どうもご無沙汰しております、山本です。
毎度のことなのですが、自軍(と呼んでおきます)のツアーに参加する前後ってまったく書けなくて(死ぬ勢いで現場に臨むので……)、さらに朝ドラ「おちょやん」の一話一話が毎日とても濃厚で、まあなんというか、書くどころじゃないという情報量でした。
「おちょやん」は、近年まれに見る朝ドラの脚本・演出だったと思っています。伏線をわざわざ伏線だと書かずとも、登場人物たちがその人らしく生きていくだけで自然とすべての事象がつながっていく。お手本のようで、誰もは書けない、そして脚本だけでは成し得ないドラマだったと。
毎日、劇場に通うような心地で観ていました。劇場に行くときって、自軍のライブと同様に本当に命を削るんですよね。毎日毎日、15分を登場人物と一緒に生きる。その感覚はほんとうに得難い体験だったと思います。
ずっと史実どおりに離婚になるのが怖かった。でもそこから先が、全体を通して一番面白いターンだったと思っています。そこから先ではじめて、竹井千代が「自立」したんだと思えて。
素晴らしかったです。これが物語の、エンタメの力だと思いました。しばらくはこの喪失感から抜け出せないのではないかと思いますし、見返すとも思います。
……まあ他はそれに体調不良が重なったりと、こちらは通常通りですが(嫌な通常通りだなあ苦笑)。
そして本日、拙作「恋するハンマーフリューゲル」に2つもレビューをいただきまして。
えっ……あの……まじで??????????
すみませんまじでちょっと涙出そうなんですが。
レビューのお返し(という自己満足)は、近日中に絶対にまたここで書こうと思います。自己満足なのですが、書きたいので。
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そう、自己満足なので書きたい、んですよね。
書けない期間というのは、自軍のライブを見ながらエンタメとは、というのを突き詰めて考えている時間、でもあるのですが。というのも、自軍のエンタメは、自分の中ではクラシックに並ぶほどにすばらしいと位置づけられるものなので。今年は昨年のごたごたがあったのでより研ぎ澄まされたものに感じられました。そういうものを目の当たりにすると、自分なんてとてもちっぽけなんですよね。
前回の更新から何度も、何度も考えましたが、私にとって小説を書くこととは、防御壁のようなものです。自軍のエンタメが第一の防御壁で、ピアノを弾くことがそれと同等で、本を読むこともそうで、そしてそれらとまたおそらく別のところにあるのが、小説を書くことなのだと思います。
プロットも立てれない、書けば書くほど続きが膨らんでいく、他のことに気が向くと(もちろん仕事を含め)執筆できない。こんな私ができることは、自分を守ることだけです。
誰のためでもなく、自分のために書くと、以前ここで書いたような気がしますが、この期間中なんども、「そうとしか書けない」ことを自分から突きつけられたような心地でした。
4月に書いていた第5章にあたる部分の校正がなんとか終わりそうなので、現在第3章の途中まで公開している「恋する〜」ですが、今後もちまちまと更新していきます。もし更新や、手が止まっているときは、自分が書けない何かと向き合ってる時間だと思えるようにしたいし、いい意味でそうでありたいとも思います。
5章を書いたことで、あたらしく6章を書きたいと思えるようになったのも、またみそらや三谷のあたらしい内面に触れることができたということなのかもしれません。
ほんと、誰かのためではなくて、自分のためにしか書けないです。それでも、誰かにもし届くものがあるなら、ゆっくりお付き合いいただけますと、本当にうれしいです。
もうちょっと、みそらと三谷と、自軍のエンタメと、楽器と、生きてみようと思います。