午後2時の陽炎
ミート監督
第1話 午後2時の陽炎
昼初めの授業はいつも気だるい。学食で腹にカツ丼を詰め込んだからか、妙に眠かった。運動部の連中はとっくの昔に睡眠モード。いつもは隠れてスマホを触る連中も、瞼が重いのか今は弄ってない。
欠伸を噛み殺して黒板を見る。駄目だ、全然頭に入って来ない。
頬杖をついて窓の外へ視線を移す。 グラウンドで体育でもしていれば、まだ面白かったのかもしれないが、誰もいない。少し視線を上げるとそこには緑の山。変わり映えの無い風景。さっさと帰ってゲームでもしたかった。
「おーい、×××。お前、これ答えてみろ」
「は、はい!」
運の悪い奴が教師に当てられて慌てている。女子のクスクス笑いが、眠たい自分にはウザイ。退屈でも窓の外を見てるのが一番だ。
カチッ、カチッ、カチッ。何だか妙に時計の音が大きな気がする。暇なときは、よくこういう風に感じるものだ。秒針の動きが遅い。さっさと休憩時間にならないだろうか。
カチッ、カチッ、カチッ。秒針がゆっくりと一周して、丁度午後2時を指した。
変わり映えの無い風景に、ふと違和感を感じた。
「あれ?」
誰もいないはずのグラウンド、そのど真ん中に何かがいたような……。
「気のせいかな?」
「こーら」
「わっ!」
後ろからの声に思わず腰を浮かす。いつの間にか先生が立っていた。
「さっきから呼んどるだろう。さっさと読み上げなさい。ページ47から48」
「へーい」
クスクス笑いに辟易しながら教科書を読み上げる。先程グラウンドで見た影は頭の中から消えてしまった。しかし、何とも言えない違和感だけが残った。
ぐるぐると退屈な生活は巡る。昼は授業、夜はゲーム、週3の塾。こんなんだったら、部活にでも入っておけば良かった。とはいえ、今更途中から入るのも気がひける。
そんな訳で、今日も教師の声を聞き流しながら窓の外をぼんやりと眺めている訳だ。
カチッ、カチッ、時計の音。もうすぐ2時だ。カチッ、カチッ。
長針が一周、丁度2時。その瞬間視界に何かが映り込んだ。思わず息を飲む。
人だ! 間違いなく、人の影。だけど、絶対さっきは居なかった。2時になると同時に、この間の陽炎と同じ場所、その人影は現れた。
この前は丁度教師に当てられたせいで目を逸らしてしまったが、今日は息を潜めて静かに観察できた。
確かに人型をしている。しかし、その姿はひどくぼんやりとしている。男か女かも分からない。少しの間、それは見えていたが、直ぐ煙のように消えてしまった。
気がつけば授業は終わっていた。心臓のバクバクは鳴り止まない。一体あれはなんだったんだろう?
その日から退屈な日常に、刺激的なスパイスが加わった。これまでのように昼を過ぎて眠くなることはない。
毎日毎日、午後2時に影を見た。それは段々と鮮明になっていった。体型から判断するに、どうやら女らしい。年代は同じくらいだ。服装は学生服だが、今のものとは違う。もしかしてと思って、図書室で卒業生のアルバムを見た。当たりだ。あの服は昔の学校のものだ。
その後は、彼女に関わっていそうな事件を調べ始めた。幽霊だとしたら、過去に何かあって彼処にいるのかもしれない。これは中々上手くいかなかった。それなりに歴史ある学校だ。事件、事故は幾つかある。
日々鮮明になっていく姿。それを見るたび、ある考えが頭の中をよぎるようになった。そう、酷く残忍な悪魔染みた考えが。
「なあ、午後2時の陽炎って知ってるか?」
「なんだ、それ」
「近頃噂になってんだよ。なんでも午後2時きっかりに、グラウンドの真ん中になんか見えるらしい」
「なんか見えるって、すげーフワッとした感じだな。七不思議とかそういうの?」
「そそっ。そんな感じ。何回も見てるうちに段々はっきり見えてくるんだってさ」
「はっきりねえ」
クラスメイトの会話に密やかに笑う。噂話は少しずつ浸透している。ちょっと噂好きの女子に話しただけでこれだ。みんな退屈で刺激に餓えている。もちろん次の刺激が来れば、直ぐにその噂は鮮度を失う。その前に馬鹿が出るかが重要だ。
そして実際に影を見たという生徒が増え始めた。噂に事実が加わって、怪談は加速する。『午後2時の陽炎』は完全に定着した。今日も窓から、あの人影を見る。そして微笑んだ。彼女へのプレゼント、もう少しで捧げる事が出来るだろう。
窓際席の連中は、みんなこそこそと窓の外に目をやっていた。こいつらには彼女がどう見えているのだろう。影を見た生徒たちは、口々にその姿を語った。女だった。いやいや、男でしかもスーツの大人だった。妖怪だった。子供が見えた。子犬だった。
もちろん嘘も混じっているんだろうが、もしかしたら影の姿は見る人によって違うのかもしれない。見たいと思った姿を、影に見ているだけかもしれない。それでもいい。自分があれを少女だと認識している事が重要なのだ。まるで恋してるようだと、少し自嘲する。実際はそんな甘いものじゃない。自分の中に渦巻くのはもっとドロドロとしたモノだった。
噂に一つ新しい要素が加える。曰く、午後2時の陽炎は、自分の見たいモノを瞳に映す。そして陽炎に触れたものは、見たモノを手に入れる事が出来る、と。
ワクワクとした期待感と、燻るような罪悪感。そして馬鹿は現れた。
カチッ、カチッ。時計の音。さあ、もう直ぐだ。また彼女を見る事ができる。
窓の外に視線を移す。しかし、いつもとは少し違う光景が待っていた。わざわざ授業をサボったのだろう、三人の男子生徒がグラウンドにいた。やった! 罠に食いついた!
彼らは腕時計をしきりに確認しながらソワソワとしている。間違いなく、彼女になんらかのアクションを起こそうとしているのだろう。
カチッ、カチッ、カチッ、カチッ。単調な時計の音が脳髄を満たす。目蓋が開きっぱなしせいで、眼球が乾き血走る。心臓はエンジンのように激しく動いていた。
そして彼女が現れる。常よりもはっきりと。顔の造作すら分かるようだ。その視線がこちらと交わる。醜く裂けた赤い口をパクパク動かし、彼女は何かを伝えようとした。そして笑う。仄暗い不吉な笑みだ。
どういたしまして。心の中でそう呟いた。彼女はこちらの意図を完全に理解していた。
男子生徒達がそろりそろりと近づいていく。生贄の子羊達が。
リーダー格らしい、体格のいい奴が彼女に手を差し出す。触れようとする。その手を逆に彼女は掴み引っ張りこんだ。
男子生徒が悲鳴を上げる。窓際で固唾を飲んで見ていた連中もだ。授業をしていた教師も、なんだなんだと確認しにいく。一瞬にして学校は狂乱の舞台となった。
掴まれた男子生徒が痩せ細っていく。どんどんと体積が減り、まるでエジプトの木乃伊のよう。そして贄は消え失せ、彼女と男子生徒の制服だけがグラウンドに残った。衆人環視の前で起こった超常現象。周囲に満ちる恐怖の声。この結果を招いたのは自分だ。呪われた妄想は現実となった。罪悪感を、しかしそれを上回る興奮が押し流す。
そして彼女はもう一度、こちらを見た。満ち足りた表情で手を振ってくる。別れがやってきたのだと、ふと理解した。午後2時の逢瀬は終わりを迎えるのだ。手を振り返す。さようなら、ありがとう。結局彼女の正体が掴めなかった事だけが心残りだった。
その日、一人の男子生徒は消え、『午後2時の陽炎』という怪談が完成した。恐怖と共に学校で語り継がれるだろう物語を胸に、僕は日常へと帰っていく。
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