第2話 午後6時の残響
「安藤君ってさ、結構怖い奴だったんだね」
「? なんだい、いきなり」
『午後2時の陽炎』が去った一週間後の事だった。放課後、担任から頼まれた作業をこなしていると、これまで話した事もないようなクラスメイトが強張った表情でこちらを見ていた。
「いや、んーと。ほら先週あれあったじゃない?」
「ああ、あれか」
あの事件で学校は大騒ぎとなった。生徒だけでなく、何人かの教師も男子生徒が消失する瞬間を目撃していたのだ。心身に不調を訴える生徒が続出し、教師も一人辞めていった。一週間経って少しは騒動も落ち着いたが、校外からカウンセラーがやってきたり、警察らしき人物が生徒に話を聞いていたりと、騒がしい日々は続いていた。
事件を思い起こして、少し心が満たされる。彼女はどうなったのだろう。地獄にでも堕ちたか、消え去ったのか。ほんのりと通じ合うものがあったから、幸福な結末を予想したいが、待つのは暗い道だろう。
思い返す姿をクラスメイトはジッと見つめていた。
「あの時……見たんだ。安藤君、笑ってたでしょ」
その言葉に鋭さを感じた。なんだ、見られてたのか。一応言い訳した方がいいのかもしれない。
「怖すぎて笑っちゃったんだよ。昔っから、想定外の事があると誤魔化し笑いしちゃうんだ」
「本当?」
「ほんと、ほんと。見た瞬間、頭が真っ白になったね。にしてもみんな現金だよな。あれから一気に怪談ブーム来たし。僕は怖くって、そういうのは懲り懲りだ」
「……」
クラスメイトは暫く黙っていたが、溜息をついて顔を上げた。
「ごめんね、変な事言っちゃった」
「まだ一週間しか経ってないし仕方ないって。それじゃ僕はそろそろ。今日は塾があるからね。面倒ったらありゃしない」
「そう。それじゃまた塾でね」
手を振って別れた。また塾ね? ……ああ、そういえば。今のクラスメイトは同じ塾に通っているんだった。それにしても、何て名前だっけか。
血というには少し明るい朱色の空の下を歩く。カアカアという烏の鳴き声が、不安を掻き立てた。先週の事件のせいか、ああいうモノをどうしても警戒してしまう。彼女のように通じ合える存在ばかりとは思えないからだ。
ヒタヒタと舗装されていない道を歩く。田舎道は酷く静かで不気味だ。自分以外、全くと言っていい程に人影は無い。
だというのに……ふと見られている気がしてキョロキョロと周囲を見渡した。誰もいない。溜息をつく。少し警戒しすぎてやしないか。そして、足早にその場を去った。
塾に行っても、まだ先週の事件の話題は続いていた。この塾は、主に二つの学校から生徒が通っている。他校の生徒にとっては、一つの笑い話のように事件は捉えられていた。お調子ものの同級生は、派手に脚色した内容を自慢気に語っている。
どんな出来事も、終わった後はこんなもんだ。恐怖は忘れ去られ、ただの笑い話に成り下がる。
視線を動かすと、あのクラスメイトがいた。恨めしげな目で、噂話に興じる連中を見つめている。それに興味を覚える。何か、まだこの事件で楽しめそうな気がした。
「友達の彼氏だったの。彼女、凄く落ち込んでて。大分思いつめてるみたい」
塾が終わった後、彼女に尋ねてみた。何か先週の事件で思う事があるんじゃないかと。溜め込んでいたのか、決壊したダムのように言葉を溢れさせてくる。
「あの子、全然学校に来ないの。当たり前だよね。彼氏が消える姿を直接見ちゃったんだもの。毎日訪ねてるけど、日に日に痩せちゃって。お洒落な子だったのに、お風呂にも入ってないみたいで髪の毛もボサボサなの。……あの子、立ち直れないかもしれない」
成る程と頷く。だから、このクラスメイトはこっちに噛み付いてきたり、噂話をしている生徒を恨めしそうに見ていたのか。
「今は少し時間をあげた方がいいと思うよ。あんまり知らなかった僕でも、かなり衝撃受けたし、彼氏だったんなら尚更だよ」
「うん……だけど、あの子ほっとくと変な事を考えそうで。復讐してやるって言ってたから」
「復讐? あの『午後2時の陽炎』に?」
その後のクラスメイトの言葉に少し戦慄した。
「それもだけど……噂を流した相手にだって。陽炎に触ったら願いが叶うなんて噂を流した奴に、絶対思い知らせてやるんだって」
噂の出処を探すというのは、そんなに簡単な事ではない。自分の存在が知られる心配は、そこまでしなくてもいいだろう。噂を流す時も、誰かから聞いたという体裁で流した。バレる事はないはずだ。
しかし、帰り道で感じたあの視線が気になる。もしもがあるかもしれない。ならば対策をしておかなければ。
相談に乗る振りをして、少しずつ情報を引き出していく。外面を取り繕うのは得意だ。こちらを信頼したクラスメイトは色々と漏らしてくれた。その子の家の場所、交友関係、どんなものが好きなのか。ああ、そうだ。あの罠に掛かった男子の人間関係も把握しておかなければ。確か、あの時グラウンドに出てきたのは3人。取り巻き2人は生き残っている。利用出来そうなパーツを集める。
学校で色々と面白い事を聞いて、密やかに微笑んだ。
2人の取り巻きの内、片方は不登校になっていた。彼のクラスメイト曰く、陽炎に触れるように勧めたのは、その取り巻きだったらしい。
偽の噂の出処も準備した。何処にでも噂好きのお調子ものはいる。目立ちたい功名心が強い女子に、君が噂を流したんじゃないかと聞いてみた。3人程当たって、2人は流石に否定した。最後の馬鹿が頷いた。
生贄となった彼を表立って嘲笑う連中にも目をつけた。どうやら、生前なかなかのイケメンだった彼に思うところがあったらしい。
情報は集まった。次は件の女生徒にどう流すかだ。あのクラスメイトを使うのは危険に思えた。幸いな事に、女生徒の交友関係は広く、親友と呼べる奴も多い。その内、口が軽そうな奴を選んでさり気なく情報を流す。
準備は整った。もはや彼女のいないグラウンドに微笑みかける。かつて満たしていた鬱屈とは無縁の生活。人を操る高揚感。『午後2時の陽炎』に感謝を。蜘蛛糸のように張った緻密な罠。後は蝶が飛び込んで来るのを待つだけだ。
そして週明け、件の女生徒は登校して来た。少し拍子抜けする。女生徒はきちんと化粧をしており華やかな風貌を取り戻していた。あのクラスメイトも、親友が元どおり元気になってくれたと喜んでいる。自分の考えすぎだったろうか? 張り巡らせた罠も無駄になってしまったのか。
静かに観察する。友達と話し込んでいた女生徒が、ほんの一瞬だけ笑顔を消した。能面のように感情の無い貌が現れる。ぶるりと震える。彼女は元どおりになどなっていない。確実に、何かをやるだろう。それも遠くない先に。
帰り道の空が紅い。この間とは違って本当に血のような紅。もちろんこんなのは唯の自然現象に過ぎない。しかし、まるでこの後に起こる事を予兆しているかのような空だった。
その日、あの女生徒は昼から登校してきた。精神的な問題もあり、教師はあまり咎めなかったらしい。
自分が噂を流したと認めた馬鹿な女子は文学部の部員だった。その部室は放課後以外、鍵が掛かっている。校舎でも3階の隅にあり、授業中滅多に人が近寄る事はない。故に、放課後扉を開けた部員達は恐怖の絶叫をあげた。
そこには喉を掻き切られ、舌を切断された死体があったらしい。何故そんな殺し方をしたのか、ただ自分にだけは予想がつく。もう死体は噂を決して囀らない。
不登校になっていた取り巻き。彼の両親は共働きだった。目撃者によると、午前中、その家から華やかな風貌の女学生が出てきたらしい。彼は、父親がジャズのレコードをかけるために作った完全防音の一室で、穏やかに微笑み、亡くなっていたようだ。彼はもう、友の事で思い悩み、布団の下で震える事はないだろう。
ここまでが、後で見聞きした事件。自分が直接見ていたのはここからだ。
「痛い、痛いぃいいい!?」
放課後、みんなが校舎から出て行くのをゆっくりと待っていた。流石に件の女生徒も授業がある内は動かないだろうとふんだ。動くなら放課後、幸い今日は塾も無く時間は余っている。パラパラと雑誌を開きながら、ゆったりとした時間を過ごす。
叫び声を聞いて席から飛び上がった。全速力で、声の場所へとひた走る。廊下で、腕を抑えて出血を抑える男子。その横で、冷徹に包丁を構える件の女生徒。逃げ出そうとした男子が足を引っ掛けられ転ぶ。水中でもがく蟻のように、無様に男子が蠢いた。
「なんだ!?」
「きゃあ!」
「おい、警察呼べ、警察!」
「先生呼んでくる!」
声を聞きつけ、次々と人が集まってくる。駆けつけた教師が止めようと近寄るが、それは無駄に終わった。
ガキリという、鈍い音。それは包丁と男子生徒の首の骨が立てた音だった。ケタケタと女生徒は笑っている。ケタケタ、ケタケタ。それは人のしていい表情ではない。生きながらにして鬼になったモノの表情。なんて醜いんだろう。なんて綺麗なんだろう。もはや息をしていない男子生徒の口から、女生徒は舌を引き出した。それが包丁で切り取られる。彼は最早、少女の恋人を嘲笑う事は出来ない。廊下に落ちた舌は、まるで蛭のように醜く、赤黒かった。
動かなくなった男子を蹴り飛ばし、女生徒は満足気に頷く。復讐が終わったのだ。では、次に彼女は何をするのだろう。奇声をあげながら、女生徒が走り去る。
「ま、待ちなさい!」
勇気と責任感を振り絞った教師が後を追う。女生徒は何処に行くのか? 決まっている。グラウンドだ。恋人が消えた場所だ。
「包丁持ってるぞ!!」
「誰か止めろよ!」
「血がついてる、やばいって!」
部活動をしていた野球部が、蜘蛛の子を散らすように場所を空ける。
女生徒は恋人の消えた場所にたどり着いた。ほんの一週間前まで『午後2時の陽炎』がいた場所に。皆が遠巻きにそれを見つめている。
女生徒は観客達をぐるりと見回して、そして。手に握る、分厚い刃をした肉切り包丁を、己が喉に突き立てた。何度も、何度も。ぞぶり、ぞぶり。血が吹き出る。ぞぶり、ぞぶり。女生徒は止まらない。ぞぶり、ぞぶり。喉だけでなく、胸も包丁で抉り始める。ずぶずぶと、ずぶずぶと。
少女の矮躯に、こんなにも大量の血が詰まっていたと、一体誰が信じるだろう。夕焼けと血にグラウンドが紅く染まる。あんなにも喉に包丁を突き立てて、しかし女生徒はまだ生きていた。自分の血で顔が真っ赤に化粧されている。ぐらりと地面に彼女が倒れる。その死を目前にした瞳が朧げに儚く揺れる。それが定まり、こちらを見た。
瞳に憎しみの火が灯る。生と死の境界で、少女は何かを掴んだのだ。何か、そう本当に復讐すべき相手、それは僕だ。
ずりずりと少女が地を這う。血の線が這った後ろに紅く残る。ずりずりと、ずりずりと。凍ったように動けないこちらに近寄ってくる。ざくざくと地面に包丁を突き立てて、体を引き寄せる支えとして。
奇妙なことに、恐怖よりも興味が打ち勝った。果たして、空虚な自分の中に、この少女程の感情は潜んでいるのだろうか? なんて羨ましい。憎悪に歪んだ鬼相のなんと美しいことか。
ほらおいで。君の仇はここにいるよ。
ずりずりと、ずりずりと、死を退けて鬼女が迫る。もう少し、ほらもう少しだ。頑張って。頑張って。
「愛佳!!」
そんな二人の時間を、その叫びが打ち破った。あのクラスメイトだ。親友の名前を叫び、全力で走ってくる。友の声を聞き、女生徒の顔から鬼が落ちる。ヒューヒューと言葉にならない呼気が、穴だらけの喉から漏れた。そして彼女の生は停止した。
午後6時を告げるチャイムが虚しく鳴り響く。夕焼けは、もう直ぐ紫に沈むだろう。それがこの事件の終わりの合図だった。『午後2時の陽炎』事件、その甲高い残響はここに鳴り止んだ。
午後2時の陽炎 ミート監督 @1073043
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