞こえるが、あれは隊員の足音であろうか。ユーフォリアがどこへ行ったか見当もつかず、あても無く雨の中、森を彷徨い続ける。

「絶対に…探し出して倒してやる…!」

ト二ー達のことを思い出し、少し収まっていた怒りの炎がまた激しくなった。

『お前に我が倒せるのか?』

独り言に答えられたことにシェルティアは驚き、振り返る。そこには悠然と立つユーフォリアの姿があった。シェルティアは即座に距離を取り、剣を構えた。

「そっちから出て来てくれるとは、好都合ね」

シェルティアはズボンのポケットに入れていた警告笛にさりげなく手を伸ばした。だが、ここで味方を呼ぶ仕草をすれば、ユーフォリアは逃げてしまうのではないか、という懸念が頭に上る。アシュレイから『単独行動はするな』と言われたが、この機を逃すと今度こそユーフォリアは人のいる街の方へ飛んで行くかもしれない。シェルティアは手を引っ込めた。

「何で私の方に来たの?」

シェルティアは疑問をそのまま口に出した。

『フフ…お前たちは今まで食らって来た人間達よりも強い。多勢では不利だと思ってな。強い奴からくらおうと思い、お前の所へ来た。お前はあの集団の中でも特に…強い』

 ユーフォリアは人間臭い、妖艶な笑みを見せた。一瞬人間と対峙しているのかと思い、どきりとする。

「…よく頭が回るわね。それもあのケヴィンから教わったの?」

『ケヴィン? 何だそれは? …我に話し掛けている人間はいたが』

「そいつがケヴィンよ。まあ、あんたにはどうでも良いでしょうけど」

『その通りだ。人間は皆同じ餌にしか見えない。お前はどんな味がするのか楽しみだ』

「冷たい鉄の味がするわよ。…こんな風にね!」

シェルティアはユーフォリアに剣の切っ先を向け、駆け出した。ユーフォリアは小さな羽毛を撒き散らして飛び上がり、シェルティアの剣をかわす。

「また空に…!」

シェルティアは翼を広げて飛び回るユーフォリアを見上げた。そこで翼をよく見ると、先程スタンリーに撃たれた筈の翼や、自分とアシュレイが斬り落とした足が完全に元通りになっている。ユーフォリアは今までのネメシスと違い、損傷した部位の再生が一瞬とも言えるほど早いのだ。

「嘘でしょ…!?」

シェルティアは自分で気が付いた事実に対し、血の気が引いて行くのを感じた。ユーフォリアはそんなシェルティアの反応を楽しむかのように、空を飛びながらまたあの火の玉の攻撃をして来た。シェルティアは身を隠そうと、木々が密集している場所へ急いで入った。

 空を飛ばれては一切手出しできない。スタンリーのように銃を使えたりすればどうにか出来たかもしれない。自分の力を過信していたのだと、シェルティアは気が付いた。今からでも遅くは無い、味方を呼ぼうとしたそのとき、

「ぐっ!?」

背中に鋭い痛みが走り、シェルティアはそのまま転び倒れた。今までに体験したことのない痛みである。上半身を起こすと、ホバリングをしているユーフォリアの鉤爪には血が付いているのが見えた。あれは自分のものである。シェルティアはぞっとしながら痛みに耐え、体勢を立て直す。しかし息つく暇も無く、ユーフォリアは鉤爪を突き出してシェルティアの肉を抉り取ろうと襲いかかって来る。シェルティアはそれを剣で受け止め続ける。

「くっ…!」

シェルティアはユーフォリアの羽毛に包まれ、膨らんだ胸元を見た。あそこに唯一の弱点がある。しかし、以前戦った人面鳥とは違いユーフォリアは足が長く、容易に剣は届きそうになかった。

――とにかく出来るだけユーフォリアを傷付けて、再生する前に胸を貫くしかない!

シェルティアはそう心の中で決めると、ユーフォリアの鉤爪を流すようにかわした。その反動で腰を捻り、ユーフォリアの腕に狙いを付ける。シェルティアの剣はユーフォリアの腕と翼に駆けて斬りかかった。しかし、同時にユーフォリアは錐のような爪でシェルティアの肩を貫いた。

「うああああっ!!」

シェルティアは全身を駆け抜ける痛みに悲鳴を上げ、その場で倒れた。体を動かそうとするが、痛みのあまりうまくいかない。

『お前は強いと思っていたが、そうでもなかった。我は失望した。このまま我の餌となってもらおう』

「ううっ…!」

 ユーフォリアは地に足を付けたまま、ゆっくりとシェルティアへと歩み寄る。シェルティアの頭の中にまたアシュレイの忠告が響き、後悔する。そしてそこへ、〝死〟というものが目の前に漠然と迫って来ているのを感じ、力が抜けた。

(皆、ごめんなさい…)

 死に怯える訳でなく、ただシェルティアの中には〝諦め〟という感情だけがあった。ふっと脳裏に金色の草原――クローネ麦の畑が思い浮かぶ。両親の温かい眼差し、アリーら友人達と楽しく遊んだ日々、豊穣祭の高揚感と悦楽、村の人々やアリーが死んでしまったときの悲しみ、初めて帝都に入り、アイギスで剣を握り、アンネッタやスタンリーと仲良くなれたこと、ヘザーのおいしい食事と励まし、戸惑い、メリッサとの対決、ト二ーら研究班の皆の笑顔、メリッサの涙、戦う理由――そこでシェルティアははっと我に返る。

「…そうだ、私の使命は…使命は…」

自分が今すべきことは、目の前にある。ネメシスに立ち向かい、大切な人々をネメシスから守るのだ。

「私は…戦う!!」

剣を握り直し、シェルティアはユーフォリアを睨む。

『立ち上がったか…無駄なあがきを…』

ユーフォリアは大口を開けて牙を剥き出しにした。

「絶対にお前を、倒してみせる!」

柄に力を込め、シェルティアは構えた。痛みなどは感じない。ただ、目の前のネメシスを倒すことだけが頭にあった。

「シェル! 少し離れろ!」

次の瞬間、スタンリーの声が遠くからした。咄嗟に言葉に従うと、耳をつんざく破裂音の直後、ユーフォリアの頭から血が噴き出る。その一発だけでなく、何発もの弾がユーフォリアの頭部を貫いた。あまりの音の大きさにシェルティアは耳を塞ぐ。

『おのれ…!』

ユーフォリアは穴だらけの頭を弾が飛んで来た方向に向ける。すると今度は、

「はああああ!」

アンネッタの叫び声が聞こえ、剣が飛んで来た。その剣はユーフォリアの足に刺さり、身動きが取れなくなる。―今だ―シェルティアは剣を構え、ユーフォリアに向かって駆け出した。

 まずは、大切な仲間たちを食らったその口を突き貫く。次は皆や自分を翻弄してくれた翼を斬り落とす。その次は忌々しいその目、そして最後は―

「うおおおお!!」

剣の切っ先を真っ直ぐに向け、胸を狙う。ユーフォリアは何とか手でガードしようとしたが、剣はその手ごと胸まで貫いた。

『うぐ…ギャアアアア!!』

ユーフォリアは金切り声で叫んだ。口からは大量の血を吐き、もう再生しなくなった潰れた目をシェルティアに向けた。

『餌の分際で…! お前達は…、我に食われ…尽くされる運命だと…言うのに…!』

「そんな運命はない。私達アイギスが、戦い続ける限り!」

肩で息をしながら、シェルティアはユーフォリアに言い放った。

『フフ…うぐっ…!』

ユーフォリアは最後に大量の血を吐いて口角を上げたあと、そのまま絶命した。ユーフォリアの腰から下を固めていた土は崩れ、そのままぐらりとユーフォリアは倒れる。血が雨にぬれた大地に流れていくのを眺めながら、シェルティアは膝をついた。

「シェル!」

アンネッタとスタンリーが同時にシェルティアの元へ寄って来た。

「やった…やったぞ! このネメシスを倒した…!」

スタンリーは興奮しながら熱っぽく言った。

「でも、シェルちゃん怪我が…! 今すぐ処置を!」

アンネッタは真っ青な顔で携帯ポーチを探っている。

「…アンネッタ、ジュードは?」

まず先に出てきた言葉がそれであった。すると、茂みから音がし、ジュードが目の前にやって来た。

「ここにいる。よくやったな…! 皆の、仲間の仇はお前が取ったんだ!」

ジュードはシェルティアの手を取って、深く頷いた。

「仇…皆、これで解放されたかな…?」

シェルティアの言葉にアンネッタ、スタンリー、そしてジュードは力強く頷いた。シェルティアはほっとし、自然と笑みが出る。そこで全身の力が抜け、そこからの記憶は途切れた。


 アルコールの匂いがツンと鼻をついた。自分は酒でも呑んだのだろうか、などと思いながらシェルティアはゆっくりと目を開け、身じろぎする。

「ん…? あっ!? シェルちゃん!?」

アンネッタが叫び、その声に驚いたシェルティアは目を大きく見開いて体を起こした。すると、背中と肩に鈍い痛みが走り、顔を歪めた。

「ああもう! アンネッタ、あんたが叫ぶからシェルティアが驚いて体を起こしちゃったじゃない!」

「ご…ごめんなさい!」

そのあとでアンネッタは良かった、と小さく呟きながら涙ぐむ。メリッサはシェルティアの背中をそっと支えてくれた。

「あの…ここは…?」

シェルティアは周りを見回す。傍にはスタンリーとジュードもおり、自分はベッドの上にいて且つ、簡素な服を着ていること、そして、ユーフォリアを倒してからの記憶がないことを思い出した。

「医務室だよ。ユーフォリアをお前が倒した後にここに運ばれて…薬の効果もあって丸一日眠っていたんだ」

ジュードが説明をしてくれた。あれから丸一日も経っているのは驚きである。

「アンネッタなんか大変だったんだから! 命に別条は無い、って先生が言ってるのにわんわん泣くんだもん」

「うう…ごめんなさい…でも、心配で…」

涙で目と鼻を真っ赤にしたアンネッタは謝った。

「それにしても、怪我をした奴はいても誰一人として欠けなかったのはシェルティアがユーフォリアを倒してくれたからだよな。本当に…すげえよ、お前」

スタンリーは感慨深そうに言う。それに対してシェルティアは軽く首を横に振った。

「ううん、私がユーフォリアを倒したんじゃない。皆の協力があって、やっとユーフォリアを倒せたのよ」

「これ! 病室では静かにせんか!」

ベッドの周りにあるカーテンが引かれたと同時に、白衣を着た老人が現れた。皆はそれぞれすみません、と謝る。だが老人―医師は特に怒っているという表情でも無く、真っ先にシェルティアの傍に来た。そして、顎の下や額に手を当てる。

「ふむ、熱は引いたようじゃの。どうじゃ、気分は?」

「特に問題はありません。…少し頭がぼーっとしますけど…」

「それは鎮痛薬のせいじゃ。鎮痛薬はもう少し投与しなければならんから、それは我慢してくれ。それと、絶対安静じゃぞ。それにしても…病室に昨日から今までにお前さんの見舞いをしたい人間や、礼をしたい人間が大勢いて大変じゃったぞ。プレゼントはそこの台車に山積みになっておるから、まあ見てみると良いじゃろうて。さて、まだ話したいことがあるだろうから面会は許すが…静かにするんじゃぞ」

「はい」

皆が声を揃えて答えると、医師はカーテンの向こう側へと消えていった。

「…ねえ、私の意識がなかった間、何かあったの?」

シェルティアは皆の顔を見回す。

「ああ。えーっと、色んなことがあってだな…。ああ、長ったらしい説明は苦手だ! ジュード、頼む!」

スタンリーがジュードの肩を軽く叩くと、ジュードは呆れたように見返した後に、シェルティアを見る。

「じゃあ俺から説明をさせてもらう。まずはユーフォリアの討伐直後からだな…。負傷したお前をスタンリーとアンネッタが先に本部へと運んだ後、ユーフォリアのネメシス結晶と体の一部を摘出し、後は燃やした。それから調査隊と合流して、精霊堂にある仲間の遺体の一部を回収し、全隊員が本部へと戻った。それからは団長が主体となって、亡くなった隊員の遺族への説明と、ケヴィンがいた国立研究所を問い詰めと、まあ後処理が大変だったそうだ。その間団員達は待機。ユーフォリアを倒せても、仲間を亡くしたことに変わりは無い。退団を願い出る者も少なくなく、団長も拒みはしなかったよ。そして今日、新聞社に今回の事件が知られて、アイギスは世間から叩かれまくっている。ありもしない事や罵詈雑言まで書かれてあって、腹立だしいことこの上ない…!」

ジュードは険しい顔つきで、最後の部分は吐き捨てるように言った。

「酷い…悪いのはケヴィンただ一人なのに…!」

シェルティアもジュードと同様に腹立だしさを覚えた。

「でも、それが組織よ。誰か一人でも悪行をすれば、それが組織全体の印象に繋がってしまう。でもそれを恐れることなく、今回の事件を明白にした団長は偉大だと思うわ」

 メリッサは冷静に言った。

「…そうだな。団長が俺のおじであることは、俺の誇りだ。…だが、もしかするとアイギスは解体を命じられるかもしれない」

「えっ!?」

ジュードの一言でシェルティアは凍りつく。他の者達も、ただ悲しそうな表情をするだけで、何も言えなかった。


 団長室にはゲオルギウス、レイナ、ガレオン、アシュレイ、そしてビリーが顔を揃えていた。今朝から抗議の手紙や電文が嫌という程来ているが、レイナは何も言わずに暖炉にそれらを放り込んだ。

「…ビリー、お前を研究班班長代理としたが、ネメシス結晶の解析はどうなっている?」

「はっ。班員達はやはり精神的に大きな傷を負ったようで…誰一人として作業をする者はいません。解析にはもう少し時間がかかるかと…」

ビリーは苦い顔で答えた。

「分かった。無理に作業を進めても、しっかり解析が出来るとは思えない。今は、班員達の心のケアに努めよう」

「失礼します!」

淀んだ空気の中、慌てて男が入って来た。男は文官であった。

「どうした? …とうとうアイギスの処分が決まったのか?」

そう問う声にはどこか力が入っていた。

「はい、重要文書が二通来ました!」

文官の男は緊張した面持ちでゲオルギウスの傍に行くと、二通の手紙を今にも割れそうな卵を扱うように、そっと目の前に置いた。一通は黒地に銀のラインが入った封筒、もう一通は白く、金のラインが入った上品な封筒である。どちらも翼竜に薔薇の印が付いている。

「もう一通は帝国議会からだが、もう一通は…?」

「それは私どもも確認しておりません。重要な通達文書と思い、中身は拝見しておりません」

「…分かった。ご苦労だったな、下がって良い」

「はっ」

文官の男はきびきびとした動作で団長室を出ていった。ゲオルギウスはペーパーナイフで手紙の封を切る。

「まずは帝国議会からだ。『帝国議会はアイギスの残留を決定。以後はこのようなことがないよう、留意されたし。』…帝国議会元老院院長からだ」

ゲオルギウスの言葉にあちこちから安堵の声が漏れ出た。アイギスが解体するという事態は避けられた。ゲオルギウスは次に、良い香りのする白い封筒を開ける。開ける前から何となく差出人は予想できた。ゲオルギウスは無言で手紙を読み、暫くしてから笑みを見せた。周りは何事かと、ぎょっとする。

「…何ということだ…第四皇女様が直々に帝国議会に掛けあってくれたとは…!」

 またもや第四皇女に助けられてしまった、とゲオルギウスは胸が熱くなった。皆は皇女自らがしたためた手紙に驚いた表情をする。

「…すぐに皇女殿下にお礼の品と文を…頼めるか? 副団長」

「はい。謹んでお受けいたします」

レイナも笑顔で答えた。

「…よし、それでは私も何の心残りも無く団朝職を辞することが出来るな」

「え…? 今、何と…?」

ガレオンは目を見開いて尋ねる。

「アイギスの解体は免れたが、隊員を死なせてしまった私がいつまでも団長の座にいては、世間は納得しないだろう。…皆を呼んだのはこれを伝える為でもあったのだ。後任は…」

「待って下さい!」

声を上げ、立ち上がったのはレイナであった。

「団長のお気持ちはよく分かります。ですが今、団長がお辞めになられるとアイギスはますます混乱するでしょう。アイギスはこれから立ち直るのです! その為には団長、貴方の力がまだまだ必要なのです。アイギスは亡くなった団員の為にも、戦い続けなければなりません。団長、その中で貴方だけが逃げるおつもりですか?」

 ゲオルギウスはレイナの言葉を聞き、皆の顔を見回した。皆レイナの意見に賛同だ、といわんばかりに真剣な表情で頷く。

「…っ、失礼な言動の数々、申し訳ございません!」

レイナは我に返って顔を赤くし、ゲオルギウスに向かって深々と頭を下げた。

「いや…ありがとう皆。こんな不甲斐ない私を引き止めてくれて…。そうだな、私も皆と一緒に戦わなければな。世間では無く、ネメシスと」

「…ありがとうございます!」

レイナは再び頭を下げ、ゲオルギウスは目を細めた。


 投獄されていたタニアは、ゲオルギウスの命により亡命を促し、帝国国境南部まで団員が護衛に付くことになった。去り際にタニアは「あたしを殺さなくていいの?」と妖艶な笑みを浮かべたが、ゲオルギウスは意にも介さなかった。タニアはみすぼらしい茶色いローブを着せられ、馬に揺られてアイギス本部を去って行った。

「…良いのですか、団長? 何の処分も下さないとは…」

レイナはやや不安そうに尋ねる。

「良いんだ。これ以上人間同士の殺し合いなど、したくは無いからな。…そろそろ式の時間だ。行こう」ゲオルギウスとレイナ、数人の団員は半旗が掲げられたアイギス本部の中に入って行った。



 目が覚めた翌日、シェルティアは研究班の追悼式が行われることを知り、医師にお願いして出席させてもらうことにした。以前と同じく悲しみに満ちた中、ゲオルギウスが弔辞を読み上げ、黙祷したあと、帰る場所のない者は団の墓地へと棺が運ばれる。シェルティアはト二ーの棺を見た。ト二ーの体は一部分も残っておらず、中には部屋に残っていた彼の品物のみが入っていると聞かされた。〝ト二ー・カーズ〟。その名を見ただけで涙が込み上げて来る。助けられなかったこと、優しい友人を亡くしたことがひどく悲しく、虚しかった。そんなシェルティアや皆の悲しみとは裏腹に、外は清々しい晴れである。陽光が差す中、シェルティアはト二ーの墓前に一輪の、白く小さな花を供えた。

 追悼式が終わったあと、シェルティアは地下にある研究班の実験室に行ってみた。医務室に送られてきた品物の差出人の半数以上が研究班の班員達からであり、礼を直接言いたかったからである。だが、ジュードからは研究班の皆は今大きなショックで何も手についていない状態であると聞かされていた。それならば自分が彼らの力になるだけである。そう思い、シェルティアは実験室の扉を叩いた。中から「はい」と短く返事が聞こえて来た。

「あの…シェルティアです。…研究班の皆に会いたくてやって来たんだけど…」

 恐る恐るシェルティアは尋ねた。すると、間髪入れずに勢い良く扉が開く。

「シェルティア! 来てくれたのね!」

赤茶色の髪の少女が嬉しそうに出迎えた。ジュードから聞かされていた彼らの反応が予想とは違い、シェルティアは驚く。

「シェルティアじゃないか!」

「俺たちの恩人!」

少女の声を聞きつけた他の班員達は扉に殺到した。

「み、皆は今何していたの?」

戸惑いながらシェルティアは少女に尋ねる。

「討伐隊と調査隊が持ち帰ってくれたユーフォリアのネメシス結晶を解析しているのよ!」

「中に入っても良い?」

「もちろん!」

 皆に道を開けて中に入らせてもらうと、そこには自分が所属していたときと同じ、実験の風景があった。シェルティアはその光景に目を丸くする。

「そういえば、どうしてここに来てくれたの?」

一人の少女が訊いた。

「私が医務室にいたとき、研究班の皆からお見舞いを沢山貰ったから、お礼が言いたくて。本当に、ありがとう」

「そんな、お礼だなんて! むしろこっちが言いたい程よ! …仲間の仇を取ってくれて…ありがとう」

少女がそう言ったのをきっかけに、あちこちから感謝の言葉が湧き出て来た。シェルティアは胸がじわりと熱くなるのを覚える。

「その…皆は大丈夫? 私もだけど…友達や仲間を失って辛いでしょう?」

思わずシェルティアはそう訊いてしまった。すると、皆の顔はどこか寂しそうなものとなる。

「うん…皆、凄く辛い。でもさっき、班長代理と皆で話し合ったんだ。失った仲間の為に何をしてやれるのかを…。そしたら、ケヴィンの奴が造ったネメシスを含めて全てのネメシスを全滅させること、そしてその為に私達が出来ることはネメシスの研究をして、ネメシスを滅ぼす手段を見出すことだって結論付けたの。そうすればもう、ネメシスの被害なんて無くなる。だからもう前を向いて、私達は自分達の出来ることをすることにしたんだ!」

「…そうよね。私も、自分に出来ること…剣を振るってネメシスと戦い続ける。皆に約束する!」

 シェルティアの誓いを聞いた研究班の皆は微笑んだ。そして皆の話をその後も聞いている中で、ト二ーとの日々を思い出したのであった。



 それから一週間後、シェルティアは戦線に復帰することが出来た。回復の早さに医師は驚きつつも、「無理はするな」ということを何度も念押しされたのであった。そしてシェルティアが復帰したと聞いたアシュレイは、討伐隊員全員を待機室に集合させた。

「シェルティア・スノウズ」

「は、はいっ!」

開口一番に名を呼ばれ、シェルティアは立ち上がった。

「先日のユーフォリア討伐の件、見事だった。だが、お前はその直前に、俺と交わした言葉を覚えているか?」

「…はい、単独での討伐は禁止する、と…」

「そうだ。これは立派な命令違反だ。上官の命令に背いた者には、それ相応の罰が必要だ。よってシェルティア、お前にも罰を与える。…副隊長称号を剥奪する。それが罰だ。あんな簡単な命令も守れないようでは、到底副隊長としては相応しくない。新しい副隊長はこれまで通り、ジュード・バッツドルフに任命する。分かったか?」

「は、はい! 謹んでお受けいたします!」

「…話は以上だ。皆、これからも訓練に励むように」

「はっ!」

全員が声を揃えて答えた。アシュレイは待機室を後にする。だが、その直前にアシュレイが微笑んでいるのを知る者はいなかった。

 アシュレイが去ったあと、シェルティアの元にアンネッタ、スタンリー、メリッサ、そしてジュードが集まる。

「ジュード、副隊長復帰おめでとう!」

アンネッタは嬉しそうに言う。ジュードは照れた顔になった。

「そんな大層なことでもないだろ。それに、剣の腕ならシェルティアの方が上だ」

 ジュードの言葉にシェルティアは大きくかぶりを振る。

「ううん、私にはまだ、仲間と協力するって言うことが欠けている。その点ジュードは冷静に皆のことを見られるから、やっぱりジュードが適任よ」

「…ありがとうな」

ジュードははにかんだ。

「仲間か…私もあの娘達を失って、ようやく自分はあの娘達に支えられていたんだって実感できた。…だから、これからはあなたたちを支えていきたい。あの娘達がそうしてくれたように」

 メリッサは柔らかい笑みを浮かべて皆に言った。

「ほー、随分しおらしくなったじゃねえか! 何か少し不気味だな…」

スタンリーが笑うと、ぎろりとメリッサはスタンリーを睨んだ。

「あんた…今すぐ斬り刻んであげましょうか?」

「うっ、冗談だよ冗談! 今お前、支えたいって言ったじゃねえか!」

「あんただけは別よ!」

「えー…」

「そうだよね…よーし、私ももっと皆の力になれるように、医学の勉強と訓練頑張ろうっと!」

 アンネッタは拳に力を込めて言った。

「…そうだよね、私もスタンリーとアンネッタの助けがあったから、ユーフォリアを仕留めることが出来た。皆支え合ってネメシスを倒すことが、アイギスの強みだって気付いた。でもそれだけじゃない。一人一人が自分の力を高め合っていくことも必要だと私は思う。…研究班の皆を見たあと、そう考えたんだ。だから現状で満足するんじゃなく、上を目指すことも大切だよね。そうすれば、互いを支え合う力も強くなる」

シェルティアは皆の顔を見て言った。皆は真剣な表情で、深く頷いてシェルティアの言葉に賛同の意を示した。そのとき、訓練開始の合図の鐘が鳴る。

「おっ、そう言ってるともう訓練の時間じゃねえか!」

「…行こう!」

シェルティアがそう言うと、皆は意気揚々と立ち上がった。シェルティアはそこで防具を着け、すっかり使い慣れた剣を手に取り、怪物たちと戦い続ける為に立ち上がった。


                                  -完-  

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シェルティアの剣 鐘方天音 @keronvillage

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