最近体調がすぐれない。
これは、日々の激務のせいなのか、生活リズムの崩壊なのか、はたまたダイエットなどによるストレスなのか僕にはわかりかねる。
ただ、今ここで言えることが一つだけある。
それは、「これは絶対に出勤してはいけないんじゃね?」って思える程の症状だということだ。しかし、これはあくまでも個人的な見解であった。
人の一生は重要な選択肢の連続だと言う。
より慎重に道を見極めることが必要である。
千里眼にも似た、先見の明を持つ者のみがいわゆる成功者であり、他者とそれとを分ける才能である。
しかし、自分にはそれが備わっていない。
体調が悪いにも関わらず、やれ仕事だの、やれ旅だの、やれ執筆だの、やれダイエットだの、身体に悪いことならなんでもやっていた。
このまま続ければ、必ず自分に何かが帰ってくることもわかっていた。
だが、それをわかっていたとしても、いつも選ぶのは将来自分に不利益になるであろう選択肢の連続であった。
そんな自分は、最近思い悩んでいた。
自分が選んできた道は本当に正しかったのだろうか。
誤った道に入り、袋小路にたどり着いてしまったのではないだろうか。
このままダイエットを続けるべきなのだろうか。
ラーメンが食べたい。
様々な感情が沸き起こった。しかし、それを悩むのも、悩むのをやめるのも、選択肢である。優柔不断な自分にとって、こんなにも選択肢であふれた世界は、とかく住みづらい。
だからこそ、自分はあのときもっと勉強すべきだったのだ。
そうすれば、今の自分は今後の選択肢を悩むことはないはずだった。
世の中高生は言う、「勉強なんて社会に出たら必要はない」と。
しかし、今それを、社会に出た全ての大人にぶつけて、全ての大人が「全くその通りだった」と言うだろうか。
確かに、円周率や水溶液の濃度を計算することはほとんどない。
無駄な勉強ばかりをしていると、そのときは思うだろう。
だが、それらはれっきとした知識であり、積み重ねれば、自分の人生の選択肢を広げ、それを正確に選び抜く力となるのである。
そのことをいかに早く気づくことができるかが、人生の分岐点だったのかもしれない。
さて、今時分、発熱と止まぬ咳に侵された身体を引きずって、男は外に出ようとしていた。しかし、足をあげようとも、引きずろうとも、その身体が前に進むことはない。
こんな症状で、果たして出勤してよいのだろうか。
男は判断できずにいた。
自分にもっと専門的な知識が備わっていれば・・・。
男は人生を悔やみながら、その場に力尽きようとしていた。
なぜなら、彼は専門的な判断を仰ぐため《医者に行くため》の金が、すでになかったことに気がついたからだ。
給料日は15日。
なぜあの時、男はラーメンを食べてしまったのか。
その金さえあれば・・・。
今日も執筆は進まない。