大衆文学と純文学という言葉がある。
私自身、これらの言葉をしっかりと調べていなかったことから、本当に意味を知ったのは最近なのだが、どうにも純文学とは、流行り廃りに左右されず、己が価値観を貫き、提示するものだという。
つまり、今売れそうだから、流行っているから、という打算の元に書かれるものは、全て大衆文学と言うことができる。
だが、評価シートの総評を見ると、なんだかどれも純文学性を否定するようなコメントばかり。
まぁ、その小説大賞が等しく大衆文学を募集しているのであれば、仕方がないが、スニーカー大賞も、MF文庫大賞も、電撃小説大賞も、多少の差はあれど、広義の『エンターテインメント作品』のはずだ。
それなのに……ははっ……実にお粗末。
そして、これはその中の一つの小説賞での評価コメントにあったのだが……
審査員が文章を読み解けていないのだ。
別に難解な構成はしていないし、確認しなおしたが、やっぱり『そういう意味にはならないでしょう』と思える内容、構成を誤解して読まれていたのだ。
もちろん、人間のすることだから、ミスも勘違いもある。
しかし、それで三次審査を落とされたと聞けば、少し憤りも感じるものだ。
その程度の文章読解力しかない人間が、他人の人生を左右する審査をしないで貰いたいものだ。
……ああ、すみません。
あまりに、見当外れなコメントを頂いたもので、思わず、言わずにはいられませんでした。