世間では黄金週間。猫も杓子も遊ぶ遊ぶ。コロナなんぼのもんじゃいっていうぐらい人手が出ていて、自分も一泊二日で小旅行に出かけた。ラーメン食べたり、海鮮食べたりとか、海を見たりとか。あと、すごい虹なんかも見た。
本来であれば、この時期を活かして、一気に書くぞ。または描くぞなんだが。
ノンノンノン! そんな真似したら、鬱一直線だ! 自殺一直線だ!
休む時は休む、遊び時は遊ぶ。少しでも外に出て見聞を広めるのはとっても大事。
何故ならば、適度に遊んで行かないと精神というのは蝕まれているようにできているのです。遊ぶ友達がいないとか個々の理由はあるかもしれない。しかし、そんな人間たちを構って、儚んでいる暇などないのだ。
世の中、弱肉強食、己が弱いと思うなら頭を使って戦うしかない。
なあに、大丈夫。意外と世の中は馬鹿だらけ。君ならきっとやれる。でも、人間は感情の生き物だから、そこの「駆け引き」はしっかり考えるのだぞ。感情論から見れば正論なんてものは面をむかって喧嘩を売ってると同然なのだから。
心して、よく聴くのだ。「コミュニケーションを支配するものが人間をも制す」のだ。理系とか文系とか言ってる連中は今すぐ、竜神大吊橋からバンジーでもして、人生観を改めて来るといい。
というものあり、先日は友人の引越しを手伝ってきた。
もう古い友人で、大体のことは知っている。若い頃はパパ活おじさんたちを見て「情けない」とか言ってたが側だったが、実際自分がおじさんになったら同じことをしているという因果。ただ、何度もでいうが、人生なんてものは楽しんでしまったもの勝ちなのだ。どんなに妬んでも、恨んでも、仕方がない。
ある意味において、強者を証明するために弱者が存在する。刃向かったところで、古いファシズムで叩き潰されるだけ。ガタガタ言う奴らには、ありったけのヘイトを食らわせられる。
そんなこんなで、ある程度のお金あり、頭さえ使えば若い女の子とも同棲できるわけなのです。それで、結婚しちゃう人もいるだだろう。でも、その友達も下心丸出して、若い子を求めていたわけでもない。って言うのがミソ。結局はそう言う環境をいかに作り出せるのかがポイントなのだろう。
そして、キモくなければいくらおじさんでも百人に一人ぐらいは好きだと言ってくれる女性はいる。あわよくばうまく勘違いしてくれるってことのだろう。と、しみじみ思ったわけです。
あ、ぽくはパパ活なんてしてませんよ。しかし、世の中で叩かれている案件っていうのは、それだけまかり通っている方法論の一つではあるのだ。馬鹿と賢い奴の差はそこで生まれる。皮肉なことに、戦線から遠のけば遠のくほど、非現実的なるものが自分の中の妄想を支配してしまうものなのだ。しかも、都合よく。
当然、現実にはそぐわないことばかりになる。そして、自然と批判と悪口ばかり口にしてしまうようになる。やがてこれが、自分をも苦しめる毒にもなるのだ。他人に対して、そんなことを言っても、傷つくのは本人だけというのも賢い連中は知っている。要は、完全にカタに嵌められてるわけですね。
だからこそ、そういう人間を「放置」している。勝手に死んでもらうために。ほんと、大人って怖いですね。
結局、女も仕事も現場第一なんです。うんうん。