エピローグ (スタート地点)


 手術から二週間が経った。

 鈴乃は手術後、丸々二日間眠り続け、その後は寝たり起きたりを繰り返し、まともに意識が回復したのは五日後だった。

 忍は手術後、鈴乃に会うことはなかった。

 気恥ずかしさもあったが、今は会わなくても良いと言うことは直感的に分かっていた。

 補助人工心臓も良好で、動くことは制限されたが、特に不満はないらしい。拒絶反応が見られる兆候も無く、薬も少ないようだ。

 清一郎の紹介で、心臓移植を待つため、鈴乃を都内の病院へ転院させる算段は付いており、彼女は静かにその時を待っている。

 誠司は実家へ戻り、診療所から再出発をすると言っていた。何かに吹っ切れ、やるべきことを見つけた。そんな表情を忍は寂しさと同時に、うらやましく思えた。

「また、帰ってくる」それが、誠司が投げかけてきた言葉だった。

 アキラは忍の両親が後見人となることになり、中学校へ通えるようになったが、『一度、自分の親に会ってみたいので暫く留守にします。鈴乃にまたねって言っといて』と書き置きを残し、居なくなってしまった。

 毎日のように鈴乃の居る病院へ通い詰めていたので、忍としては意外だった。てっきり、次の手術まで付き合うものだと思っていたからだ。

 結局、家に残ったのは忍一人となった。

 両親も鈴乃の病院へ泊まり込み、着替えを取りに来る以外は帰宅せず、顔を合わせても軽く鈴乃の現状を聞くくらいだ。

 稔はともかく、和子と対峙するのは正直苦手だった。お互いがお互い、ギクシャクした感覚で気を遣っている気分になってしまう。しかし、和子は帰り際に必ずパンケーキを焼いてくれた。それが、彼女なりの気遣いと忍に対する罪滅ぼしだと言うことは分かっていたが、忍はそれにどう答えれば良いのか、考え倦ねていた。

 でも、今はそれで良い。今の自分は、待っているだけで良い。

 家があっても家庭がない。本当にそれが不幸なのか? 自分が居られる場所ではなく、みんなが帰れる場所になれば、それはそれで悪くはない。

「学校、行こうかな。それとも編入でもするか、今度は自分で決めて」

 初夏の日差しを浴びながら、忍は空を仰いだ。


―※―

 いつかの日の午後のこと。日だまりが差し込むリビング、ソファに置かれたパグの縫いぐるみ。黄金色の光と風に触れ、新調したカーテンが微かに揺れた。

「ただいま」

 誰かに声を掛けられた気がした。

「お帰り」

 彼は心の底から返事をした。

 お互いが気恥ずかしそうに、静かに笑みを向け合った。


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家庭内ホームレス とららん @Toraran

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