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エヒトクラング第3章を終えて(ネタバレあり)

 第3章までご覧いただいた皆様、本当にありがとうございます。本章は、初来日で不評を買ったピアニストが愛弟子を通してリベンジするという主軸を基に話を組み立てています。
 
 初来日での不評と言えば、クラシック音楽ファンが真っ先に思い出すのは、ウラディーミル・ホロヴィッツの1983年初来日ではないでしょうか。皮肉にも、僕がホロヴィッツの名を知ったのは、その悪評を通してでした。少年時代の僕はそのことを母の口から聞いたのですが、とにかくホロヴィッツというピアニストは偉そうでワガママで、初来日にあたっては、関係者たちを散々振り回して困らせたとのこと。チケットも5万円という、当時としては破格の高額。ところが蓋を開けてみれば、素人でもわかるようなミスタッチだらけの酷い演奏。多くのファンをガッカリさせた一大事件でした。母は、〝奢れるものは久しからず〟的な含みを持たせて僕に語ったような気がします。
 そのように海外のピアニストにとって、初来日はしばしば鬼門ともなるようです。僕がもう少し大きくなって、自分でもクラシック音楽に耳を傾けるようになった頃……音楽の友だったか、ショパンだったか忘れましたが、あるコンサート評が目に止まりました。それは1988年、アンドレア・ルケシーニというイタリアのピアニストの初来日リサイタルへの評価でした。……それはもう、散々たる酷評でした。本章のはじめの方で書かれているルイジ・ベルガミーニへの鶴見惣五郎の評価は、その記事を思い出しながら参考にして書いたものです。
 それまでルケシーニはレコードをリリースしており、日本でも吉田秀和氏が高く評価したこともあって、それなりに評判は良かったようです。ところが、来日してみると識者たちは申し合わせたように酷評し、吉田秀和氏もその著書において前言撤回するようなコメントを残しています。それからルケシーニの日本での評判はガタ落ち、日本での活躍の場はほとんど失われてしまいました。(それから1992年チェリストの伴奏者として来日、21世紀になってからはソリストとしても来日したようです)

 その演奏会からしばらく経ったある日、僕はそのライブ録音を聴く機会がありました。知人がFM放送をエアチェックしていたのです。その知人は子供に対して非常に教育熱心な方で、しばしばそのようにFM放送をエアチェックしては子供に聴かせていたのです。僕は知人の家でそのカセットテープを見つけてつい、
「このピアニスト、あんまり評判良くないですよ」
 と言ってしまいました。それでどういう成り行きか、そのテープをかけてもらったのですが、それを聴いて、(はて、そんなに酷評されるほどの演奏だろうか)と疑問に思いました。もちろんライブと録音では音の聴こえ方は違います。でも、若干ボリュームダウンすれば音楽として問題ないのであれば、それは奏者の音楽性と言うより、楽器に問題があったのではないかと推測されます。調べてみると、件のコンサートはかつて津田塾大学にあった津田ホールで行われました。津田ホールには当時、2台の性質の異なるスタインウェイがあったそうです。その性質の違いがどのようなものだったかは想像するしかありませんが、おそらく1つは繊細或いは重厚、もう一つは明るくよく鳴る楽器だったのではないかと思います。そして、ルケシーニが選んだのは後者だった可能性が大きいと思います
 この楽器は当時すでに年季も入り、多くの演奏家によって弾きこまれていたようです。するとどうなるかというと……作中でマイが語ったように、ハンマーが石のように硬くなり、硬質な音しか出せなくなります。そうすると、本来デュナーミクの使い分けによって多彩な音色を奏でられるピアニストであっても、色彩感の欠けた味気ない演奏しか出来なくなります。あのルケシーニの不評は、そんな不幸な要素が重なって起こってしまったのではないか……と推測しました。

 最近になって、ルケシーニは今頃どうしているだろうかと思ってネットで調べてみると、なかなか評判の良いピアニストとして健在していました。You Tubeではシューベルトを中心に動画が出ていましたが、聞いて見ると技術偏重のうるさ型ピアニストという汚名とは真逆の、素朴で牧歌的な音楽でした。この動画を鑑賞しながら、本章の筋書きを練って行きました。

 一方、今回はベトナム・ピアニズムも題材となっています。以前ダン・チャインの演奏を耳にした時、日本や中国などの琴に比べるととてもブリリアントで、ピアノに近いなと思いました。ベトナムと言えば、アジア人で初めてショパンコンクールで優勝したダン・タイソンが思い浮かびますが、アジアの中でいち早く世界の檜舞台でそのピアニズムが理解されたのも、そう言った背景があるのではないかと思いました。実際、ベトナムには才能ある若手やピアニストの卵たちが少なくありません。しかしながら、国際的名声という意味ではダン・タイソンに続く者がなかなか出て来ないようです。
 グレイス・ニューイェンは、そんな筆者の思いが形になって生まれてきたキャラクターかもしれません。

 さて、蔵野江仁の家族関係もチラチラと垣間見えた第3章ですが、また徐々に明らかにしていく予定です。お楽しみいただければ幸いです。
 また、第六回WEBコンにも本作でエントリーさせていただきました。何卒よろしくお願いします。

6件のコメント

  • なるほど、と思います。

    生でも変わりますし、再生でも音楽はころころ変わりますよね。
    演奏家の力をどう引き出すか、極めて大変な行程なのだと思います。

    先日見た映画では、バイオリンのレコーディングでどの弓を使うかで試行錯誤を繰り返す姿が描かれていました。
    生は、一旦始まってしまえばその検討の機会すら与えられないでしょうから、より厳しい世界だと思います。

    続く章も楽しみにしております。
  • いつも楽しく読ませていただいています!
    3-16に誤字がありましたので報告させていただきます。

    グレイスは大声で呼びかけた。しかし男はそれが聞こえていないかのように階段を降りて行った。さやかの地下鉄の入口までダッシュして、何とか男を捕まえようとした。

    → さやかの地下鉄の入口までダッシュして

    という部分です。

    引き続き楽しみしています。
  • 林海さま
    いつもご愛読ありがとうございます。
    確かにヴァイオリンの場合、楽器よりも弓の選択に気を使うとヴァイオリニストの方がおっしゃったのを聞いたことがあります。レコーディングとなると、〝つなぐ〟可能性があるので始めから終わりまで同じ条件をキープしなけれはならず、はじめの設定が結構重要になるようですね。
  • なぎらまさとさま
    ご指摘ありがとうございました。早速訂正させていただきました。今後ともよろしくお願いします。
  • ベルガミーニのお話は、実際にあったお話をモデルにされていたんですね。二台あるうちルケシーニが選んだピアノが、結果的に酷評を招いてしまったとは何とも不幸なことですね。そこに輪をかけて評論家まで手のひらを返してしまっては、たまったもんじゃないですね。
    当時、さやかのような存在がいれば、ひょっとしたら彼の不評を払拭できたかもしれませんね。
  • Youlifeさま
    近況ノートにも目を通していただき、ありがとうございます。ルケシーニ不評の原因については僕の憶測が多分にありますが、実際にビアノの音が固すぎて「あの人の演奏はキンキンうるさい」と評価されてしまうケースは耳にしています。
    弘法筆を選ばずとは言うものの、ピアノは楽器の状態がいかに大切かということを物語っている気がします。
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