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2024/06/25 フィクションと現実

もうすぐ七月、そろそろテレビ局は番組の改編時期に入り
新しいアニメの放映も始まる頃である。
まあ、ほとんどは一話も見ないまま終わるのだが。

そんな七月期アニメの一本に『妻、小学生になる。』がある。
以前ネットで有名になった漫画のアニメ化であるが、
このタイトルが海外で酷く叩かれているのだそうな。

海外と日本では文化が違うし、そもそも何に対して攻撃的になっているのかは
まったくわからないでもないのだけれど、それにしたってなあ、と思う。

日本語の語感であれば「そのとき不思議なことが起こった!」と
たいして変わらないインパクトの言葉の並びだろう。
しかし普段から「そういうこと」ばかり考えている人にとっては
極めて刺激的なタイトルなのかも知れない。イロイロ大変だな。

とは言え日本の新作アニメがほぼタイムラグなしで
海外で放映されるようになって、軽く十年は経っているはずだ。
いい加減フィクションと現実の切り分けを上手くやれないものなのだろうか。

フィクションと現実は違う。フィクションは所詮フィクションである。
うん、そうだな。特に自分で創るフィクションは現実とはまったく違う。
好きなように手を入れて、自由気ままに改変できる。ただ。

他人の創ったフィクションを観ているのと、
目の前を流れて行く現実を眺めているのとでは、
実際のところどれほどの違いがあるのか。

現実には干渉できる。自ら進んで手を伸ばせば、変える事が可能。
理屈の上でそうであるのは理解している。
だがそこには少なからず力が必要だ。
力を失ってしまった者には、現実もまた分厚いコンクリートの壁に等しい。

言うなれば、メチャクチャ重いサンドバッグみたいなものではないか。
一見すると簡単に動かせそうな気がする。
けれど実際には突こうが打とうが蹴り飛ばそうが、相手はビクともしない。
黙々と当たり前のようにこちらの攻撃を跳ね返す。
やがて己の無能さを恥じ入り、絶望するだけだ。
傷つかずに済む分、フィクションの方がマシなのかも知れない。

だからという訳でもないのだが、今日も現実から目をそらす。
日常のルーティンだけを延々と繰り返し、後は寝ているだけ。
いま目の前にあるのがフィクションなのか現実なのか、もうよくわからない。
気が付けば朝になり、気が付けば夜になっている。

それでも、だ。とりあえず毎日少しずつ、フィクションを書いている。
まったく面白くも何ともないフィクションを。
何故面白くないのかは承知済みだ。
キャラクターが平板だしストーリーにも起伏がない。
厚みのあるキャラクターってどうしたら作れたのか、
どうすればストーリーに起伏がつくのか、すっかり忘れてしまっている。

ま、書いていればそのうち思い出すかもしれん。
なんて思いながら六万字を超えてしまったが。
とにかくいまは書いて書いて書き続けるしかあるまい。
肩慣らし、基本の反復練習、目標は遠くに置いておこう。
習作なので終わらせる必要もない。終わらせられればベストではあるが。

フィクションは現実を反映し、現実は常にフィクションを含む。
どう転んでも現実からは逃げられない。
それはわかっちゃいるのだが、
せめて心臓が落ち着くまでは現実と距離を取りたいところ。

2件のコメント

  • お疲れ様です。

    今回はかなり長い文章での報告ですね。しかも前回からの期間も短いし。なんだかんだでモノを書く気が出て来たのかも知れませんねー。書いたものが面白いかどうかは読む人が判断する事なので、もし発表する気になればお願いします。

    それでは暑くなって来たので孤独死に気を付けてお過ごし下さい。次の報告も待っています。
  • s_hasimoさま

    ありがとうございます。書く気は日により時間によりあったりなかったりしますが、それと書けるかどうかはまったく別の話です。
    体調は絶賛悪化中、でもそれを書いても仕方ないんですよね。ここはあくまでカクヨムの近況報告欄なので。
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