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はっ!

やはり確実に通常の生活での睡眠が不足しているようです。

エアコンの効いた快適な部屋で寝落ちし、深夜3時(いやほぼ朝の4時)であることをスマホ表示で確認しひとり泣きしてる卯月です。

あーよく寝た。寝過ぎで頭が痛いっす。寝落ちする前にコンビニに行く途中で撮影した空の写真。朝の青空とは一転、やはり何かを暗示していたようです。

気を取り直して文章のお勉強をと、谷崎の「文章読本」を再読。

谷崎は言います「言語は非常に便利なものでありますが、しかし人間が心に思っていることなら何でも言語で現わせる、言語を以て表白出来ない思想や感情はない、という風に考えたら間違いであります。今も云うように、泣いたり、笑ったり、叫んだりする方が、却ってその時の気持にぴったり当て嵌まる場合がある。黙ってさめざめと涙を流している方が、くどくど言葉を費やすよりも千万無量の思いを伝える」と。

さらに言語は万能ではなく、その働きは不自由で、時には有害なものであるとまで言っています。

そして「同じ言葉でも既に文字で書かれる以上は、口で話されるものとは自然違って来ない筈はありません」と。

口から発せられる言葉はその場で感動させることを主眼としているけど、文章の方はできるだけその感銘が長く記憶されるように書くものであると言っています。

さらに、谷崎は「文章に実用的と芸術的との区別はない」と言います。

文章の要は自分の心の中にあること、自分の云いたいと思うことを、出来るだけその通りにかつ明瞭に伝えること。何を書くにしてもそれ以外の書きようはない。

「華を去り実に就く」

これは「文章読本」の中で昔はこれが文章の本旨だったと谷崎が書いているのですが、出典が分からない。去華就実(きょかしゅうじつ)を読み下したもので明治41年の戊申詔書からではないかともネットにはありますが、よくよく調べてみると「去華就実の由来と展開」という論文があるらしい。

その論文によると、この言葉は中国は清の時代の詩人沈徳潜撰の「唐宋八大家文読本」の原序にあるとのこと。これは唐の韓愈、柳宗元の2人、宋の欧陽脩、蘇洵、蘇軾、蘇轍、曾鞏、王安石の6人を合わせた8人の名文を集めたもので、将来「文」を学ばんとするものの「読本(教科書)」として編集されたものらしい。

「去華就實」という成句がこの読本から生まれたと考えられるのは、幕末から明治にかけて、当時の漢学者たちがこの読本で勉強したということのようです。

おそらく谷崎はこのことからこの言葉を使ったものと思われます。

「華を去り実に就く」……華やかなこと、華美なことに走らず、実質あるものに力を注ぐ。

谷崎の説明だと「余計な飾り気を除いて実際に必要な言葉だけで書く、と云うことであります。そうしてみれば、最も実用的なものが、最もすぐれた文章であります」、とそう言っています。

ちょっと脱線しますけど山口県大学共同リポジトリに「谷崎潤一郎の文体」という論文がありました。文章読本の内容も含めて考察されていますので谷崎好きは目を通されてもよいのでは(卯月は実は谷崎作品をあまり読んでいません)。

いやいや、読むたびに気づきがあって勉強になりますし面白いです谷崎の「文章読本」。

いつものように近況ノートに学びを残しておく卯月でした。

では。

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