第4話 ネメシス
髪を肩の上までバッサリ切ったシェルティアは、心だけでなく体も軽くなったように訓練に励んだ。そして討伐任務が入ると、群を抜いてネメシスの討伐数も多くなり、体の中でも一目置かれるようになって来た。
メリッサあたりがまた何か言って来るかと思ったが、全く何も言って来ない。メリッサと二度目の対決をして勝利してからは、一言も言葉を交わさなかった。
「最近お前、絶好調だよなあ」
ある日待機室で談笑していると、スタンリーがそう話をシェルティアに振って来た。
「そう? んーでもここでの生活や任務に慣れてきたのはあるかな」
思い当たるといえばそれしかなかった。だが、スタンリーは笑いながら首を横に振る。
「違う違う、ネメシスの討伐数の話だよ。実は俺、こっそり誰が何体討伐したか数を数えてたんだよ」
それからズボンのポケットに手を突っ込むと、皺くちゃに畳まれた羊皮紙ではない、木から作られた紙を取り出した。スタンリーはそれを広げる。
「…これ、なんて書いてあるの?」
アンネッタは紙に書かれてある文字が判別できず、首を傾げた。
「悪かったな! 汚い字で! これがシェルティアの討伐数だよ。先月から先日までの数で二十一体目だ。で、次に多いのがジュード。今までジュードが隊長を除いた隊の中ではトップだったんだが、今じゃシェルティアが一番だな!」
「呆れた! そんなことしてると、ネメシスにやられるわよ」
スタンリーに言われたことは悪い気はしないものの、何をやっているのだ、と呆れる気持ちの方が大きかった。
「大体、討伐数なんて関係ないよ。皆が無事に生きて帰ってくれさえすればそれで良いんだから」
「そうだよー」
シェルティアの言葉にアンネッタは賛同し、非難がましくスタンリーを見た。
「ま、それはそうなんだけどよ。やっぱり出来る奴のことは気になるだろ? そーいうのは俺だけじゃないんだぜ」
くいと顎を動かした先には、シェルティアのことを見ながら話す男女が数名いた。全員がシェルティアと目が合った瞬間に視線を逸らす。自分は競うつもりで戦っている訳ではないというのに、とシェルティアは小さくため息を吐いた。
翌日、一週間ぶりに討伐任務が入った。出撃メンバーの中にはシェルティアも含まれている。すると、出撃メンバーの中から、
「シェルティアがいるのか、良かった…」
「エースがいるとひと安心ね」
という声が聞こえてきた。ひょっとして自分は期待されているのだろうかとシェルティアはどきりとする。今まで期待などは目に見えてされたことが無い(正確には、期待などというものは天候と麦の出来栄えしかない環境であった)ので、こそばゆい気持ちになった。
今回は帝国内でも大きな河川の一つ、セレノ川沿いにある森での任務となった。そこではヘラジカの体に小さな顔が三つ付いたネメシスと遭遇する。大きな体躯とは対照的に素早く動き、肥大した蹄と角で体当たりをして来る。その角で何人もの隊員が怪我をした。そんな中、スタンリーら銃士が遠方からネメシスを撃ち、ネメシスの体に弾丸が当たってよろける。その隙を見計らったシェルティアはネメシスに向かって剣を構え、飛び出す。すると、横から人影が現れたので、慌てて止まった。その人影はジュードであった。ジュードはシェルティアを一瞥したあと、ネメシスの胸を突き、止めを刺した。そしてシェルティアを睨み、
「邪魔だ! 他人の気配も見極めろよ!」
と怒鳴った。シェルティアは一方的な言い方にムッとしたが、ジュードの言うことにも一理あったので、ぐっと反論を飲み込む。
「…ごめん」
シェルティアが謝ると、ジュードはフンと鼻を鳴らし、元来た方向へと戻っていった。ジュードは以前、こんな態度をとっただろうかとシェルティアは疑問を抱いた。
討伐が完了し、隊員たちは本部へと戻る。負傷した者を先に返したので、行きよりも人は減っていた。その道中、スタンリーがシェルティアの隣に馬を寄せてきた。
「見てたぜ。男の嫉妬ってのは醜いなあ」
「一体何のこと?」
突然何を言い出すのかと、シェルティアは眉間に皺を寄せる。
「ジュードのことだよ。あいつさっき、お前と攻撃のタイミングが重なってぶつかりそうになったとき、突っかかるような物言いをしただろ?」
「…何が言いたいの?」
「つまり、あいつは現エースであるお前が気に食わないのさ。今までトップだったのを掻っ攫われて、あいつのプライドが傷ついたんだろうよ」
嘯くスタンリーに、シェルティアはため息をつくしかなかった。
「私にとってはバカバカしいことこの上ないわ。ネメシスは倒すべき敵で、たまたま倒した数が多かった、ってだけの話じゃない」
「そう思うこと自体がもう、お前はエースなんだよ。天賦の才ってやつか? とにかくお前の剣の腕は天から与えられたものなんだよ」
「なら、ジュードも天才なんじゃないの?」
「さあ? 俺よりも先に入団した奴だからどうかは知らねえ。でもこれからは、お前に突っかかって来る奴もいるかもしれないから気を付けな」
「ご忠告どうもありがとう。でも、そんなこと気にしないから余計なお世話よ」
「そりゃあ悪かったな」
くつくつと笑ってスタンリーはシェルティアから離れた。シェルティアはまたため息をつき、スタンリーの言ったことも、ジュードのことも忘れることにした。
「シェルティア! あたしたちに剣を教えてよ!」
ヘラジカのネメシスを討伐した翌日、木の人形を相手に訓練をしていると、五人の仲間たちがシェルティアの元へそう寄って来た。
「剣を教えるって…皆もう剣の基本も応用もマスターしてるでしょ?」
なんで?とシェルティアは訊き返した。
「それだけじゃ足りないんだよ。もっと多くのネメシスを倒すための技術を知りたいんだ」
一人の少年が答える。周りの者もうんうんと頷いた。
「そう言われても…私はただその場で、生き残ることと、ネメシスを倒すことしか考えていないから特別な技術なんて持っていないよ」
困りながら答えると、おおっ、という声が上がった。
「さすが天才! 意識してなくても凄い腕を振るえるんだな!」
別の少年が叫ぶ。
「そんな、天才だなんて私はそんな…」
「本当の天才は見せびらかしたり自慢したりしないもんね!」
少女は感嘆しながら言う。皆から賞賛されるなど、生まれて初めての経験であり、シェルティアはただただ戸惑うしかなかった。
「うわ、ねえちょっと、ジュードこっちの方睨んでるよ!」
別の少女が小声で皆に教える。シェルティアはジュードの方を見た。確かにその目は睨みつけているものである。
「じゃ、じゃあシェルティア、オレ達はやっぱり訓練に戻るよ。時間取らせて悪かったな」
それからシェルティアの元に集まっていた隊員たちは蜘蛛の子を散らすように離れて行った。シェルティアはまたジュードと視線を合わせると、ジュードはふいと視線を逸らしたのであった。
夕食の時間になり、食事を受け取ったシェルティアはポトフのジャガイモをつついたりして、中々食事が進まない。それを見たアンネッタは心配そうな表情になる。
「どうしたの? シェルちゃん。何か悩みでもあるの?」
「んー、悩みというか…悩みかも」
それからアンネッタに昼間の訓練であったことを話した。
「シェルちゃんは悪くないよ。ジュードが一人で焦ってるだけなんだから。…でも、ジュードが大変なのも分かるかも…」
「前に言ってた、団長の甥ってことがネックってこと?」
シェルティアが言うと、アンネッタは頷いた。
「それに加えてシェルちゃんもジュードも悪くないのに、比較されちゃってるでしょ? それってかなりプレッシャーじゃないかなあ…」
「そっか…皆それぞれ大変なのよね…」
研究班にいた頃は皆誰が優秀か、などの競争は一切無かった。だが、水面下ではあるのだろうか。シェルティアは無性にトニーに訊いてみたくなった。
隊員たちの消灯時間が過ぎたあと、アシュレイは会議室に赴いた。緊急事態であるらしく、調査隊隊長に研究班班長のケヴィンと、団の主要な人物が雁首を揃えていた。長机の上座には団長のゲオルギウス、その斜め左には副団長のレイナが座っている。皆の顔を一通り見回したあと、ゲオルギウスが口火を切る。
「今夜集まってもらったのは、新たなネメシスの情報についてのことだ。そのネメシスには今までにない、人語を理解し、群れを統率して有機的に機能しているタイプとのことだ」
「おお…!」
声を上げたのはケヴィンである。研究班としては非常に興味深い話だろう。声こそ出さなかったものの、アシュレイは内心動揺した。
「…詳しくはガレオンから聞こう。ガレオン、情報を」
「はい」
ゲオルギウスに呼ばれ、立ち上がったのは黒髪に白髪が混じり、長い髪を後ろに撫でつけて束ねた、顎鬚を生やした初老の男である。調査隊隊長のガレオン・ウェッジは元帝国軍の斥候であり、その経歴を活かして調査隊隊長に抜擢された。人気のない森の木のような雰囲気は、確かに偵察・調査に向いていると言えた。
「人語を理解し、また人語を話すネメシスはイシリア湖周辺で発見されました」
ガレオンはそこで持っていた帝国内の地図を広げた。イシリア湖は帝国北西部に位置する、帝国内で最も面積が大きい湖である。
「湖畔に暮らす住民の話によりますと、一週間ほど前に夜中、林道の方から人のような声が聞こえ、住民が盗賊かと思い銃を手に見に行ったところ、大きな猿のような獣が小さな猿を引き連れ、何かブツブツと言っていたようです。住民が驚いて発砲したところ、大猿と小さな猿の群れは逃げて行きました。この話から分かる通り、人語を話すネメシスは、自分たちの敵が一体何なのかを理解している可能性があります。これは我々にとって新たな脅威です」
ガレオンはそこで報告を一旦切った。ゲオルギウスは机の上に置いてあった両手を組み、思案顔になる。
「ふむ…。ガレオンの話を聞いて、ケヴィンはどのように推測したかね?」
そこでケヴィンが立ち、ガレオンが着席した。
「そうですね…彼らは捕食した対象の性質を取り込むことのできる生物です。その過程で人語に触れ、理解できるまでに進化したと言えるでしょう。群れを統率するネメシスは何種類もいますが、彼らはより高度な集団を作り、行動している可能性もあるでしょう」
「やはりか…私が、いや、ここにいる皆が危惧していたことが現実となってしまったな…早急にそのネメシスを調査、討伐する必要がある」
「ですが、その群れは逃げてしまったのでしょう? 現在はどこにいるかの見当は?」
レイナが皆に尋ねる。
「それについては折しも二日前、帝都東部にある〝剣の丘〟にて、イシリア湖周辺と同じネメシスと思われる目撃情報が隊員の報告にありました。奴らはその近辺に潜伏しているとも考えられます」
ガレオンが素早く答える。
「では、翌朝より調査隊は剣の丘を中心に展開し、広域的に調査を。討伐隊は調査隊の曳光弾の合図で出撃。それまでは無期限待機とする」
「了解しました」
アシュレイは答えた。―人語を理解し、話すネメシス。アイギスが発足してから初めての敵である。これまでの戦法は通用しないかもしれない、とアシュレイは同隊員たちを動かすべきか、話し合いの中で考えた。
翌朝、朝礼は無く、朝食後すぐに討伐隊の隊員全員が待機室に集められた。食堂で聞き耳を立ててみると、調査隊も待機室に集められた後、すぐに出発するらしい。シェルティアは胸騒ぎを覚える。そしてアシュレイの〝人語を話す未知のネメシス〟の話を聞いたことによって、悪い予感は形となってしまった。
「どうしよう…そんなネメシス初めてだよ…!」
シェルティアの隣のアンネッタの顔は青ざめていた。周りの隊員たちも衝撃を口にせずにはいられず、その場は騒然としたものになる。
「静かに! 確かに諸君らにとって未知の敵は恐怖そのものだろう。だが我々はどんな敵とも戦わなければならない義務を背負っているのだ。未知のネメシスと遭遇しても、冷静さを失うな。敵の情報が確かでない以上、より自らの命を守る必要がある! よって単独で遭遇した場合は無理に戦おうとするな。今は何よりも敵を知る材料を得ることが最優先だ。各自それをしっかり肝に銘じておくように」
アシュレイの言葉で待機室はしんとなる。これまで討伐が最優先であったこの部隊にとって、逃げるという選択肢は重要視されていなかった。だが、今回は違う。古参の者は特に今回の任務について戸惑いを感じていた。
その後アシュレイから調査隊の合図が上がり次第出撃、それまでは無期限待機、そして出撃メンバーを告げられた。今回は五十人といつもより大規模である。当然シェルティア、アンネッタ、スタンリー、そしてジュードも出撃するメンバーに入っていた。アシュレイと共に出撃メンバーは準備をしてエントランスホールで待機する。
「人の言葉を話すなんて、元々気持ち悪いのに更に気持ち悪くなったな」
「そのネメシスの前で口を閉じていないと、言葉の意味が分かるから攻撃されちゃうわよ」
軽口をたたくスタンリーに対し、シェルティアはぴしゃりと言い放った。ふと、先程から一言も発さないアンネッタに気が付く。その顔は強張っていた。
「…大丈夫? アンネッタ」
シェルティアが声をかけると、アンネッタは引きつった笑顔を作って見せた。
「うん、大丈夫。ただ…今までの戦い方が通じないとなると、私は足手まといになるかもしれないな、と思って…」
アンネッタが感じているプレッシャーがシェルティアにも伝わる。シェルティアは優しくアンネッタの左肩に手を置いた。
「このアイギスに足手まといなんて一人もいない。それにもしアンネッタが危ない目に遭いそうになったら、私が絶対に守る! 私は大切な人を守るために戦っているんだから。…前に皆に迷惑をかけた私が言えることじゃないかもしれないけど」
「シェルちゃん…うん、ありがとう。私もしっかりしなくちゃ! 医学の知識は私にしかない武器なんだから…!」
アンネッタは剣を強く握りしめた。
「おいおいシェル、今のセリフは男の俺に言わせてくれよな。ちょっとは格好良い所見せたいんだからさ」
スタンリーは苦笑した。
「あら、スタンリーは遠方から攻撃するからアンネッタの傍に居られないじゃない」
シェルティアが笑って返すと、スタンリーは肩をすくめた。二人の会話を聞いていたアンネッタはやっといつものように笑った。
それから数十分後、緊張した面持ちの調査隊の隊員がエントランスに飛び込んで来た。
「策敵中の調査隊より、洩光弾が発射されました! 場所はここより十時の方角、剣の丘近辺です! 今調査隊が剣の丘でネメシスを囲むように動いています!」
隊員の報告で、皆の間には再び緊張が走り、張り詰めた空気となる。
「よし、討伐隊は直ちに出撃せよ!」
「はっ!」
アシュレイの声に全員答えると、駆け出した。
〝剣の丘〟は境界戦役よりも以前の戦乱の時代、騎士の一人が持って帰ることの出来なかった仲間の遺体の代わりに、仲間が持っていた剣を墓標代わりに突き刺したことが由来となっている。昔は本物の剣が針山のように沢山刺さっていたが、安全性と市民が反乱を起こした際の武器にならぬようにと撤去され、その剣を溶かしたものが混ざった剣の形をした巨大な石碑が建っている。
今回は馬もいつもと雰囲気の違う隊員たちの気配を察したのか、どこか落ち着かない。メリーの鼻息も荒かった。
「また洩光弾が上がった!」
誰かが声を上げ、シェルティアは空を見る。前方には確かに煙の跡と、チカチカした光が見え、やがて消えた。洩光弾は警告笛では届かない遠距離の際に使用される敵発見のサインである。
「ちょうど剣の丘付近だな…」
先頭のアシュレイが呟いた。
剣の丘付近に到着すると、調査隊の分隊と合流する。それはガレオン率いる部隊であった。馬列が止まり、皆馬から降りる。
「未知のネメシスは剣の丘付近周辺にある森に分散して身を隠した。我々はここで待機し、奴らを見つけ次第報せる」ガレオンはアシュレイに話した。アシュレイは了解したと言って頷くと、部下の方を向いた。
「これから我々は森に潜伏したネメシスを索敵、可能ならば討伐する! 先程も言った通り、無理して戦おうとするな! 三人一組となって行動し、危険な場合は警告笛を鳴らして助けを求めろ! 散開!」
「はっ!」
討伐隊は素早く三人一組を作ると、森へと向かった。シェルティアはアンネッタ、スタンリーと組み、行動を開始する。森へと入る前に、剣の丘にある石碑が見えた。台座に刺さった大剣は、巨人が振るう剣にも、十字の墓標にも見えた。
針葉樹の森は秋の澄んだ空気に触れると、冴えた緑に見える。シェルティア達の組はシェルティアが先頭に、真ん中にアンネッタ、そして殿をスタンリーが務める。
「相手はサルなんだろ? 人の言葉が分かるんだったら挑発すれば出て来るかもな」
「ちょっと、そんなことして私たちだけ囲まれたらどうするのよ。いいからスタンリーは後方を警戒して!」
「へいへい。すっかり頼もしくなっちゃったなあ、俺の後輩は」
今度はスタンリーの軽口にシェルティアは何も返さなかった。今は気を研ぎ澄ませ、ネメシスを見つけることに神経を集中させることが大事である。時折鳥の声はするが、それ以外の獣の声や物音は聞こえない。今回のネメシスはやはり相当手強い相手である。
「あいつら、もうここにはいないんじゃないか?」
同じ景色の連続にスタンリーは辟易していた。
「それなら洩光弾が上がる筈よ。気を抜いちゃ駄目」
シェルティアは油断しないようにスタンリーに注意を促す。
「でも気配も感じられないなんて…」
アンネッタが不安そうに言った。
「…ポイントを変えた方が良いかもしれないわね。次の大木を曲がって…」
「いや、止まった方が良い」
スタンリーは先程の口調とは真逆の、真剣な声色で言い放つ。シェルティアとアンネッタは即座に止まり、身構えた。次の瞬間、シェルティアの足元に何かが飛んできたので、慌てて避ける。
「っ…!?」
足元に刺さったものを見て、シェルティアは肝を冷やす。それは、人間が薪を割るときなどに使う斧であった。
「シェルティア、アンネッタ! 身を伏せろ!」
スタンリーが銃を構えたので、二人は慌てて身を低くする。次の瞬間に、ビリビリとした銃声が耳の中に木霊した。
『ギャアアア!』
スタンリーが撃った木の上から、猿が落ちてきた。猿のネメシスはきわめて人間に近い顔をしており、大きさは大型犬程である。人間に近くても、やはりネメシスが不気味であることに変わりは無い。
『グウウ…!』
ネメシスは鋭い歯を剥き出しにしてシェルティア達に襲いかかって来る。シェルティアは素早く斬り捨て、胸部を突き刺した。ネメシスは動かなくなる。
「クソッ! やっぱり囲まれてやがる!」
スタンリーの声にシェルティアは顔を上げる。周囲には斧や鎌を持った猿のネメシスが、歯を剥き出しにして構えている。まるで武器を持った人間を相手にしているようであった。
「近接戦闘じゃ、銃は不利か…!」
スタンリーは銃を背中のホルスターに収め、鞘から剣を抜いた。アンネッタは顔面蒼白のまま固まっている。
『オマエラ敵。オマエラ殺ス』
一匹のネメシスがそう言うと、次々と『殺ス、殺ス』という声が上がった。
「…人間にもいるよな。言葉は話せても話が通じないって奴がよ!」
スタンリーはネメシスを睨んだ。
「奴らのことはよく分かったわ。あとは一匹残らず討伐して、研究班に検体として出してやる!」
シェルティアはそこで応援を呼ぶ為に警告笛を吹いた。低い音が腹に響く。
「私とスタンリーでこいつらを何とかする! アンネッタは援護をお願い!」
「わ、分かった!」
アンネッタはぎこちなく答えた。シェルティアは一匹のネメシスに向かう。ネメシスは一丁前に持っている斧で剣を防ぐ。だが、アゼルソードの強度と切れ味には敵わない。呆気なく斧の柄が力押しで切られると、ネメシスは一旦退こうとする。シェルティアは追撃し、ネメシスの首を突いた。ネメシスは白目を向いてもがく。止めを刺そうとすると、別のネメシスが三匹一斉に襲いかかって来た。シェルティアは剣を薙いで一度に斬り付ける。ネメシスは怯み、シェルティアと距離を置いた。その隙に最初に斬り付けたネメシスに向かう。もう立ち上がっていたネメシスを、シェルティアは剣を伸ばし、胸を突いた。そのままネメシスは絶命する。次は三匹の方である。だが、その三匹は姿を消していた。
「しまった! どこに…!」
シェルティアは周囲を探す。その途中で対抗するアンネッタや、銃士とは思えない程見事な立ち回りをするスタンリーが目に入った。今は深追いせず、周囲のネメシスを優先することに決めた。シェルティアは次のネメシスに向かう。
三人で手分けをしても、ネメシスを仕留めるのには苦労した。早く援軍は来ないかと、シェルティアは苛つき始め、息も上がって来る。他の二人の様子を見る余裕もなく、ただ剣を振るうしかなかった。一方ネメシスは、シェルティア達と反比例するかのように素早さを増していく。
「クソ、援軍が来ねえじゃねえか! 一旦ここは退いた方が良くないか!?」
スタンリーもまた、焦りと苛立ちが混ざった声で叫んだ。
「…そうね、何とか私が退路を確保する!」
「おいおい、それは俺にやらせてくれ! そういうのは元々は後衛の仕事だからな!」
「…分かった、任せる!」
「任された!」
シェルティアは少しでもネメシスを斬ってやろうと、スタンリーが道を拓くまで踏ん張る。ちらりとアンネッタを見ると、アンネッタはかなり疲弊していた。なんとか攻撃はかわしているが息が上がっているのが目に見える。
「アンネッタ、大丈夫!?」
シェルティアが声をかけると、アンネッタは目だけを動かして頷いた。声も出せない程疲れているらしい。そのとき、シェルティアはアンネッタの傍にある木から、影が見えた。そこからキラリと光るものが見え、さっと血の気が引く。
「危ない!」
シェルティアは叫ぶと、アンネッタの元へと駆け出す。だが、アンネッタとの間には距離がかなりあった。―間に合って、と祈ったその直後、茂みから人が現れ、アンネッタを包むように倒れた。そしてその方に斧が刺さったのは、倒れるのと同時の出来事であった。
「ジュード!!」
アンネッタは絹を裂いたような声で自分を守ってくれた者の名を叫んだ。そして茂みから遅れて援軍もやって来た。
「おい、大丈夫か!?」
「クソッ、ジュード!」
ジュードと行動していた隊員たちも動揺する。だが、一番動揺していたのはアンネッタである。
「ジュード、ジュード! しっかりして!」
アンネッタは斧を肩から抜くと、ジュードを抱きかかえた。しかし、隊員たちが騒然としている間にも、ネメシスはやって来る。
「おい、ボサっとしてんじゃねえ! アンネッタとジュードを守れ!」
スタンリーが怒鳴ると、はっとしたように隊員たちは動いた。戦力が増加したことにより、数十分でネメシスを討伐、または蹴散らすことに成功する。
シェルティアは血を拭って剣に収めると、アンネッタの元へ駆け寄った。
「シェルちゃん…どうしよう…私のせいでジュードが! ジュードが!」
アンネッタは泣いて取り乱し、シェルティアの制服の袖を掴んだ。いつもなら冷静に手当てをする筈のアンネッタが、何も出来ないでいる。かつての自分を思い出しながらも、何とかアンネッタを落ち着かせようとする。
「落ち着いてアンネッタ! とにかく止血を!」
ジュードの顔は白く、苦しそうに顔を歪めている。
「やってるよ! やってるけど…止まらないの!」
アンネッタの手と包帯は血まみれであった。シェルティアは片手の手甲を外し、自分の分の包帯を腰のポーチから取り出す。そして傷口よりも少し上をきつく縛った。以前薬草学の本におまけとして応急処置の方法も一通り載っていたのを思い出したのである。恐らくアンネッタも応急処置は知っているのだろうが、混乱していて手が覚束ないのだろう。
「これで止まってくれると良いんだけど…」
シェルティアは祈るように呟いた。一方アンネッタはただ泣きじゃくるだけである。シェルティアは掛ける言葉が見つからず、優しく背中をさすることしかできなかった。そして、ジュードにも呼びかける。
「ジュード、気をしっかり! 今から撤退するから!」
「う…分かって…る…」
ジュードは振り絞るように答えた。
「今、離脱の合図を出した! 俺と数名の隊員は馬と負傷者用の荷車を取りに行く。シェルティアはここに残った奴らと一緒にアンネッタとジュードの護衛を任せる!」
スタンリーはどの隊員よりも素早く、今取るべき行動をとっていた。普段の陽気で軽口を叩く様子からは想像もつかない。
「分かった! 気を付けて!」
シェルティアが答えると、スタンリーと隊員二、三名は踵を返して駆け出した。
馬を待っている間、ネメシスを警戒しながらもアンネッタを落ち着かせる為に言葉を掛ける。だが、アンネッタの心にシェルティアの言葉は届かなかった。シェルティアは歯痒さを感じる。暫くして馬と荷車が到着し、ジュードと茫然自失状態のアンネッタを乗せて、森を出る。スタンリーとシェルティアは森に残り、再びネメシスの捜索に当たった。
―ネメシス討伐は、アシュレイが群れのボスとみられる個体を討伐し、群れが霧散するという結果で終わった。今回の討伐で死者が七名、負傷者は三十名も出た。シェルティアは荷台に横たわる死者の顔を見て、言葉を失う。死者の中にはメリッサの取り巻きの少女たち三名が含まれていたのである。メリッサの顔を見ると、メリッサは口を結んで黙り、一見落ち着いている。だが、シェルティアはメリッサの頬に涙が伝った跡があることを見逃さなかった。帰りの馬列は悲しみの葬送の列となってしまった。
本部に着くと、討伐隊の隊員たちはすぐに解散と、明日の朝亡くなった隊員の追悼式が開かれること、その後遺体は家族がいる者は家族の元へ、家族も引き取り手もいない者は本部近くの墓地に埋葬されることを聞かされた。待機室ではすすり泣く声があちこちで聞こえる。シェルティアは村人の遺体や、アリーの遺体を見たときのことを思い出し、苦しくなる。そしてアンネッタやジュードのことも気になり、医務室へ向かうことにした。
医務室は負傷者で一杯であり、医師と看護をする女性隊員が今も対応に追われていた。負傷者の呻き声が細々とし、痛みがこちらにまで伝わってきそうである。シェルティアはアンネッタとジュードを探したが、見当たらない。一体どこに行ったのかと、近くにいる医師の男に尋ねる。
「ああ、団長の甥っこさんなら、帝都の大きな病院に移されたよ。あの怪我はここでは治療できないからね。重傷者は皆そこに向かった。おさげの女の子も付き添って行ったよ」
「…っ、ジュードは大丈夫なんですか!?」
シェルティアは思わず大声を出してしまい、慌てて口を噤んだ。
「…大丈夫だ、と医者の私は言えないが、大丈夫であると信じよう」
それから医師はシェルティアから離れて行った。シェルティアは医師に礼を言うと、医務室を後にした。
夕刻、時間を知らせる鐘は半鐘を鳴らした。仲間を失うということは悲しいという感情の他に、どこか虚しさもあるのだとシェルティアは痛感した。
死者が出たという情報がアイギス中に伝わったのか、いつもは騒がしい食堂も静かで沈んでいた。そんな中、ヘザーの声だけがいつも通り響き渡る。ヘザーは皆を沈ませないようにとあえて普段と同じように振る舞っていた。だが、自分の子供同然の隊員たちを失って辛いのはヘザーも同じである。本当に強い人というのは、ヘザーのような人なのだとシェルティアは思った。
座る場所を探していると、一人で食事をするメリッサがシェルティアの目に入った。丁度周囲に席も空いている。シェルティアは迷わずメリッサの前に座った。シェルティアに気が付いたメリッサはぎろりとシェルティアを睨んだ。
「…何よ、私を笑いに来たの?」
「そこまで性格悪くないわよ」
シェルティアが少々呆れたように言うと、メリッサは表情を戻した。
「…あの娘たちは私と似た境遇で、エランドに帰る場所も、家族もいないの。明日、アイギスの墓地に埋葬される」
「…そう……」
「…もし帝国が領地を奪わなかったら…もしネメシスがいなかったら…あの娘たちは死なずに済んだのかしら?」
メリッサの問いに、シェルティアは答えることが出来なかった。シェルティアが何も答えられずに黙ったままでいると、突然メリッサは手を忙しなく動かし、がつがつと食事を口に入れ始めた。かと思えば、ぴたりとその手は止まる。
「シェルティア……」
俯いたままメリッサはシェルティアの名を呼ぶ。
「…なに…?」
「……悔しい……!」
メリッサはそれだけを言うと嗚咽を漏らす。涙がスープの中に落ちる。シェルティアはそっと、メリッサの手を握った。今の自分にはそれしか出来なかった。
「…みっともない所を見せたわね」
食事も終わり、人も減ってまばらになった頃に、メリッサは目を赤くしてシェルティアに言った。シェルティアは大きく首を横に振る。
「…人を想って流した涙に、みっともないところなんて一つもない」
シェルティアの答えに、メリッサはふっと笑った。
「あんた、剣だけじゃなくて精神も強くなったようね」
「私はまだ未熟だよ。だって、アンネッタとジュードを守れなかったもの…」
「アンネッタとジュードか…アンネッタはどうしたの?」
メリッサの問いに対し、シェルティアはアンネッタがここにいない理由を説明した。
「そう…あの娘はネメシスの襲撃で母親を亡くしているから、ネメシスのせいで人を亡くすことに過剰反応しちゃっているのよね…」
「え? アンネッタは確か、近所でネメシスに襲われた人を見て入団を決意した筈じゃあ…!」
メリッサの言葉は寝耳に水であった。そしてメリッサもシェルティアの言葉に驚き、一瞬大きく目を見開いたあと、納得したような表情に変わる。
「成程…多分ネメシスの被害に遭ったあんたに気を遣って、嘘を言ったのね。私はあの娘と同期だから、あの娘のことは知っているつもり」
「そんな…アンネッタ…!」
大切な友人であるというのに、自分はアンネッタのことを実は何も知っておらず、それを見抜けなかったことがショックであった。
「あの娘らしいわね…きっと、ジュードのことも相当堪えている筈よ。…私が言うのも変だけど、あの娘の支えになってあげて」
「…うん、分かった」
シェルティアは何とか頷いた。
女子宿舎でメリッサと別れ、部屋に入ろうとしたそのとき、見知らぬ少女から、明日はこれを着けるように、と黒い腕章を渡された。シェルティアは渡された黒い腕章を見つめる。この黒い色が、仲間が、人が、死んだのだと目にも胸にも焼き付き、思い知らされた。
―消灯後の部屋は、音を失くしてしまったかのように静かであった。いつもはアンネッタの寝息や寝返りを打つ音、時々寝言も聞こえてきた。だが、今日はそれが無い。一人で眠る夜は久し振りであった。
『あんたに気を遣って、嘘を言ったのね』食堂でのメリッサの言葉を思い出す。ヘザーだけでなく、アンネッタもまた強い人間であり、今まで自分がどれだけアンネッタに甘えてきたのかを思い知らされる。アンネッタがこの部屋に戻ってきたら、今度は自分がアンネッタの力になろうとシェルティアは決めた。そして、アンネッタの今までと今の気持ちを考えると、自然と涙が出て来るのであった。
朝、アイギスの旗は全て半旗になり、訓練場に献花台、そして死者の棺にアイギスの旗がかかったものが皆の目の前に置かれた。団長のゲオルギウスが弔辞を述べる。あちこちからまたすすり泣く声が聞こえて来る。そっとメリッサの方を見ると、耐えるような表情をしていた。弔辞が終わり、皆で一斉に敬礼をする。死した仲間に見せる敬礼は、これが最後になるのだろう。
式が終わった後は、アイギスの墓地に埋葬する棺を墓地まで運ぶ。楽奏隊がいない為、哀悼の意を込めた葬送曲の代わりに鐘が鳴る。シェルティアも棺を運ぶ人員に選ばれた。葬列はゲオルギウスが馬に乗って先頭を歩き、旗手がそれに続く。道中、野次馬が集まり、葬列は見物の格好の的となる。中には祈りを捧げる人もいたが、大半は物珍しさに見に来ては、ひそひそ話をするだけの輩である。仲間を侮辱された気がして、シェルティアは容赦なくそのような者たちを睨んだ。
墓地に着くと、黙祷が捧げられた後に管理者が予め掘っておいた穴に棺を入れ、隊員たちの手で土が掛けられる。シェルティアはその光景を眺めながら、昨日まで二本足で立っていた人間が、今日は棺に横たえられ、更に土で埋められるという流れに、不思議さと不条理さを感じた。
本部に戻ると、アシュレイから召集がかけられた。討伐隊の隊員たちだけで顔を合わせるのは、昨日の作戦会議以来である。アシュレイは暗く沈んだ面持ちではなく、普段通りの、感情が何も感じられない表情であった。
「皆、昨日はご苦労だった。そして…仲間を失ってしまったことを大変残念で、悲しく思う。だが、下を向いてばかりで何もしないのは、失った仲間たちにとっても本意ではない筈だ。仲間の死を無駄にしない為にも、我々はこれからもネメシスと戦い続けなければならない。今、研究班、調査隊と合同で今後の作戦が練られている。諸君らは新たな任務が通達されるまで、あの新種のネメシスに対抗でき、更にそれよりも強くなる為に鍛錬に励んでもらう! …以上だ」
「待って下さい!」
アシュレイが話を終えようとしたとき、一人の少年の隊員が声を上げた。皆はその隊員を一斉に見る。
「昨日仲間が死んで今日弔われたばかりなのに、もう普段と同じことをしろというのですか!?」
その隊員はシェルティアよりも若く、アイギスに入ったばかりであった。アシュレイは表情を崩さない。
「では逆に訊くが、我々は悲しんでただ茫然と何もせず、徒に時間を潰すべきなのか?」
「そ、それは…!」
「我々の使命はネメシスの討伐であり、このアイギスに入団した以上は死をも覚悟をしなければならない。そして斃れた仲間たちは覚悟と命を引き替えに、ネメシスに立ち向かって行ったのだ。それなのに遺された我々が何もしないのは、彼らを侮辱することと同じだ!」
アシュレイは声を張り上げ、隊員は委縮する。そして小声で謝罪し、俯いた。アシュレイは再び皆の顔を見回す。
「…では、本日の予定については以上だ。それとシェルティア、このあと隊長室に来てくれ」
「は、はい!」
シェルティアは不意に名前を呼ばれたので慌てて返事をする。アシュレイが退室し、皆がそれぞれ雑談を始める。シェルティアは自分が何かしたのだろうかと、緊張しながらも隊長室に向かった。
「失礼します」
シェルティアは初めて隊長室に入った。中は団長室と同じで、余計な者は一切排除した質素な内装である。アシュレイはシェルティアに歩み寄り、前に立つ。
「…まず、報告しておく。重傷の為に病院にいる者たちは皆快方に向かっている。ジュードもそうだ。アンネッタは今日の夕刻にこちらに戻る予定になっている」
「そうですか、良かった…」
シェルティアは心底安堵した。これ以上仲間を失いたくないというのもそうだが、万が一にもジュードに何かあったときのアンネッタが気掛かりで仕方がなかった。
「だが、分かっているとは思うがジュードは当分戦線には出られない。そこで、ジュードが担っていた副隊長の役目を暫くの間、お前に任せたいと思う」
「えっ!? そんな…私はまだ入団したばかりです! とてもそんな重要な役目は…他に相応しい人は沢山います!」
思わぬ話にシェルティアは戸惑う。自分には身に余る地位である。
「大丈夫だ。お前ならきっとできる。団長にお前の名を出したとき、団長もすぐに承諾したしな。もっとお前は自分に自信を持て。それに、副隊長と言っても肩肘張るような仕事ではない。俺が呼んだときに、頼んだことをやってもらえれば良いだけだ。…頼まれてくれるか?」
「……分かりました。何とか…頑張ってみます」
アシュレイの言葉に押される形で、シェルティアはそう答えてしまった。シェルティアの返答を聞いたアシュレイは微笑む。
「引き受けてくれたこと、感謝する。今はまだ特に任務も無い。何かあったらまた呼ぼう」
シェルティアは力無く返事をすると、隊長室を後にした。ここ数日間で自分の身にも周りにも色々なことが起こり過ぎている。シェルティアは疲れ不安が入り混じったため息を、一つついた。
「あんた、副隊長になったんだって?」
訓練の合間にメリッサがそう話しかけてきたので、シェルティアは驚く。
「…どうしてそれを…?」
「スタンリーのバカが盗み聞きしていた内容を吹聴して回っていたわよ。まるで自分の自慢話のようにね」
「スタンリー…!」
あとで会ったら軽く殴ろうと、シェルティアは拳に力を込めた。
「副隊長とは言うけど、実質は隊長の補助だけのようなものよ。ま、頑張りなさい」
メリッサが笑いながら軽く肩を叩いた。以前ならば考えられなかった反応である。
「…でも、何で私なんかが選ばれたんだろう…」
明るいメリッサに対し、シェルティアは沈みながら呟いた。
「それはあんたが思っている以上に、周囲から買われているってことでしょ。…副隊長になるとその分負う責任も重くなる。あんたはその責任を負うだけの力があるって認められたのよ。そしてあんたもそれを自覚しなきゃいけない。…ま、そう言ったものの、普段通り過ごして入れんば何の問題も無いわよ」
「…うん、そうだよね。ジュードが戻ってくるまでの間、きっちり責任を負わなきゃ」
「ジュードか…あいつがこの話を聞いたらどう思うかしらね」
メリッサは心配そうに呟いた。
「ジュードが?」
「あんたも知っているでしょうけど、あいつは副隊長って言う肩書を誇りにして、周囲からの冷たい視線に耐えてきた。それが無くなるってことは…」
メリッサの言葉で、自分が副隊長になった話を聞いたジュードが、どのような反応をするのかは容易に想像できた。ジュードが戻ってきたら、どのような顔をして会えば良いのだろうか。新たな悩みがまた増えてしまった。
訓練を終えて部屋に戻ると、自分の机で読書をしているアンネッタがいた。
「シェルちゃん!」
シェルティアに気が付いたアンネッタは椅子から立ち上がる。
「アンネッタ!」
シェルティアはアンネッタの顔を見ると、様々な感情が込み上げて来た。アンネッタに駆け寄ると、思わずアンネッタを抱き締める。
「良かったアンネッタ…元気そうで…!」
「シェルちゃん…」
アンネッタは泣きそうな声で呟いた。シェルティアはアンネッタから体を離す。少しやつれたアンネッタの顔から、アンネッタの苦痛が伝わって来た。
「聞いたよ、メリッサからアンネッタの本当の過去…。私に気を遣って違うことを言ったのよね? それなのに私は全然気が付かなくて…本当にごめんなさい」
「ううん、私の方も時期が来れば本当のことを話そうと思っていたの。でもそれが逆にシェルちゃんを傷付けたのなら…私の方こそごめんなさい」
「アンネッタは何も悪くない! …今まで辛かったでしょう? アンネッタが今まで心の支えになってくれたように、今度は私がアンネッタの支えになる!」
「シェルちゃん…」
そこでアンネッタはシェルティアの胸に飛び込み、せきを切ったように泣き始めた。シェルティアはアンネッタを抱きしめ返し、アンネッタの涙が止まるまでじっとして、アンネッタの悲しみや苦しみを受け止めることにした。
「ジュードは順調に回復していて、三日後にはこっちの医務室に移るって。でも、戦線に戻るにはまだまだ時間がかかるって…」
泣き止んだアンネッタはシェルティアと並んでベッドに座り、話を始める。
「ジュードが怪我をしたのは私のせいだから、ジュードがこっちに来たら暇を見て看病しようと思うの。せめて彼が一日でも早く戦いに戻れるように、力になりたいんだ」
「アンネッタ…気持ちは分かるけど、あんまり自分を追い詰めちゃ駄目だよ?」
「大丈夫。辛いときはシェルちゃんに話すから!」
アンネッタはそこで笑顔を見せた。ようやくアンネッタの笑顔が見れたことで、シェルティアもほっとする。
「そうだ、聞いたよ! シェルちゃんが副隊長になったって! やっぱりシェルちゃんは凄いよ!」嬉しそうなアンネッタとは対照的に、シェルティアの胸はちくりと痛む。
「ありがとう…ジュードが戻るまでよ。でも、ジュードがどう思うか…」
「そう…そうだよね…きっとジュードの耳にも入ってくるだろうし、どう対応したら良いんだろう…」
そこで二人は沈黙する。シェルティアもアンネッタも、この件に関してはジュード次第なので如何ともしようがなかった。
三日後、ジュードが本部に戻り医務室での治療を始めることとなった。シェルティアはジュードと会うべきかどうか逡巡していたが、
「シェルちゃん、ジュードがシェルちゃんと会って話をしたいって…」
とアンネッタに呼ばれたので、自分の意思とは関係なく会わなければならなかった。
医務室の一番奥のベッドにジュードはいた。今は体を起こした状態で虚空を見つめていたが、シェルティア達が近付くとそちらに目を向けた。アンネッタとシェルティアは並んでジュードのベッドの横に座った。
「悪いな、時間を取らせて」
ジュードは至って冷静であった。
「ううん、大丈夫。それより具合はどう?」
シェルティアは何とか笑顔を作って訊き返す。
「何ともない、これくらいの傷…。それよりも、隊長からの手紙で知った。お前が新しく副隊長になったんだってな」
「…そうだよ。でも、それはジュードが戻ってくるまでの代理よ」
「違う。きっとこれを機に副隊長はお前に代わるんだ」
「そんなことないわよ。だって隊長は…」
「違う!」
ジュードは怒鳴ったあと、傷に響いたのか少し顔を歪める。
「団長は今まで仕方なく俺に副隊長をやらせていたんだ。団長の甥という面子を保たせる為に! だが、お前のような天才が現れてからはもうそんな必要は無くなったんだ。俺は…周りの、七光りを責めるような目をする奴らを見返す為に鍛錬を積んで、ネメシスを多くでも倒すようにしてきた。だが…そんなことをしても結局お前には敵わなかった。…俺は道化以外の何者でもない」
ジュードは自嘲の笑みを浮かべた。シェルティアは反論しようとしたが、今のジュードには何を言っても否定されてしまうだろう。言葉がうまく見つからず、ぐっと黙るしかなかった。
「お前は、そんな下らない理由でネメシスを倒していたのか?」
突然背後から声がしたので、シェルティアとアンネッタは驚いて振り向く。
「団長!?」
シェルティアは思わず叫んでしまった。ゲオルギウスはそのままシェルティア達の向かいに座り、置いてあった椅子に腰かけた。
「どうしてここに…」
ジュードもまた、驚愕の表情を見せる。一方、ゲオルギウスは険しい顔をしていた。
「おじとしてお前の様子を見に行こうと思ってな。ところがどうだ、聞こえて来たのは情けない言葉ばかりだ。…もう一度問う。お前は自分の面子の為だけに戦ってきたのか?」
「…ああ、そうだ! 俺は周りの奴らを見返す為に…」
「この大馬鹿者が!」
ゲオルギウスの一喝がビリビリと耳の中に響いた。ジュードは怯む。
「自分の欲の為だけにネメシスを倒すなど言語道断だ。アイギスはネメシスから人々を守る為に存在する組織だ。その理念を理解しようとせず、ただ己の欲を満たす為だけに剣を振るうとは…。お前は剣の才能があるからアイギスに入れたが、とんだ見込み違いであったようだ。副隊長はお前が復帰してからもシェルティアに任せるとする」
そこでゲオルギウスは立ち上がった。ジュードの顔は青ざめ、全身を震わせている。ゲオルギウスはそのまま去ろうとしている。このままではいけない、とシェルティアは直感する。
「団長! 待って下さい!」
立ち上がり、ゲオルギウスを呼び止める。ゲオルギウスは何も言わずにその場で止まった。
「ジュードはジュードなりに苦しんで…何とかこのアイギスに居場所を見つけようと、団長の七光りだと思われまいと頑張っていたんです! だから…ジュードをそんなに責めないで下さい…」シ
ェルティアの言葉に対し、ゲオルギウスは何も言わず、再びジュードの方を見た。
「ジュード、お前は私の甥というだけで副隊長に任命したと思っていたようだが、それは違う。お前を副隊長にしたのは、当時飛び抜けて剣の腕が優れていたのと、どんな状況でも冷静でいられたからだ。選抜した理由はそれ以外にはない。…私が言いたいのはこれだけだ」
ゲオルギウスは踵を返し、今度こそジュードの元を去った。シェルティアはジュードを見る。
「俺は…俺は…」
ただそれだけを俯いて繰り返し呟き、その呟きはシーツへと落ちていった。
アンネッタから「ジュードのことは任せて欲しい」と言われ、シェルティアは訓練へと戻った。今後ジュードはどうなるのだろうか、と考えながら剣を素振りしていると、隊長のアシュレイが現れた。シェルティアは剣を下ろすと、アシュレイの方を向く。
「明日、先日討伐したネメシスの研究報告と、現在の足取り、そして討伐についての会議を開く。副隊長であるお前にも出席してもらいたい。…今度こそ奴らをすべて討伐しなければな。明日の午前十時に会議室に来てくれ」
「はい、分かりました」
シェルティアは背筋を伸ばして答えた。副隊長としての仕事はこれが初めてである。ジュードのことは気にかかるものの、今は自分の役目を全うすることに決めた。
「連絡は以上だ。それと…もうジュードには会ったか?」
「はい、それが…ジュードと話しているときに団長がいらっしゃって…」
それからジュードとゲオルギウスのやり取りの一部始終をシェルティアは話した。
「そうか…ジュードに対する団長の配慮には気付いていたが…俺ももっとそれを話してやるべきだった」
「でも、今回の話し合いでジュードはようやく気付いたと思います。その後でジュードが立ち直れるかどうかは…ジュード次第です」
「そうだな。俺も後で様子を見に行こう。訓練中邪魔をしたな」
「いえ、わざわざご連絡の為に足を運んで下さり、ありがとうございます」
アシュレイはシェルティアの言葉に頷くと、訓練場を後にした。
翌朝、シェルティアは指定された時間よりも早めに会議室に入り、席に着いた。他には自分の他に副隊長と思われる若い隊員が二名、調査隊と研究班の人間がいた。研究班の少年は見たことのない顔であった。そのあとでアシュレイら隊長、続いて副団長のレイナと団長のゲオルギウスが入室してきた。全員起立し、ゲオルギウスが口を開く。
「これより、猿のネメシス残党に関する対策及び討伐についての会議を行う。皆着席せよ」
そこで椅子の引く音を立てながら、皆席に着いた。
「ではまず研究班より、討伐隊が持ち帰った検体の研究結果について聞かせてもらおう」
「はい」
班長のケヴィンと、副班長の青年が立つ。
「かのネメシスを解剖しましたところ、ネメシス結晶、臓器などはこれまでのネメシスと同様の造りでしたが、一点だけこれまでのネメシスと違う点があります。それは彼らの頭部に、我々人間の脳に相当する臓器があるということです。また更にこの臓器を調べてみますと、我々の脳に近い造りになっています。これにより人語の理解や会話、そして武器を使いこなすなどの学習が可能になったのではないかと考えられます」
ケヴィンの報告にその場はざわつく。当然シェルティアも驚かずにはいられなかった。死んだ仲間は半ば人間に殺されたも同然である。
「なぜそのような進化をネメシスはしたのでしょうか?」
レイナがケヴィンに尋ねる。
「これはまだ仮説の域を出ませんが、同じネメシスの共食いや、人を捕食した過程で、脳に匹敵する臓器が造られたと考えられます。そして知能は人間の子供で三歳から五歳程度のものを有しているとも推測されます」
「人間に近いネメシスか…今までの傾向を見ていると、そのようなネメシスが増加する可能性は極めて高い。早急に手を打たなければならないだろう。…では次に調査隊、ネメシスの残党は現在どうなっているのかを報告してくれ」
「はい」
ケヴィン達が着席すると、今度は隊長のガレオンと副隊長の青年が立ち上がった。シェルティアはガレオンを初めて見たが、その外見や雰囲気からすぐに、歴戦の兵士であることが窺えた。
「現在広域的に調査を行っている隊員たちの報告によりますと、ボスを失ったネメシス達は巧妙に調査隊の人間の目をかいくぐり、帝都中を移動していました。ですが昨日、そのネメシスの群れが剣の丘東部、〝鉄樹の森〟付近に集結しているのを複数の隊員が目撃しています。バラバラとなっていた奴らが集まったということは、そこが奴らの根城である可能性は高いでしょう」
「承知した。では近日中…いや、明日にでも討伐隊にはそこに向かい、奴らを仕留めてもらいたい。討伐隊に何か策はあるか?」
ゲオルギウスはアシュレイに水を向ける。
「はい」
アシュレイが立ち上がったので、シェルティアもそれに合わせて立ち上がった。アシュレイの作戦は初めて聞く。
「奴らが知性を有しているのならば、今まで通り現地に赴いてそのまま討伐、ということは難しいでしょう。なので我々は奴らを〝狩り〟の方法で仕留めようと思います」
「狩り…具体的にはどのような方法で?」
レイナが追求する。
「まず討伐隊を分断させます。分隊1をまずアイギスの者だと分からぬようにマントを被せ、鉄樹の森に配置します。そして分隊2がネメシスを鉄樹の森まで追い込み、挟み撃ちにする…という方法です。しかし、我々討伐隊は先の戦いで負傷者を多数出し、まだ復帰できない者も大勢おります。人員不足が現時点での問題です。そこで、調査隊にも本作戦に協力していただきたい。どうでしょうか?」
「承知した。分隊1と2両方に我が隊を派遣させよう。ただし、技量はそちらの方が上であり、戦力的にはあまり期待しないでいただきたい」
「滅相もございません。調査隊もネメシスに遭遇し、襲われそうになったときは戦っている筈。十分過ぎる戦力です。ご協力、感謝致します」
「うむ、気にするな。我々は仲間なのだからな」
ガレオンは噛み締めるように言った。
「では討伐隊、明日にでも出撃できるか?」ゲオルギウスが訊く。
「はい。午前に作戦会議、午後に出撃したいと思います」
それから会議は確認や質問を何度か交わした後で、解散となった。
会議が終わったあと、アシュレイとシェルティアは待機室に赴き、前もって隊員たちに明日の討伐作戦のことを伝えておいた。皆に緊張が走る。あのネメシスの脅威を目の当たりにしたのだから、辞退する者も出てくるかもしれない。だが、それでも出撃しなければならないのが兵士であった。アシュレイは会議で提案した作戦が通ることを見越して、出撃するメンバーを既に決めていた。名を呼ばれた者の中にはやはり、暗い表情になる者もいた。そして、出撃メンバーの中にアンネッタ、メリッサの名は無かった。アンネッタもメリッサも、心境を配慮してのことである。
「出撃するメンバーは以上だ。分隊については明日、調査隊との合同作戦会議で振り分ける。以上だ」
アシュレイはそこで話を終えようとしていたそのとき、
「待って下さい!」
メリッサが叫んだ。皆は一斉にメリッサに注目する。メリッサは懇願するような表情をしていた。
「私も出撃メンバーに入れて下さい! 私は十分に戦えます!」
「任務に私情を挟むことは、失敗に繋がることもある。今回の作戦は尚更失敗できない。だからお前を外したんだ」
「…私情が入っているのは承知しています。ですが、私が剣を振らなければ、死んでいった彼女たち…仲間の想いを次に繋げていくことは出来ません! どうか、お願いします!」
メリッサは頭を下げた。皆は小さく驚きの声を漏らす。シェルティアはアシュレイを見た。
「隊長、私の方からもお願いします! メリッサの言う通り、メリッサは死んだ仲間の想いを背負うことを決意しています。…よろしくお願いします」
シェルティアも頭を下げた。アシュレイはメリッサとシェルティアを交互に見ると、軽く頷く。
「…分かった。くれぐれもその想いだけに囚われて、死に急ぐことのないようにな」
「あ…ありがとうございます!」
メリッサは喜びで一旦顔を上げたあと、また頭を下げた。シェルティアはほっとする。
「では、各自明日に備えて準備をしておくように。以上だ」
「はっ!」
全員が返事をする。アシュレイは踵を返して待機室を後にした。その直後、シェルティアの元にメリッサ、アンネッタ、そしてスタンリーが集まって来た。
「…ありがとう。あんたが口添えしてくれなかったら、私は出撃出来なかったかもしれない」
メリッサは笑顔で言った。スタンリーだけは信じられない、といった表情をする。
「私は何もしてないよ。メリッサの想いが隊長に伝わっただけ。…でも隊長が言ったように、無理だけはしないでよ?」
「分かってるわよ」
「…ごめんね皆、今回出撃出来なくて…」
次にアンネッタが申し訳なさそうに言った。
「気にすんなよ。隊長の命令じゃ仕方がねえ。残ったネメシスの奴らででっかい焚火するからよ」
スタンリーがにっと笑い掛け、アンネッタも頬が緩んだ。
「そういえば、ジュードの様子はどう?」
シェルティアはふと、昨日ジュードを見舞ってから様子を見ていない為、気になってアンネッタに尋ねた。
「団長とお話ししてからだけど、暫く落ち込んでいて…私が話しかけても何も答えてくれなかったの。でもさっき、朝食を届けに行ったら、『早く隊に復帰したい』って話してた。表情もどこか少しだけ明るくなってて…ふっ切れたんじゃないかな」
「そう、良かった…」
ジュードはようやく、自分が団長の甥という理由だけでここに置いてもらっている訳ではないということに気が付けたのだろう。
「シェルティア!」
訓練場に向かう途中、シェルティアは突然背後から声をかけられた。シェルティアが振り向くと、赤毛にそばかすの少年が笑顔で駆けて来た―ト二ーである。
「ト二ー!」
久し振りのトニーとの再会に、シェルティアの顔は綻んだ。
「元気そうだな、シェルティア!」
「ト二ーこそ! 最近は研究で大変だったでしょ?」
すると、ト二ーの顔から笑顔が消える。
「ああ…でもそっちはもっと大変だっただろ? 辛いよな、仲間を失うのって…」
「うん…でも、皆立ち直って明日の作戦に向けて士気を高めている。失った仲間の無念を晴らす為には、ネメシスを倒すしかないから…心配してくれてありがとう」
「いや、礼には及ばないよ。…でも無理はしないでくれよ? 出撃出来ない分、僕たちも知性を有したネメシスの弱点を見つけられるように、研究を進めるからさ!」
「期待してる。でも、そっちも無理しないでね」
「ああ! っとごめん、訓練に行く途中だったんだよな。邪魔してごめん」
「気にしないで。それじゃあ今度はそっちに遊びに行くから!」
「それは楽しみだな。皆にも伝えておくよ。それじゃあ!」
トニーは手を振りながらその場を離れ、シェルティアも手を振り返した。
翌朝、午前の調査部隊との合同作戦会議により、シェルティアはネメシスを迎撃する分隊2に配属された。メリッサはシェルティアと同じ分隊に。スタンリーはネメシスを銃で脅して追い込む分隊1に配属された。分隊1の指揮はガレオンが、分隊2の指揮をアシュレイが執ることとなった。いつもより昼食を早めに済ませると、分隊2の隊員たちには茶色のフード付きマントが渡された。
「あんたのその銀髪、ネメシスに見つかり易いかもしれないから、フード被った方が良いんじゃない?」
「そう?」
メリッサに指摘され、シェルティアはフードを被った。
分隊2は鉄樹の森でネメシスを待ち伏せする為、先に出撃する。今回の馬もメリーであった。シェルティアはすっかりメリーとも良い友人同士となった。
―帝都の北東部に、黒に近い濃い緑の一帯が見える。シェルティア達の剣の鞘の材料ともなっている鉄樹。文字通り鉄にも匹敵する木の皮の硬度を持つ木が群生した場所が〝鉄樹の森〟である。帝都から少し離れたこの場所に住人は少なく、いるとしても鉄樹を伐採する樵(きこり)だけであり、森へ入るのも樵たちだけである。調査隊の事前の通達により、樵たちはこの森へこの一日、入らないように伝えてある。だが樵たちは森が荒らされるのを心配してか、あまりいい顔はしなかった。
シェルティア達はその森へと辿り着いた。馬は森に一番近い牧場に、チップを払って預けさせ、隊員たちだけで静かに森の中へと入る。鉄樹の木肌は黒く、葉は針葉樹林で一年中生い茂っている為、日があまり差さない。本当に鉄の檻に入れられたかのようである。むせ返りそうな木の香りが、ここが森であるということをやっと思い出させていた。そして、全ての生物を狩り尽くしてしまったように森は静かである。―森が静かなときはネメシスがいるという証拠であるということにシェルティアは最近気が付いた。
分隊2の隊員たちは横一列に並んで広がり、ネメシスを待ち受ける。シェルティアはメリッサの傍でバックアップをするようにアシュレイから言われた。もしものときとは、自分が以前に錯乱したときのような状況を指している。
「ネメシスの奴ら…絶対に一匹も逃がさない…!」
メリッサは小声で、拳を強く握りしめながら呟いた。今のメリッサの気持ちは、シェルティアには痛い程理解できる。
―乾いた破裂音がした刹那、鳥たちがギャアギャアと騒いで飛び立っていく。来る―シェルティアは剣の柄に手を掛けた。
『アアアア!』
茂みから二体の猿のネメシスが鎌を持って現れた。シェルティアは鞘から剣を抜くと、ネメシスが手にしている鎌を受け止めた。一度弾いて後ろに飛びのき、ネメシスと距離を取る。ネメシスは唸りながらシェルティアと間合いを取った。やはり、今までのネメシスとは違う。まるで人間のように、相手の隙を狙いつつ自分への警戒も怠らない。だが、メリッサと戦ったときと比べれば、目の前の猿は剣を持ったズブの素人同然である。シェルティアは自分から向かっていくと、右上から斬ると見せかけて、左下から素早く胴から顔を斬った。
『ウギャアアア!』
ネメシスが悲鳴を上げて地面に転がった。そこへ畳み掛け、胸部を突いた。ネメシスは一層大きな声を上げ、そのまま力尽きた。
「やあああーっ!」
ふと、近くにいるメリッサに目を遣ると、自分が戦ったときと同じように、流水のような剣さばきでネメシスを鮮やかに斬り付ける。今までのネメシスはどうか分からないが、少し知恵を付けたたネメシスならば、剣技を身に付けたメリッサの方が有利かもしれない。あっという間にメリッサはネメシスに止めを刺した。
再び銃声が聞こえ、それに追われてきたかのように木から木へと移動し、降りて来たネメシスと遭遇する。この動きを見ていると、アシュレイの追い込みを変える仮の作戦は成功のようである。シェルティアは剣を構え直した。
もう何体、何十体倒したのか分からなくなってきたところで、ようやく一体だけになった。ネメシスはまずメリッサに向かって行ったが、ものの見事に攻撃をかわされ、シェルティアの方に転がりこんで来た。シェルティアは背後に回ると、そこから胸部へ向かって一突きする。そこでネメシスは倒れた。だが、断末魔の叫び声は上げない。こんなこともあるのかと、シェルティアは剣をネメシスの体から引き抜いた。すると、ネメシスはぎろりとシェルティアを見る。シェルティアは驚いて、再び剣を向けた。しかし、ネメシスは何もすることは無く、ゆっくりと口を開く。
『ワレラハ…モット人間ノ血肉ガ、必要…ワレラ…人間ヲ…滅ボス』
そこでネメシスは血を吐いて倒れ、微動だにしなくなった。
「…何なの…? 今のは……」
シェルティアは倒れたネメシスを見て呟く。傍で見ていたメリッサも、
「不気味ね…予言でもしたつもり?」
と呟いた。
燃えるような夕空に変わった頃、討伐完了を知らせる黒い狼煙が上がったのは、その後であった。
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