アートに関わっていてよく思うのは
いわゆる「上手な絵」や「上手な美文字」
が、表現力の強さ、とはいえないことです。
例えば、バスキアのドローイングなんか
一見すると子供の落書きみたいだけど
よく見ると凄く迫力が伝わってくる。
この小説ではそのような「表現力」
を書いて、自分を振り返る目的が
あるのです。
主人公のギャル文字でラブレターを
綴る女子高生に、書道家は
「美文字を書け」とは言いません。
逆にそのギャル文字を使って
最も自分を魅力的に見せるか、という
方法を、書の古典から導き出して
教えるという内容にしたいのです。
例えばしたに挙げた江戸時代の
偉大なる禅僧、仙厓の軸。
「これ食うて、茶まいれ」
と円相を書いて、これ見て茶を飲め、
と言います。
ただの楕円が余白でなくて
その瞬間、美味しそうなお餅に
変身する、これこそアートの
真髄。
女子高生が「チョコをあげるけどホントは
ケーキを手作りしたい、でもねアタシ不器用
だからケーキの絵さえ描けない」
というと書家は
「ヘタでもいいからケーキの絵を書いて
こんなショートケーキを食べさせたいの」
と書くよう指示します。
その瞬間、金釘流のケーキの絵が
ホントの美味しそうなケーキに
生まれ変わる。
仙厓や白隠の伝えるメッセージって
決して美文字じゃない、
いい字、 と いい絵なんですよね。
あと、昭和を舞台にするのは、
「手書きのラブレター」の復活を
夢見て。
かつて、好きな子からの、ハートの封印付き
ラブレターの小さな封筒にときめいた
昭和のおっさんの夢を復活させたい
という儚い希望。
こんな風に展開するゲージツ小説、
ゆっくり考えます。