参考記録

阿井上夫

参考記録

 午前六時ちょうどに、約束通り依頼人からのメールが届いた。

 クリーニングのために転送を繰り返し、海外を含む複数サーバを経由して届いたメールは、対象者に関する氏名や年齢といった基本データと添付ファイルだけの、時候の挨拶すらない無味乾燥なものだった。

 添付ファイルは対象者を正面から撮影した証明写真の画像で、彼は枠の中に感情が抜け落ちた顔で収まっている。このような証明写真は情報量が少ないので一番使いづらい。

 俺は代理人経由で受け取ったゴルフバッグを肩にかけると、速やかに部屋を出た。


 午前八時、ネットカフェで情報を収集する。

 検索サイトで氏名を入力して検索すると、驚くほど多彩な個人情報が入手できることを知らない一般人は多い。危機意識が希薄どころか、危機意識という言葉が辞書から抜け落ちているのではないかと思う。

 私の対象者は比較的ましなほうで、所属している業界団体の会合参加者一覧がヒットした。これで居場所が判明する。

 それにしてもネットカフェのフリードリンクは、どうしてこんなに味が薄いのだろう。


 午前十時、東京駅構内の雑踏で同業者を見つけた。

 この時期この場所で、中身がスカスカと思われるゴルフバッグを抱えているか、本人の雰囲気にそぐわない楽器のケースを携行している外国人がいたとしたら、十中八九同業者だ。

 ただ、通勤時間帯をわざと外したらしい行動は評価に値する。事前に念入りに現地調査をするタイプに違いない。

 行きたい方向は同じようだが、我々は自然に山手線と京浜東北線に別れて乗った。


 午後一時、支給品を組み立てながら、その完成度の高さに驚く。

 仕事では自分が手塩にかけた愛用の道具しか使わないという、古き良き時代の遺物のような同業者もいるが、俺は違う。仕事が終わった後、道具を持ってうろうろすることが最大のリスクと考えている。

 また、旋条痕から「私の仕事でございます」と吹聴しまくるのもどうかと思う。まあ、折々の支給品をみれば依頼人の本気度も分かろうというものだ。

 組み上がった道具を眺めていると、隅にこっそりと彫られたメッセージに気づいた。『メイド・イン・ジャパン』とある。

 ――なんだよ、模造品かよ。

 俺は苦笑するが、それはそれで悪くはない。ハンドメイドの模造品は、工業生産のメーカー品よりも仕上がりが優れていることが多い。

 ましてや、日本製とくれば尚更だ。


 午後三時、対象者を射程内に納めた。

 日光が反射して気づかれることを避けるために、スコープの蓋を閉める。そのまま時がくるのを待つのが俺のスタイルであり、よほど運が悪い時でもなければ、一日に一度は仕事に最適な時間が訪れる。

 しばらくすると流れが整いはじめる気配がしたので、俺は再びスコープの蓋を開ける。太陽に雲がかかって空が少しだけ陰り、風が凪ぐ。鳥や虫などの夾雑物の気配も消えた。

 時は満ちた。

 俺は模造ライフルの引き金を女の吐息のように引く。


 *


 オリンピックでは正式種目の他に、必ず裏の競技が行われている。二○二○年の東京大会では「狙撃」が選ばれた。

 まず、タイムトライアルで選手を絞り込む予定だったが、参加選手四十名のうち三十九名が、同日同時刻、午後三時二十七分二十三秒に狙撃を行ったため、それ以上のプログラムを行うに至らなかった。

 結果は参考記録として保存されることとなる。

 残る一名は通勤時間帯の満員電車中で「荷物が当たった、当たらない」という口論に巻き込まれて、鉄道警察に連行されてカバンの中を改められた。

 午後三時二十七分頃には、銃刀法違反容疑で警察署に収容されていたため、彼についてはリタイア扱いである。

 なお、模造銃だったことが分かり、刑は比較的軽めで済んだという。


( 終り )

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

参考記録 阿井上夫 @Aiueo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ