用無し勇者の執務室

靖之

第1話ここが俺の執務室(ハーレム)

「ああ、暇だ」

 両手を頭上に伸ばし大きく伸びをする。

 椅子に座っていただけなのに身体はこわばっていたようで、筋肉の筋が伸び、少し清々しい気分になる。

 しかしそんな清々しい気分もすぐに消えてしまう。


 暇だかだら。


 立派な執務室の両側の壁にしつらえられた本棚には豪奢な装丁が施された分厚い書物がずらりと並んでいる。

 繊細な意匠が施されたレースのカーテンで飾られた窓の前に置かれた重厚な執務机の上には細かな金細工で飾られたペンが手に取られるのを待っており、その横には分厚い書類の束が俺のサインを待っている。

 しかし俺はそれらの書物に目を通すことも、書類をチェックすることもない。もちろんペンだって持たない。

 なぜなら俺は文字が読めないからだ。

 正確に言うと、この世界の文字が読めない。

 読めるように努力をする気もない。

 よって椅子を半回転させ、窓の外に目を向けるのが日課になってしまっているのだが、僅かばかりの木々の向こうに塀が見えるだけで変わり映えのしない風景しか見えない。


 ああ、テレビが欲しい、パソコンが欲しい、スマホが欲しい、ゲーム機が欲しい。

 それらの文明の利器が得られないのであれば、俺が読める文字だ書かれた漫画が欲しい、雑誌が欲しい、小説が欲しい、新聞が欲しい。もういっそ、教科書でも論文でも興味の無いハウツー本でも良い。

 せめてこの部屋から出られれば、城から出ることができれば、散歩をすることだってできるし、やったことないけど釣りで時間を潰したって良い。

 しかし今の俺には、そのどれもが手に届かないものなのだ。


 現状に落ち込むとまた背中の筋が固まってきた気がした。今度は伸びをする代わりに机の上に置かれたベルを手に取り鳴らした。軽やかな金属音がコロコロと転がっていき、部屋の奥のドアにぶつかるような絶妙なタイミングでそのドアが開かれた。

 遅くても腹を立てたりはしないが早過ぎるのは少々興冷めだ。鳴らした瞬間に開かれては、待ち構えられているようで落ち着かない。

 鳴らしたベルの残響が消える瞬間に開かれるのが最高に気持ちが良い。つまり今のタイミングは絶妙だったってことだ。

「お呼びでしょうか、勇者様」

 いつも通りの感情のこもっていない平坦な声。同じように感情が見えない青い双眼が俺を見据える。透き通るように白い肌を持った整った顔立ち、高価な金糸のような煌めきを持つ髪をツインテールにしている。細身の身体を包んでいるのがカーキ色のやぼったい軍服であるところが唯一の残念ポイントだ。しかし、小柄なため少し幼く見えるが、実は俺より年上な所もポイントが高い。

「ベルギット、暇だよ」

「それを聞くのは今日だけで三回目です」

 部屋に入ってきたベルギットは扉を閉め、淡々と回数を教えてくれる。しつこいと怒ったり、溜息をついたりはしない。

 全く感情を見せずに自分の任務を実直に務める。そういうところがたまらなくかわいいんだよなー。ぞくぞくする。

 ベルギットは軽やかに歩き、俺の前に立つ。

「何回目だろうと暇なんだから仕方がないだろう。なんとかならないのか?」

 その柔らかそうな身体に触れてみたいのを我慢しながら訊ねる。

「申し訳ありませんがこの時間は執務を行っていただくことになっています」

「執務なんて何もないじゃないか」

「そちらの書類にサインをいただきたいのですが」

 全く手が付けられていない書類に冷ややかな目が向けられる。彼女が改めて確認するまでもなく、一枚もサインされていないが、十分に予想されていたことであったらしく、冷ややかな目が俺に向けられるだけで叱責されたりはしなかった。

「何が書いてあるのか分からない書類にサインなんかできるわけないだろ」

「私が代読いたします。私が信用できないとおっしゃるのであれば、他の者を用意いたします」

「ベルギットより信用できる者なんているわけないだろ」

「恐縮です」

 頭を垂れると、ツインテールが少し揺れる。

 何も言わずに付き合ってくれているが、このやり取りをするのもすでに日課になりつつある。

「ベルギットに読んでもらうのはいいんだけど、そもそもなんで俺がサインしなきゃいけないんだよ」

「それをご説明するのは八回目ですが、お聞きになりますか?」

「よろしく頼む」

 一人で時間を潰しているよりもよりも、ベルギットの話を聞いている方が数倍ましだ。むしろ彼女の声を聴いているのは心地よいし、気持ちが引き締まる。

 華奢に見えるがベルギットは近衛隊に所属する武官である。軍人らしく、歯切れが良い声を聴いているのは気持ちが良い。ただ、愛らしい姿を見ていると締まった気持ちがすぐに緩んでしまうのが困ったものだ。


「我々の国、我々の世界は、国家間の対立などはありましたが、それなりに平和な日々を送っていました。

 そこに突然、恐ろしい災厄が降りかかったのです。

 伝承としては受け継がれていましたが現実としては皆が忘れていた災厄『黒き鍵の龍』が蘇ったのです。平和だった世界は一変、闇の眷属の牙刃を受け、侵略されることになりました。各国の騎士団、民々が協力して立ち向かいましたが『黒き鍵の龍』率いる闇の軍団に敵う者はいませんでした」

 ベルギットの話し方は相変わらず抑揚がなく感情がこもっていないのだが、不思議と引きつけられる。

「我々の国も侵略され、騎士団の奮闘虚しく、残すはこの城のみとなった時、姫巫女様が長らく封印されてきた禁呪を使うことを決断されたのです。異世界からこの世を救うとされる勇者を招く禁呪を。そして、姫巫女様の命と引き換えにあなた様が召喚されました」

 そうそう。何の特徴もない身寄りもない金もない貧乏大学生だった俺は、ある日突然、剣と魔法と龍が闊歩する異世界に召喚されたのだ。アニメとかラノベでは良くある設定だけど、実際に呼び出されるとびっくりするよね。俺も今は落ち着いてるけど、召喚された直後は酷かったから。言葉が通じたのがせめてもの救いだった。ただ、会話はできるけど文字は読めないって言うのは設定としてどうなんだろうね?書類をさぼる口実になるからいいんだけど。

 それと、姫さん、アジャールさんが俺の為に死んじゃったみたいになってるけど、俺が甦らせてちゃんと生きてるから。ピンピンしてるから。今日だって泳ぎに行こうってすんげーキワドイ水着で誘って来たから。

 あの水着、ベルギットも着てくれないかな。いや、ベルギットにはもっと清楚なタイプの方が似合うな。

「なにか?」

 水着姿を思い浮かべて鼻を伸ばしてしまっていたのだろう、ベルギットが下げずむような目線で訊ねてくる。

「なんでもない。続けて」

「勇者様が魔を払って下さったおかげでこの世界には平和が戻りました。誤算だったのは、たったの半月であの龍を倒してしまったことです」

 いやーびっくりしたよね。まさかあんなにでっかくて黒くて恐ろしい龍が俺の一太刀で消えるなんてね。勇者の力って凄い。

 雑魚モンスターとか俺が見るだけで消えちゃうからもしかしてとは思ってたけど、あんな強そうなラスボスですら一発だったもんな。

 我ながらちょっとチート過ぎ。金払って買ったRPGがこんな内容だったら金返せって騒ぐレベルだ。

「姫巫女様が力の全てを振り絞って呼んだ勇者様がこの世界に居られる期間は一年間。しかしあなた様は半月で倒してしまった。龍を倒したからと言って姫巫女様の禁呪が消えるわけではありません。あなた様には一年間この世界に居ていただかなくてはいけません。龍を倒していただいてからすでに半月経ちましたので残り十一ヶ月」

 ちなみにこの世界も一年は十二ヶ月で一ヶ月は約三十日だ。なんか少し不思議だよな。もしかしたらご都合主義と言うのかもしれないけど。

「『黒き鍵の龍』を倒していただいたことに関しては、どれだけの言葉を連ねても感謝しすぎることにはなりません。しかし平和を取り戻した今、絶大な力を持ったあなた様は新たな火種となる可能性があります」

 ベルギットはここで一拍置いた。

「ただし、絶大な力を持つといってもそれは闇の者達に対してだけで、それ以外、普通の人間に対しては全く特別な力はありません。普通の人間と同じ力、いえ、むしろ並以下です」

 今まで平坦で、感情がこもっていなかったベルギットの語り口に感情がこもった気がした。尊敬じゃなくて軽蔑って感じだったけど、でも、ベルギットの感情が感じられる声が聴けてちょっと嬉しい。

「しかしそのことを知っているのは我が国の限られた者だけです。他国は一振りで黒き鍵の龍を撃ち滅ぼすほどの巨大な力を持った勇者が我が国にいると思っています。今や、なんの役にも立たないというのに」

 感情が感じられるどころではなくなってきた。決して荒立てた声を出したりしているわけではないが、何らかの感情がこもっていることははっきりと分かる。ベルギット怒ってるの?苛立ってるの?言葉だけじゃなくて、口調とか仕草にもそれをもっと出すと良いと思うなー。

「なにがおかしいのですか?」

「なーーーーんにもおかしくなんかない。続けて」

 蒼い瞳は何でも見透かしているような深い色だが、俺の心の中は読めないようだ。

 ベルギットは一度ゆっくりとまばたきをした後に説明を続けた。

「役に立たないとはいえ、召喚した以上責任があります。用が無くなったからと言って放りだすわけにもいきません。放りだしてのたれ死ぬなら、まだしも他国に拾われでもしたら面倒です。とはいえ我が国で自由を満喫していただくわけにもいきません。いつ何時、勇者様の無能っぷりが諸国の間者によって暴かれるか分からないからです。よって魔を打ち払った救国の勇者であるあなた様には大変申し訳ないのですが、その行動を著しく制限させていただく、つまりは飼い殺しさせていただくことになったのです」

 ベルギット、君は回数を重ねるたびに言葉が物騒になっているのを気が付いているかい?

 それともわざとかい?

 わざとだとしたら絶好のご褒美をありがとう。

 飼い殺しってなかなかときめく一言だよ。

「そのために用意されたのがこの執務室と、なんの役にも立ちませんが、勇者様にサインしていただくためにだけ作成されたこれらの書類です」

 あーついになんの役にも立たないって言っちゃうんだ。いやまぁ、知ってたけどねー。

 鶏の卵を回収する時間を六時から六時一分にする許可とか俺に求めなくても良いよね。庭園の庭石を一個増やす申請が来たと思ったら次の日に減らす申請が来たりすれば、少々鈍いところがある俺でもさすがに「あ、この書類は本当はいらないんだな!」って気がつく。

 たまに「捕えた他国の間者を鞭打つ回数」なんてのが紛れ込んでてびっくりするけど。平和な文明国日本で生まれ育った人間に五百回が良いか千回が良いか尋ねられても困るので、一晩くすぐりの刑を与えるって回答したけど、あの刑は実行されたのかな?


「しかし、あなた様が役に立たないだけの勇者であるならばまだ身分を隠して出歩いていただくことも可能だったでしょう。しかし、我が国の女達を次々と毒牙にかける性癖はなんとかしていただかなくてはなりません」

「毒牙って大げさな。俺はただ…」

「男の方はそう言うのです」

 弁明は、ほんのりと顔を赤らめて怒りを表現しているベルギットにきっぱりと切って捨てられる。

 怒っていても、白い顔を赤く染める君は何よりもかわいい。


 しかし訴えたい!

 次々と女性を毒牙にかけるのは性癖ではない。

 魅力的な女性が向こうからどんどん迫ってくればそれを受け入れるのは、男の性質であり、本能だ。


 そう、なぜか俺はこの世界に来てから女性にモテモテなのだ。


 顔面偏差値が上がったわけではない。鏡に映っている顔は変わっていないし、イケメンの基準も俺の世界と同じようだ。体格も貧弱だし、学だってない。口がうまいわけでも、特別に気が利く方でもない。

 しかしなぜか、モテモテなのである。

 次から次へと、あの手この手で女性が迫ってくるのだ。


「これ以上、我が国の女性が毒牙にかからないためにも、勇者様を飼い殺しておく必要があるのです!」

 あらぬ誤解を弁明したいところではあるが、龍を倒した後に女性達関係で一騒動を起こしてしまったのもまた事実なので強く反論はできない。

 なお、全ての女性に俺の力が及ぶわけではない。メインは俺の年齢の前後十五歳ぐらいで、子供には効果がない。そしてその範囲に入っている女性の中にも稀に効果がない者がいる。理由は分からないが、女性は皆イケメンが好きってわけではないのと同じことだろうと理解している。ハゲでデブで髭の男が好きな人もいるのと同じだ。

 そしてベルギットはその稀な者の中の一人だった。


 俺の一番の好みだっていうのに!


 話がこの箇所に辿り着くと、いつもむなしい気分に満たされる。憧れていたモテ期が来たと言うのに、肝心の女の子達からは隔離され、一番好みの女の子は靡いてくれないというこのむなしさ!

 ロンリーウルフ時代とはまた違う寂しさだ。

 しかし、

 しかしだ。

 今の俺には権力がある。

 世界を救った勇者という地位がある。

 背もたれから体を起こすと、すっとベルギットの頭に手を伸ばした。体術が得意な彼女も、俺の不意の行動には反応できなかった。

 そのままそっと頭を撫でた。さらさらの金髪の感触が心地よい。

「なっ……」

 愛らしい口から放たれようとしていた苦言の続きが飲み込まれる。

 すぐにふり払われと思ったがベルギットは動かず、そのまま二十秒程度頭を撫で続けることになった。

 至福の刻がこのまま永遠に続くのではないかと錯覚しかけた。


「なにをするんですか!」


 完全に油断し、恍惚状態だった俺には、突然の鉄拳を避けるすべはなかった。

 細い身体のどこから放たれたのか分からない重い一撃。

 俺は椅子から弾き飛ばされ、宙を舞った後、本棚に激突した。

 床に落ちると、今度は重たい本が次々に身体の上に落ちてきた。

 一際分厚い一冊が胸に命中する。

 胸を圧迫されて助けをお願いすることもできずに床に突っ伏していると、力強い足音が速足で部屋を突っ切って行くのが聞こえた。扉が荒々しく閉じられた後で、扉をドンと殴る音が聞こえた。


 好かれていないとはいえ、頭を撫でただけでここまで怒るとは思っていなかった。

 途中までは良い感じだなと思っていたんだが、予想外のことに驚いて身体が動かなかったということだろう。


 本気で嫌われていたらどうしようと不安に駆られつつも、実は頭を撫でられたのが思いのほか心地良く、扉にドンと背を押し当てながら「気持ちよかった」と顔を赤らめているベルギットという妄想を膨らませながら、掌に残った頭の感触を味わう。

 しばらくはこの感触だけで暇な思いをせずに済みそうだと思うと、ニヤニヤ笑いが止まらなくなった。

 こんな顔で助けを呼んではまたベルギットに怒られてしまう。

 しかし感触を忘れることはできず、忘れることを考えるとまた色鮮やかに思い出し、結果として更にニヤニヤが増えていく。

 俺は重たい本の下敷きになったままで、しばらくニヤニヤ笑いを続けることになった。


 暇な毎日ではあるけれど、俺はそれなりにこの世界を楽しんでる。

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