彼女は、ページをめくるのが怖くなっていた。
かつては物語の海を泳ぐのが好きだった。
けれど今は、たった一行が重くて、苦しくて、目が滑る。心も滑る。
それでも、本棚の前に立つ日だけはあった。
読めなくても、本の背表紙に指先をすべらせて、心のなかでつぶやく。
「また、読める日がくるかな。」
ある日、ふと開いた古い文庫本のあいだに、小さな紙がはさまっていた。
昔の自分がしおり代わりに使っていた、レシートの切れ端。
日付は、ちょうど一年前。
そのときも、きっと苦しかったのだろう。
だけど、しおりがあるということは――
「このときの私は、読もうとしていたんだ。」
それに気づいたとたん、彼女は、涙が出そうになった。
たった一行でも、読み返してみたくなった。
その一行の中に、自分が確かにいた気がした。
ページを閉じて、しおりを戻す。
今日はそれで、十分だった。