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人称について考えてしまった


 小説書くのに、人称ってありますね。けっこうややこしいです。基本的に小説は一人称の「ぼくは……」か、三人称の「彼は……」で書かれています。
 で、ぼくが基本的に使用するのが「変態三人称」。三人称で書いていて、都合のいいときだけ一人称になる書き方です。こういう書き方は、人称についてうるさい人には、「駄目だ」とか指摘されちゃいます。とくに三十代後半くらなのかな? 小説の書き方を「ライトノベルの書き方」みたいなテキストで学んだ人にその特徴が顕著です。

「人称固定!」
「カメラ視点に注意!」
 ってね。

 ぼくの変態三人称は、ロバート・ラドラムの『暗殺者』という作品で使用された表現を模倣したものなので、ちょっとルール違反なのかもしれないですが、なにはともあれ、ぼくは基本「変態三人称」で小説を書いています。一人称は『鵺ブラスター/ケダモノガカリ』だけだと思います。
 不思議な話ですが、『暗殺者』をもじって書かれた『鵺ブラスター/ケダモノガカリ』だけが一人称なんです。


 現在執筆中の『電装竜騎士団の飛翔兵』も、いつもの変態三人称で書かれているのです。つまり、基本主語は「カズマ」と表記されていて、場合によっては「ぼく」が入る方式。

 で、今書いている第三話で、カズマ以外の視点が登場します。が、カズマ視点もあるんです。

 すると、ちょっと難しくなります。

 たとえば、カズマ視点では「ローレライ」、別の視点では「ローレライさん」とか、そういうことが起こります。これはちょっと問題あるかなぁ?と思ったり、また同じことを語るにも、カズマ視点なら「ループ」、でも別視点なら「宙返り」とか、いろいろとややこしい。まあ、「ループ」と「宙返り」は構わないと思うんだけど、「ローレライ」と「ローレライさん」とかは難しい問題になるなぁ。これは排した方がいいかもしれない。「バベルのおっさん」とか「チャカ夫じいさん」とかも。

 この人称問題はつまり、読者と主人公の深度であり、主人公を介した読者と登場人物の距離でもあるわけで、そしてこの深度がなぜ重要かと言うと、結局どういう表現をしたいか?に繋がるわけである。

 だが、別視点を用意するのであれば、『フェルミオン・サーキット』のように、主人公の人間離れした動きを描写するのに便利な、別キャラを使用できる変態三人称である必要はなく、いっそ一人称でも問題なし。

 でも『電装竜騎士団の飛翔兵』の第三話だけ一人称とするわけにはいかないので、一人称的三人称が適当なんだけど、とすると、第三話以降は、毎回別視点を用意して、一人称的に書いて行くこともアリだな……と。

 そんなことをつらつら考えちゃった次第です。
 まあ、これは第三話を書き終えたら校正ついでに決断する必要がありそうだなー。

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