まーた雨だ。夜にはザンザン振りの大雨になる模様。
体調は可もなく不可もなし。無理をしなければ問題はない。
ミステリは一万文字くらい書いたところで停滞。
まあ、核の部分を組み立てながら少しずつ進んでいこう。
先月12日、ゼルダの伝説ティアーズオブザキングダムが発売された。
Switchは持っていないので当然の如く買ってはいないのだが、
ここのところ発売前のトレーラー映像をYouTubeでよく見ている。
もう三十回くらいは見ているかも知れない。
と言っても同じトレーラー映像だけを延々繰り返して見ている訳ではない。
このトレーラー映像を見た国内外の配信者の反応が
YouTubeにはたくさん投稿されている。
これを見ると自動的にトレーラー映像も繰り返し見ることになるのである。
人間言葉はわからなくとも感情は伝わるものだな。
反応もだいたいよく似ている。
映像が始まる前にはワクワクしながらペラペラとしゃべっていたのに、
いざ映像が始まり主人公のリンクが登場した辺りから口数が少なくなる。
そのうち同じ言葉(OH MY GODとかNOとか)を繰り返すようになり、
息を呑み、驚き叫び、最終的には感極まって涙を流すのだ。
凄いな。て言うか嫉妬を感じる。
確かにこのトレーラー映像は非常によくできているのだが、
それでも単なる予告編だぞ?
ゲームそのものに比べれば、無視していいほどの情報量のはずだ。
なのに人々は泣くほど感激する。
それはこのゼルダシリーズへの思い入れ、時間と経験の積み重ねがあって
初めて成立することなのかも知れないが、
ここまで期待され、ここまで愛される創作物が存在するという事実に震撼する。
ゲームのような大勢で創り上げる総合芸術と小説を
同じ物差しで見ようとするのはさすがに間違っているのだろう。
だがそれでも、自分の作っているモノはいったい何なのかと
考えてしまったりするのだ。
泣かせれば良い作品なのかと言えばさにあらず。
しかし悲しい場面などほとんどないにも関わらず、
見た人々が軒並み涙を浮かべるこのゼルダのトレーラー映像には、
モノを創ることのイロイロな意味が隠されているような気がする。
さて、雨音が強くなってきた。
ちょっくら小説と向き合ってみるかな。
何か面白いアイデアが浮かべばいいのだけれど。