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時間の無駄ですから

卯月の備忘録的なモノなので、時間の無駄になるかもです(ご注意)。

最近読んだ本からの気づき的なモノ 「センスの哲学」から③

「ものごとをリズムとして捉えること、それがセンスである」

モデルに合わせようとして合わせきれないのが悪い意味でのズレで、それがセンスが悪いと見なされる。だったら、そもそもモデルを目指すことから降りてしまい、自分の積極性を肯定する「ヘタウマ」でいいじゃないか。

そうこの本でははじめに説明されます。

何らかのモデルを目指すというのは、それが持つ意味を求め、その意味を自分に取り込もうとしている。でも、この意味より手前で、ものごとが「それ自体」としてどう面白いのか、という観点を重視しようと。この「それ自体」というのが「リズム」。

で、この「リズム」というのは何なのか?

例として社会学者の宮台真司の1990年代に有名になった「意味から強度へ」というフレーズを取り上げて説明しています。

「強度」は、今日の言葉で言えば「エモい」につながる。なんか曖昧にいい感じ。それは「意味」ではなくて、じんわりいい感じだったり、ワクワクする感じだったりする。

この「強度」という言葉は、ジル・ドゥルーズという哲学者の言っていたもの(千葉雅也はジル・ドゥルーズの哲学をメインに研究している)。

この「強度」が「リズム」。

「強度」とは強い/弱いのこと。強いところ弱いところ、この強弱が交代するというのは「リズム」のことだと。

「音楽であれ美術であれ、インテリアの配置であれ、料理であれ、その「リズムの多次元的な=マルチトラックでの配置」が意識できることがセンスである。そしてその配置の面白さが、センスがいいということになる。

意味から離れたリズムの面白さ、それがわかることが最小限のセンスの良さ。

実はこれは、二十世紀にいろんなジャンルの芸術が向かった方向。このセンスの良さというのは、意味へのこだわりが強かった時代から、より自由に音や形を構成していくようになるという近代化、現代化、これをモダニズムと呼ぶ。このモダニズムを良しとする価値観。

音楽と文学に関してはこれがけっこう難しいと、言っています(おい!)。言葉という意味を伝えるツールをつかっているのに、意味から離れようとするのはね。音楽のほうは、かつて許されなかった複雑怪奇な不協和音をつかったり。これはボカロ曲なんかでうまくいっているのがいくつもありますかね。つまりあれが分かるというのはセンス。

執筆に関係なくね? とこのあたりの内容まで読んで不安に思いましたが、これより後のほうに「意味のリズム」というテーマが登場するのでまったく問題なかったのですが。まあ、センスを良くするためには「ものごとをリズムとして捉えること」という視点は面白いし、実は重要。

本のハナシはいったんここまで。


本書にでてきたジル・ドゥルーズさんのことが気になったので、簡単にまとめてみる。(さらに読むのは時間の無駄かもです)

ジル・ドゥルーズ……フランスの哲学者。ヒューム、スピノザ、ベルクソン、ニーチェらを独自に読み解き、「差異の哲学」を構築。日本の思想界にも大きな影響を与えた。「哲学とは概念を創造することである」という言葉どおり、彼は数多くの概念を生み出した。

西洋の思考は、ひとつの絶対的なものから展開していくことに取りつかれているとドゥルーズ(あとガタリって人も)は考えました。これをトゥリー(樹木)にたとえて、ときにひとつの体系に組み込まれないものを排除する考えだと批判します。それでこのトゥリーに対抗する発想としてリゾーム(根)を提唱しました。

たとえば自然だったら理科なんかでお勉強する食物連鎖の図のようなカッチリしたものもイメージできますけど、実のところ秩序なんてなく相互に複雑に関係している。

トゥリーにたいしてリゾームは始まりも終わりもなく、網状に逃走線を持ち縦横無尽に広がります。リゾームのイメージで物事を捉えると、ヘーゲルの弁証法のように異なった考えを統一していくのではなく、差異を差異のまま認め合う発想ができるとドゥルーズ(とガタリ)は考えました。

これだと多様な価値をそのまま受け入れられますね。

さらにこういうことがわかっていると、流行語大賞の第1回(1984年)の受賞語のひとつ「スキゾ・パラノ」についてもよく分かる(古すぎて誰も知らんかも。スキゾ人間・パラノ人間。だから、さらにさらに時間の無駄でつ)

「欲望」について、ドゥルーズ(とガタリ)は、四方八方に広がる分子のようなイメージで捉えます(リゾーム的な)。この増殖しながら広がる力が世界を動かす原動力となっている。この欲望によって動かされている世界を「欲望機械」と呼びます。この欲望機械には私たち人間も含まれていて、無意識下で私たちの身体のあらゆる器官も動かしている。でも、欲望のおもむくまま動くべき人間も、親や社会といった「抑圧装置」が働いて、この拡散する分子のような動きをひとつの方向に統一しようとしてしまいます。こうしてできるのが、みなさんご存知「アイデンティティ」。

一度アイデンティティが形成されると、人間は社会的な役割に縛られ、他人の評価を気にしながら生きることになる。このような状態を「パラノイア(偏執症)」と呼びます。このパラノはあらゆることを自分の価値基準の領域に囲い込もうとする。これだと新しい価値を生み出すことができない。「自分はこういう人間である」というアイデンティティは自分をトゥリー化し、身動きできなくなる。

反対に自分の人格やアイデンティティを持たない立場を「スキゾフレニア(分裂症)」と呼びます。スキゾは欲望のおもむくままにその時その時を楽しみ、あらゆる価値をこだわりなく受け入れる。ドゥルーズ(とガタリ)はこのスキゾ的生き方を理想としました。

で、トゥリー的でパラノイア的な生き方から自由になるために、ドゥルーズ(とガタリ)はノマドの生き方に着目(リゾーム的でスキゾ的な生き方)します。

なんか無駄に長いことかいてしまいましたけど、ここまでにしておきましょう。

ただの本からの気づきの近況ノートでした。

意味不明ついでに、なつかしいのを。
米津玄師 MV『ゴーゴー幽霊船』
https://www.youtube.com/watch?v=2PqxOytUjz0

では。

1件のコメント

  • 確かにリズム、調子って大事な気がする。音と音の間、線と線の間、色と色の間、言葉と言葉の間、文章と文章の間、静と動の間、緩急の間、光と闇の間……そんな間にとても魅力を感じます(*´ェ`*)
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