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小説の結論をどこへ持ってゆこうかー神について。


I am a god 最新エピソードです。
https://kakuyomu.jp/works/16817330652449226763/episodes/16817330665155858452

私はハッキリ言って神様を信じてます。日本でこういうこと

書くとすぐに「ああ、カルトね」なんて誤解されるのは
なんででしょうかね。宗教的知性が欲しいです。


私の神様、神道の神様に近い形でしょうか。
もっというと、スピノザの「エチカ」
解説を読んで、これこそ書きたかったことなんじゃないか
と思い、登場するシュレネコに語らせようと思ってます。

私たちひとりは、「かけがえのない」唯一の存在です。
これこそが絶対で永遠なもの、と説きます。

スピノザはキリスト教信者なので、それをキリスト、即ち
「唯一神」になぞらえます。しかし、神道はそんなことを
しなくても神を実感できるのです。

それは例えば大きな
樹木にしめ縄を張ることによって、滝の落ちるところや
鬱蒼とした森を祀ることによって。これから建物を
立てる場所をしめ縄で縛って結界を作ることによって。

この場所は唯一の場所であって神聖が宿っている、でも
君たちひとり一人にも同じようにかけがえのない
絶対的な唯一の神が宿っているんだよ、と示すのです。

そこで神と対話できる。

しかし私たちは卑下するのです。
私はくだらないちっぽけな存在だと。

そんな自己否定を
ニーチェは「ルサンチマン」として否定しました。
自己否定によって「私は謙虚でいいこと言ってる」
という驕りだとしたのです。

そこには神はいない。

スピノザも「自分を精一杯肯定しなさい」
と説きます。欲望があってもいいじゃないか、
欲望を大きくするなら、極限まで大きくして
世の中を救えるくらいに拡大すればいい。
自己肯定をとことん突き詰めろ、というわけです。

私たちにはちょっと無理っぽいですよね。
だから小説にしてそういう理想を主人公や
周りの神様に語らせようとしました。

この小説に出てくる五穀豊穣の神様、
ツキヒコは、まさにこのテーマに基づいて
作ったプロトタイプの神様です。

異性を見るとすぐにムラムラして、
エッチがしたくてたまらない。
すぐに一人エッチしてしまう。
彼は神になり得るのか?

でもそういう衝動をスピノザは
「自然なこと」として肯定します。
十分神様に繋がれると解くのです。
次のエピソードではそんな彼をシュレネコが
西洋哲学の思想を駆使して
自信を持て、と励ますシーンを描きますよ。

彼の成長をお楽しみに。







 


                      

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