A word is dead,
When it is said,
Some say.
I say it just
Begins to live
That day.
エミリー・ディキンソン(1830ー1886)の詩です。アメリカの生んだ最高の女性詩人のひとり。興味ある方は岩波文庫「対訳 ディキンソン詩集(亀井俊介)」でも。
ことばは口に出したら死んでしまうって人がいるけども、彼女は「その日」からことばは生き始めるって書いています。
発話された言葉が死んでしまうという表現をどこかで……、と思い調べていたらありました。村上春樹「街と、その不確かな壁」の中に。
「一秒ごとにことばは死んでいく。路地で、屋根裏で、荒野で、そして駅の待合室で、コートの襟を立てたまま、ことばは死んでゆく」(広島大学学術情報リポトジ「封印されたテクスト」の中に見つけました。これも面白い)。
『失敗作』とされた春樹ファンには有名なこの読点のあるほうにあった、この一文は、読点のないほうの新たに書き直された「街とその不確かな壁」では無くなっているらしい(お高いので卯月はまだ呼んでませんブックオフで探そうかな)。
自分自身の認識と「ことば」との間にある絶望的な溝。
これは卯月が子どもの頃から感じていたものであって、作文や文章だけでなく人前で話すことも苦手と感じていた正体ですかね。ことばの不確かさ。言ってみたり書いてみても頭の中のそれのほんの一部だって表しきれていない。仕方なく当たり障りのない言葉を置いてみるけど、こんなんじゃない。ことばにしたもの書いたものが時間が経つと他人から違う解釈がされることも。発したことばはその瞬間消えてしまうけど、書いたものだって借り物だからそのときの正確な心象は残していない。
「ことば」なんてものはほんの一部しか切り取ってくれないし、だいたいみんなすべてを正直に書き表そうなんて思っていない。物語は虚構ですから、きれいな嘘の集合体。そのフィクションが人の心を動かすのだから美しい嘘の世界ですね。
ああ、そうでした。『わたしはあなたの涙になりたい』(四季大雅・ガガガ文庫)を読み終えましたよ。泣かしにくると分かっててまた敗北した卯月です(ヴァイオレット・エヴァーガーデンに続く二敗目。これは紙のほうも研究用で手に入れました)。本当に文章も構成も上手く書かれています。勉強になり過ぎです。
なんか深夜から早朝にかけての変なテンションで書きましたけど、近況ノートは思いつきの書きなぐり? 書き捨て用? ですのですいません。推敲などしておりませんので悪しからず。雰囲気だけ伝われば卯月的にはよいのです。読まれる方には迷惑でしょうけど、最後まで読み切る必要性は当然ございませんので、ご無理はなされませんよう。
それじゃ、執筆のほうにもどります。
では。