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『視点は死転?』卯月のあたまのなか

またこの日曜も気づけば、ずっと寝てました……。ああ……、駄目な子です。

まあ、それはいつものことですから。

まずは他の方も注目の創作論。律角夢双さまの『文章の距離について』。

リンクは張りませんが、掘り出し物っす。このレベルの創作論もあるのがカクヨムの良いところです。有料書籍一冊分の気づきが得られますよ。日々試行錯誤しながら創作されている書き手のみなさまにオススメ。


では、めでたく完結しました『視点は死転?』のプチ解説を。

この近況ノートは卯月の日々の創作の備忘録がわりにもしておりますので、自分の作品を自分で解説するという「なんだか恥ずかしいこと」も気にせず書いたりします。

そういうのはいらん、という方はここまでで。

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6月19日に第一話投稿後の解説やってます。あれは前フリみたいなものですね。あの時点で、それ以降のおおよその企みは出来上がってました。

せっかくなのでこの作品「なろう」さんにも投げてきたんですが、ジャンル選択のところで「ホラー」が見つからなくて焦りましたw。大ジャンルがなんと「文芸」。純文学、ヒューマンドラマ、そして歴史もまあ。ですけど、推理、ホラー、アクション、コメディも「文芸」だとは……。文芸という言葉は、言語で表現される芸術の総称として使われるらしい。ラノベや漫画なんかのサブカルは含めないのが一般的でしょうか。ちょっと投稿を躊躇いましたよ。ジャンルは読者さまのための箱ですから隅に追いやられていろんなものと一緒にされるのも致し方ないのか。

それはいいです。カクヨムでの話です。ちゃんとホラーだけの箱がありますからね。前にホラーの定義については前に書きました。「恐怖」を主題とした小説、読者に恐怖感を与えることを主題とした小説、サイトにより表現の差はありますが読者に恐怖を感じさせたらよいのです。

この「ホラー」、さらに分類すると「心霊ホラー」「オカルトホラー」「モンスターホラー」「サスペンスホラー」「シチュエーションホラー」「SFホラー」などなど。「怪談」もホラーですね。カクヨム民は特によく知る『近畿地方のある場所について』なんかは、「モキュメンタリー」「モキュメンタリーホラー」ですね。実はとっても幅が広い。

ホラー映画だと、「サイコホラー」「スプラッターホラー」「ゾンビホラー」、そうそう「コメディホラー」なんかもつけ加えられますか。ホラーコメディがただしいのか? 『アダムスファミリー』『ビートルジュース』『バタリアン』『死霊のはらわたII』なんかかな。そういえば結構ホラー映画は見てますね。

映画のほうは怖くなくてもベースがホラー映画として見えるのならOKといった感じでなんでもあり。

卯月はこの「コメディホラー」という言葉にヒントを得ました。

Life is a tragedy when seen in close-up, but a comedy in long-shot.

「人生は近くで見ると悲劇だが遠くから見れば喜劇である」Charlie Chaplin(チャールズ・チャップリン)

皆さんご存知「喜劇王」。彼について書き始めるとこれも長くなるのでこの名言だけで。創作物の中には多く、この喜劇と悲劇の落差を利用したものがあります。

そういうわけで、『視点は死転?』の第1話はそんな笑いの要素を強めにしました。第2話もそれに近いですけど、ほのぼのとした空気感からのすぷらったー?第3話あたりから不穏な感じに、そしてミステリっぽく。第4話での雰囲気はよりホラーの世界観によせています。第5話ではあえて読者の期待の外をいく。

大きな構成はそういうふうに作りました。喜劇俳優的主人公が話が進むにつれ悲劇の主人公に。手法としては珍しいものではありませんけど一万字程度の短編で圧縮してみせるのは面白いかと。

次に「視点」ですね。卯月の近況ノートでも触れてきましたし、第1話で文章として読者にも見えるカタチで提示しています。ここが仕掛けです。この『視点は死転?』は流し読みされる読者さまにはわからないと。

これも近況に書きましたか、ちゃんと文章の意図を汲みながら読む読者さまは少ないこと。これは読者さまではなく、ネット小説というものがそういう楽にストレス無く読めるように文体やレイアウト、会話文、テンプレ構成なども含めて発展していった結果です。卯月も読み専時代には、娯楽用とじっくり読み込む用で読む作品を選んでましたからね。

ああ、「視点」でしたね。やはり以前読ませていただいた「二人称」作品のことが頭にありましたから『視点は死転?』はああなりました。

基本、主人公の独白型の「一人称」視点ではじまりますよね。そう、独白、ひとりごとです。ですけど、このひとりごと「です、ます」の敬体を使用しています。国語の話というよりも、日常生活でつかう日本語の話ですがどういうときに敬体をつかいますかね。

ネットからひろってきた常体・敬体の説明文がこちら。
「特定の人に呼びかけるときには敬体を用い、不特定の人物に対して公的に書くときには常体を用いるというのが原則だ。したがって、手紙などは敬体で書き、エッセイや小論文などは常体で書くのが一般的だ」
もちろん、不特定多数を思い浮かべて敬体を用いることはできるとしていますけど(懐かしい雰囲気が醸し出され、読む側にとってはゆっくりしたペースになる)。

さて、主人公は「特定の誰」に向かって……。

卯月の作品をいくつか読まれておられる読者さまは、このはじめて見る「です、ます」敬体の意図に気づいたかもしれません(いや、ふつう無理っすかね。みなさん雰囲気的なもの、気分転換で書いたと思ったのでしょう)。

最後の第5話でそれが明らかになるんですね。タイトルでもはっきりわかるかと、結局書かないっていって「二人称」に挑戦してるやん!

何回もありますね。短歌も書かないっていってたのに、あと忘れましたが他にもありましたか。

人称視点って、一人称だからこう、三人称だからこうなるみたいなカッチリしたものじゃないんです。この近況ノート冒頭の創作論にも書いてありますけどね。ネット小説に多い、一人称も書き手によって大きく違いがあります。どこかでみたのですけど「主人公『私』=作者」の感覚の強いものと、「主人公『私』=役者(主演俳優)、作者=脚本家&監督」っぽいものの違いだとか。たしかに太宰とかの文豪の一人称私小説もそれぞれ違って感じられますかね。

人称視点の理解は書き手にとって当然避けることのできないものなのですが、突き詰めると深すぎて書くことが怖くなってくる厄介なものなのでこの程度で。

結局、『視点は死転?』は書き出しから最後まで「疑似二人称?」なんです。「あなた」とはじめは言ってないだけで(もちろん主人公は最後に明かすつもりで微妙に心の独白を続けていきます)。

ああ、めんどくさいですよね。そう、今回の短編での実験はそういう面倒なことをやってみること(読者さまはふつうに読んでいただければよいのですし)。

文字数は「お遊び」です。

1000字、1000字、2000字、3000字、5000字。

ぴったりそろえました。字数合わせもお手のものになった卯月です。フィボナッチ数列ネタがはじめからありましたから、気づかれぬようこっそりとです。さすがに五千は読んでもらえるように必死に書きました。最後までたどりついた読者さまを称賛。

卯月は長く受験業界の人でして。当時は一斉型集団授業形式が多く(いまはタブレット使用のAI学習とか、個別っぽいのが流行りかな)、講師の欠勤など非常時に備えて教科は幅広く対応してました。実はメインは中学受験算数っす。フィボナッチ数列はそのネタの中から。算数自体がホラーの方は別の意味での恐怖を感じたのかも(この数列は高校でも出てくるし別に知らなくてもいいのです)。こういう個人的趣味も投入。

あと、タン、タン、タタン。

近況で音と恐怖について取り上げましたけど、〇〇のような音、旋律、曲、音楽とやっても伝えるのがムズカシイので直接リズムでやってみました。

元ネタは「にし◯んクリニック」のCM。Youtubeにもいくつも上がっているので多分、全国区CMでしょうかね。アレっす。あのCM思い浮かべると恐怖の欠片も無くなってしまうのですけどね。

最後に、断片的な場面を並べる形式で小説を構成しました。その間を繋ぐものや、どうしてそうなったのか。主人公は小夜とどのようなやりとりをして決戦に向かったのか。付喪神を倒す「ツクモさま」の存在とはなんなのか。いかにしてのりうつる能力で倒そうとしていたのか。などなど。読者さまの自由な想像で埋めていただこうと余白を残しています。長編なら詳細に書いて表現していくところですが、短編小説ですから思い切って委ねましょうということにしました。

まだいろいろ企んだことはあるのですが、また無駄に長くなってしまいましたのでここまでにしましょう。

長文にお付き合いありがとうございました。

では。



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