生魑の草稿を書き始めたのはいつのことだったでしょうか。
おそらくは高校三年生頃の時だったのではないかと。それから幾年も経ち、この場で真の完結を迎えたこと、なんだか感慨深いものがございます。まさか当時書きためては放置し、また書いて、を繰りかえしていた私は、たくさんの読者様に恵まれるなどとは想像だにしていなかったでしょう。ほんとうに有難いかぎりでございます。
改めまして、最後までお読みくださいました皆様、いま読み進めてくださっている皆様、ちょいと興味を持ってくださった皆様……この《生魑》と御縁をもってくださった御方全員に厚く御礼を申しあげます。ほんとうにありがとうございました。
書きたいことがたくさんあるのですが、敢えて語らずに。
最期は、考えて……考え続けて、津雲が報われる最期はいったいどのようなものなのだろうと。「救われる」「救わない」「救われない」「救われたい」そうした渇望を書き続けてきて、だからこそ「救い」ではなく「報い」を書きたいと望みました。因果応報。悪い報いもあれば、善き報い、報われるというものもあります。あの終わりかたで、津雲は、朧は、確かに報われたと思うのです。
報われる。と言えば、作者である私もそう。
彼等の語りだす噺を、そこにある風景を、ひとつひとつ拾いあげ、愛してくださる読者さまに巡り逢えました。それは私の、そうして小説そのものにとっての、善き報いです。ほんとうに何度御礼を申しあげてもたりません。
ありがとうございます。
架空江戸時代における津雲と朧の噺はひとまず、終わり。
それでは暫しの眠りを。
おやすみなさい。