第2話雷鳴と共に来る者は?
俺の執務室には大きな窓がある。
仕事に対するやる気がなくなると、椅子を回して窓の外を眺める。仕事は概ねやる気が無いので、窓の外を見る時間は必然的に長くなる。
そこに雄大な風景が広がっているかと言えばそんなことはない。基本的に見えるのは石壁である。
この執務室は城の三階に相当する場所にある。城をぐるりと取り巻く石塀は四階分相当の高さがある。よって三階の窓の目の前にあるのは石壁であり、ちょっと視線を上に上げれば空が見えるだけである。
基本的に見えるのは石壁と空だけである。街の様子や、遠くに連なる山脈はもちろん、一本の木も草も見えない。工業が発展していない世界の空は澄んでいて綺麗だが、そればかり見ていてはさすがに飽きる。
あの雲の形はブラジャーに似ているだとか、突然の雨に濡れたセーラー服女子高生が軒先で服を絞っている姿に似ているだとか小学生男子並みの想像を働かせるのにも限界がある。
よって俺はいつも、暇を持て余すことになるのだが、今日は少し面白い光景が展開されていた。
ツインテールが金色の輝きを放ちながら風に揺れる。小柄な体をやぼったいパンツスーツで包んでいるのはこの執務室付きの女官、ベルギットだ。レイピアを両手に持ち、石壁の上に凛と立つ姿は美しい。あー惚れ直す。
その眼前にいるのは燃えるような赤毛をたなびかせる少女だ。ベルギットの露出度が低いのに対し、赤毛の少女の露出度は高い。基本的には、胸と股間を髪と同じ赤い色の甲冑で隠しているだけ、いわゆるビキニアーマーという奴だ。胸よりはお尻が大きめだが均整のとれた若々しい肉体を惜しげもなく晒している。
俺の好みど真ん中が可憐なベルギットであることは間違いがないが、躍動感に溢れるアジャールも真ん中高めぐらいにいるのは間違いない。つまり思わず手を出してしまう。…出してしまった。
ベルギットが戦闘態勢であるのに対し、赤毛の少女は構えも取らず余裕の笑みを見せている。
しかしそれも無理もない。赤毛の少女、アジャールはこの国一の戦士であり、その戦闘力は破格であり絶大であり圧倒的だ。
二人は石塀の上で何やら言い争っているようだが、俺のところまでは声が届いてこない、が内容はだいたい想像がつく。
アジャールは俺のところに来ようとしており、ベルギットはそれを止めているのだろう。
世界を滅ぼさんとした『黒き鍵の龍』を倒すためにこの世界に召喚された俺には、闇の眷属を打破する力と共に、女性を虜にさせてしまうという力を持ってしまった。モテモテで大変けっこうなことではあるのだが、
世界を救った勇者だというのに。
結論から言うと違った。
窓の外では、話していても埒が明かないと思ったのであろうアジャールが、無造作に一歩を踏み出した。瞬時にベルギットが反応する。
五歩分はあった間合いを一気に詰め、容赦なく右手のレイピアを突き出す。一秒間に数度突いているのだろう、凄まじい速さの剣先の動きは俺には見えない。時折、フェイントのように左手のレイピアを振るい、突く。
ベルギットは俺付きの女官なんてやっているが、そもそもは近衛隊の一員であり、華奢な見かけによらず剣技は一流である。並の兵士であれば圧倒するであろう。
しかしアジャールは涼しい顔でその猛攻を受け流していた。両手に装着している手甲だけで全ての突きを払うように流す。動かしているのは腕だけで、身体は全く動かしていない。
最初から分かってはいたことだが、実力差は明白だった。
さすがに疲れたのであろう、ベルギットが剣を引き二、三歩下がる。
アジャールはつまらなそうに辺りを見回し、そして俺と目が合った。途端に顔がぱあっと華やぎ、女の子っぽいシナを作ってこちらに手を振ってくる。
ああいう単純なかわいさがアジャールの良さだよな。ベルギットの冷静沈着な所は嫌いではないが、アジャールのような単純さも持って欲しいと思う。
そんな少女に、ベルギットは舌打ちをしながら突進した。感心はしないけど、舌打ちするいまいましそうな顔も俺のM心をくすぐってくれてぞくぞくする。
なんで俺は異世界に召喚されてM心を育てているんだろうね?
突進してきたベルギットに、俺に手を振っていたアジャールは、手加減できなかった。突き出されたレイピアを避けると同時にベルギットの右腕を掴み、そのままポーンと放り投げてしまった。
「おおおおーい」
思わず執務室で一人、大きな声を上げてしまった。
俺の表情に、アジャールも自分が何をしてしまったのかに気が付き、慌ててベルギットが飛んで行く方向を見る。綺麗な放物線を描いてベルギットは塀の向こう、俺の視界から消えていく。なおもその先を追っていたアジャールは、やがて一つ頷くと、両手で大きな丸を頭上に作った。
おいおいなんだよその丸は。無事に邪魔者を排除しましたの丸じゃないだろうな?
ベルギットは怖くて冷たいけど、俺の唯一の心のオアシスでもあるんだぞ。
俺の心の叫びを知ってか知らずかアジャールはすでにベルギットからは興味を失ったように、こちらに視線を向けてきている。塀の縁に足先をかけ、ぐっぐっと数度感触を確かめている。
俺はふっとアジャールがやろうとしていることに気が付いた。
ベルギットは居なくなったんだから、塀の上をぐるりと回ってくればいいんですけど!
ここから塀まで五十メートルはあるんですけど!
アジャールは跳躍した。小さな点だったものが、あっという間に大きくなって迫ってくる。
「まじかー」
俺の叫び声と共に、たなびく赤毛が窓の向こうを上から下へ通り過ぎて行った。すぐに軽い振動が伝わってきて足元が揺れる。
俺は慌てて勢いよく窓を開けると、下を覗き込んで叫んだ。
「アジャール!」
赤毛の少女は壁にしがみついたまま上を向き、にかっと笑った。
「や、久しぶり。元気?」
「そんな状態の人に、元気?って聞かれるのはちょっと変な気分だ」
「なんでだよ、せっかく会いに来てあげたのに」
アジャールはぶーっと頬を膨らますと、軽々と壁を登ってくる。必要はないだろうが、一応手を差し出してやる。
「ひゃーえへへー。ありがとう」と顔を赤らめながらお礼を言うところは可愛い。行動は破天荒なところがあるけど、基本スペックは高いんだよなー。特に胸とか。お尻とか。
普段は著しい色気レス状態の執務室に、色気の塊のような少女が降り立つ。すでに何回も見ているけど、ビキニアーマーって凄いよね!と同意を求めたところで実際にビキニアーマーを見たことがある人はほとんどいないと思うけど、本当に凄いんですよ。
ビキニとはまた違うね、甲冑で覆われるからこそのエロさが発現するんですよ!分かるかな~、分かんないだろうな~
「久しぶりだね。何してたの?」
と訊きながら抱きついて来ようとするアジャールを必死に留める。
「ダメ、ダメ、抱きつき禁止」
「えーなんでよ。せっかく邪魔者を追い払って来たのに」
「そ、そうだっ!ベルギットはどうなったんだ?簡単に放り投げやがって」
「だって、向こうから仕掛けてきたんだもん。私悪くないもん。大丈夫だよ、ちゃんと川に落としたし、泳いでたから」
「落としたんじゃなくて、偶然落ちたんだろうが!」
とにかく、ベルギットの無事が確認できたのは一安心だ。帰ってきた時が今から恐ろしいけど。
「まぁまぁいいじゃん、無事だったんだから。それより会いに来たの、嬉しくなかった?邪魔だった?」
その甘えるような表情はどこで覚えたんだ!そんな娘じゃなかったはずなのに、成長が早いな!
「嬉しいけど、でも、抱きつくのは禁止」
「えー、なによつまんない。最初はあんなに抱いてくれたのに」
「それを言われると辛いがダメなものはダメだ」
抱きつかれれば、俺だって男だ、抱き返してしまう。こんな魅力的な身体を目の前にして何もしないようでは男が廃る。
最初はそんなことを考え、寄ってくるものは拒まず次々と受け入れ、アジャールにもお手付きしてしまった。
しかしすぐに悟った。
モテるのは良いけど、モテ過ぎるのって大変だなって。
まず、良くも悪くも身体は只の一般人である俺には、次から次へと言い寄ってくる女性達の相手をするほどの体力がなかった。しかし女性達は俺の都合など構わず、次から次へと押し寄せてくる。至福の時間はすぐに苦痛の時間にまで変わった。
更に、なけなしの体力を振り絞って数人を相手にすると、私も私もとなり、それに応じられないと女性同士での諍いに発展する。こうなってくると苦痛を通り越し、地獄に辿り着く。
いやー、あの数日間は本当に酷かった。
怖すぎて、本当に立たなくなったもんな。
ということで、混乱を収めるために設えられたこの執務室は、俺にとっても良い避難所になっているのだ。
とはいえ、軟禁状態も二週間を超えてくると、若い身体は性懲りもなくムラムラしてきているんですけどね。
だからそうやって、かわいいお尻を机の上に乗せて座るのは止めて欲しいなー。
「つまんないの。ま、今日は話が合ってきたんだけどさ」
「話?珍しいな。口で語り合うよりも、拳で語り合うタイプだと思ってたけど」
「なんだよそれ。もっとも、身体で語り合うのは望むところだけど」
と、今度は両腕で胸を挟んで迫ってくる。本当にどこで覚えてくるんだ。
「だからダメだって」
「つまんないの」
アジャールは顔を赤く上気させたつつも、おとなしく座りなおしたので、おやっと思う。いつもならもっとしつこく迫ってくるはずだ。
「それで、話ってなんなんだよ?」
そうだとすると本当に話があってきたのかもしれない。気を利かせて促してみる。
「うん、話があるんだよ」
アジャールは一瞬、書架にずらりと並ぶ本の列に目を向けた後、俺を見て言った。
「私のしゅっせーの話は覚えてる?」
「ああ、覚えてる」
似つかわしくない真面目な顔をしているので、俺も真面目に答える。そもそもちょっとヘビー過ぎてふざけては語れない内容だ。
「父親がレッドドラゴンって話だろ」
「そうそう」
アジャールは天性の性格なのか気軽に答えるが、彼女の出生の秘密を打ち明けられた時はしばらく気分が落ち込んでしまうぐらい重い話だった。
世界を暗黒の海に沈めようとしていた最大最悪のカタストロフ「黒き鍵の龍」、こいつは俺が倒したわけだが、この世界にはもう一体の龍がいると言われている。
それは「赤き門の龍」と呼ばれているが、この数百年程は人の前に姿を現していないらしい。「黒き鍵の龍」とは敵対しているとも言われているが、先の「黒き鍵の龍」の出現時には姿を見せなかった。
その代わり、姿を変えて人間界にちょこちょこ現れているという伝説が残っている。そして、ちょいちょい女性にちょっかいを出し、アジャールのような娘が生まれてきているらしい。
しかしそれは決して幸せな出来事ではない。
アジャールは紅蓮の炎に包まれて生まれてきたのだという。その時になって初めて人々は、行きずりの男が「赤き門の龍」の化身であったことを知った。しかし時は遅く、母親は娘の炎に焼かれて亡くなり、男は姿を消していた。
母親を殺めながら生まれた娘は、忌み嫌われ、畏れられた。
アジャールも詳しくは話してくれなかったが凄惨な幼少期を過ごしたらしい。
転機が訪れたのは「黒き鍵の龍」が現れる少し前だった。その頃のアジャールは、父である「赤き門の龍」を探す旅に出ていた。その途中、ある教会で父に繋がる物に出会った。
それが「赤き門の龍」の鱗で作られたビキニアーマーだった。
ファンタジー世界を舞台にしたゲームや漫画なんかで出てくるビキニアーマーだが、常識的に考えて防具としては最悪である。防御力マックスどころか最悪の部類だ。剣と魔法が跋扈するこの世界でも、そんな最低な防具を着ているのは踊り子ぐらいしかいない。
「赤き門の龍」が何を思ってそんなものをこの世界に残したのかは分からない。アジャールもそれを見た時は酷く脱力したらしい。
それはそうだ。ただのエロ親父じゃないか。
分かっていたことではあるが。
しかしそのビキニアーマーの力は絶大であった。
ちなみにアジャールには特殊な力はない。体力は普通の人間の少女と変わりないし、知力に関しては少し劣るのではないかと思うこともある。生まれた時は燃えていたらしいが、それ以降は炎を出したりできるわけでも魔法が使えるわけでもない。人より少々体温が高いだけの普通の少女だった。
しかし、葛藤に苦しみながらも一応ビキニアーマーを身に着けてみると、身体の奥底から力が沸き起こってくるのを感じたのだという。
世界がガラリと変わったという。
防御力どころか、戦闘力もマックスの戦士がそこに生まれた。
国一番の戦士を凌駕する力。
幸か不幸か、その力を振るう機会はすぐに訪れた。闇の軍団の侵略である。
多くの国が滅ぼされた中で、この国が攻め滅ぼされずに済んだのは彼女のおかげと言っても過言ではない。
ただ一人で、それまで自分を虐げてきた者達を守るために闘ったのだ。
俺は、紫に染まる空の下、打ち崩された街の瓦礫の上で、血と汗と泥のまみれ、闇の軍団の前に一人立ちはだかっていた彼女の背中を決して忘れない。
まぁその後、俺の一振りで闇の軍団はあっけなく霧散しちゃって、なんなんだよお前は~、って泣かれちゃったんだけどね。
ちなみにビキニアーマーを脱ぐと力は失われてしまうし、更にはビキニアーマーの上から衣服等を羽織っても、半減してしまうらしい。
うーん、分かってるねお父さん!グッジョブ!
会ったこともない父親にサムアップしていると、アジャールは話を続ける。
「その父親、お父さん、……パパ?」
呼び方に頭を捻っている。確かに会ったこともなければ、どう呼べば良いか分からないだろう。少し手助けをしてやる。
「クソ親父とかが良いんじゃないか?」
人の親をクソ呼ばわりするのは憚れるが、これまでの悪行を考えればぴったりだろう。
「うん、クソ親父。良いね」
娘も笑顔で同意してくれる。
「そのクソ親父がね。一昨日急に会いに来たんだ」
なんだって?
「今更なんだよって思ったけど、私が、お、お、女になったって知ったらしくて、だったらその旦那様の顔を見ておきたいって思ったらしくて……、や、やだ旦那様とか!」
顔を真っ赤にしながら机をバンバンと叩き始める。
ちょっと、お前が本気だ叩いたら重厚な机と言えども壊れるから!
つーか、旦那様とか何言ってんの?龍って馬鹿なの?
「どんな男だって聞くから、黒い龍を一発で倒したんだよって話したら、それは凄い、俺も立ち会ってみたいとか言い出して」
俺の力って龍全般に利くんですかね?誰か教えて!利かなかったら確実に殺されるんですけど!
「もうコテンパンにやっちゃってくれていいから」
「殺られる未来しか見えないんですけど……」
「うーん、憎いし大嫌いなクソ親父だけど、さすがに殺すのは勘弁してやって」
「そんな手加減できるわけないだろう」
俺の力は「黒き鍵の龍」率いる闇の軍団相手には圧倒的な攻撃力を持っていたが、防御力は普通の人間と変わらなかった。よって殺られる前に殺ることで退けたわけだが、ということは赤龍に俺の力が利いたとしても、半殺し程度で済ませたら、反撃に合ってあっさり殺されてしまうだろう。
「ということで、そろそろ来ると思うからよろしくね」
「そろそろってなに?明日?来週?来月?来年?」
その答えは背後から聞こえてきた。先程まで晴れていた空が暗雲に覆われ、稲光が瞬き、雷鳴が響いている。明らかになんか凄い奴が現れる演出だ。
城の近くにも雷が落ち、部屋が白い光に満たされ、耳がつぶれるかと思うような音が響く。
その時、窓とは反対側のドアがバーンと開かれた。
小柄な身体。頭から垂れる金色のツインテールの先から水が滴る。
鋭い眼光が、薄暗い部屋の中でギンと光る。
「アジャアアアアルウウウ」
地の底から響いてくるような重い声。
「お帰りベルギット。早かったね」
能天気なアジャールの声が、ベルギットを逆なでする。
「ベルギット良かった。無事だったのか」
なんとか宥めようと声をかけるが、今度は鋭い眼差しが俺に向けられる。うわー視線だけで痛くなるって本当なんだね。知ってたけど。
「無事だったねじゃありません。見ていたならなんで助けに来てくれなかったんですか!それでも勇者ですか!」
「いやいやいや、それができないのは君が一番知ってるだろう」
「心構えの話をしているんです!」
うわーん、訳分からん。
雷がまた一つ近くに落ちる。そうだ、ベルギットも怖いが、もっと恐ろしいものが来るんだ。
「べ、ベルギット。そんなことより大変なんだ」
「そんなこととはなんですかっ!」
前言撤回。ベルギットの方が怖い。
「私のクソ親父が今からダーリンに会いにくるから、ベルギットはちょっと席を外して」
「誰のクソ親父ですって」
伝説の龍をクソ親父呼ばわりをするのはどうかなー?そろそろ聞こえてるんじゃないかなー?というか、クソ親父って言い出したのが俺だっていうのは気が付いてないよね?
いっそ気を失ってしまいたい。俺はそう思いながらこの場を治めるのを諦め、椅子に深く沈み込んだ。
用無し勇者の執務室 靖之 @yasuyuki
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