夜の八時を過ぎてもまだ外気温は三十度近くあるらしい。
そら年寄りも脱水で死ぬわなあ、と自分のことは棚に上げてみる。
今日は朝から口の中にセキセイインコの雛の香りが漂っている。
意味がわからん。何だ、そろそろ死ぬのか。
などなど、ガンを患ってからというもの
身の回りに特徴的なことが起こるたび死の前兆かと思うことが増えた。
非常に不健全である。そもそも死の前兆などというものはない。
よしんば前兆現象があったとしても、
実際のところ死ぬのはタイミング次第である。
気付かれもしない前兆現象など気にしても仕方あるまい。
ただ昨日はヤバかった。本当に死ぬかと思った。
いや放っておいてもそう遠くない将来死ぬのは確定事項なのだけれど、
さすがに目の前に死が迫ったときの迫力は凄まじい。
覚悟があるかないかとか腹が据わってるかどうかとか関係ないのでは。
昨日は朝一番から口腔外科の診察と抗ガン剤による化学療法の予約、
午後からは精神科の診察と予定が詰まっていた。
ところが朝起きた瞬間、身体が動かせない。腰である。
腰に激痛が走って起き上がれないのだ。原因は不明。
別に変な体勢を取った訳でも激しい運動をした訳でもない。
まったく訳のわからないまま何とか身体を引きずり、
腰に湿布を当ててコルセットを巻いて一時間ほど寝たところ、
効果があったと考えて良いのだろう、
時間をかければ立ち上がれるくらいには痛みが収まった。
朝食はゼリー飲料だけで済ませ、腰の痛みに注意しながら
ヨロヨロと着替えればもう家を出る時刻。
駐車場まで歩くのが泣きそうになるくらいツラかったものの、
座席につけば右足と両腕は自由に動く。
いつもより安全運転に気をつけねばならないが、何とか病院には行けそうだった。
午前八時台の往復二車線の道路は渋滞もなく穏やかに流れ、
ああ、この分なら病院の予約時間には問題なく到着できるな、
そんな考えが緊張感を切ってしまったのだろうか。
ストンと意識を失った。
時間にして一秒あったかどうか。
その瞬間、私の右腕はハンドルをグルンと右に回し、
車は対向車線のセンターライン近くにまで突進した。
幸い直後に気付いたので慌ててハンドルを左に回し、
車線に復帰して事なきを得たが、
あのとき対向車線に車が走っていたらほぼアウトだったろう。
ヤバかった。マジでヤバかった。
ちなみにこのとき右手はハンドルを放すのではなく握りしめて右に回し、
右足はアクセルを踏み込んでいた。
自殺願望はいまはないと思うのだけれど、
何らかの意図が働いていたような気もしないでもないのが不気味なところ。
しかし危ないな。車は走る凶器、あまりにも危険極まりない。
とは言え車を使わず病院に通うのはかなり難しい。
経済的な理由だけではなく肉体的にも精神的にも公共交通機関は厳しいのだ。
はてさて、これからどうしたものか。