先月から今月にかけてメチャクチャ忙しく、しかも右手が壊れてしまいパソコンもスマホもろくにいじれなかった土屋です(;'∀')
ようやく回復してきて、ふとカクヨムを見たらレビューがついていたので、まずはお礼までm(__)m
拙作『審判の日』はイギリス映画『ハードウェア(原題:Hardware)』(1990年)を観て描いたものです。
核戦争で文明社会が崩壊した後の世界を描いた作品は山ほどありますが、例えばフランス映画『デリカテッセン』(1991年)とか、ターミネーターシリーズとか、『ターミネーター2』(1991年)は個人的に最も好きな映画の1つなんですが、あれで終わらせておけばよかったのに続編のT3ですべてぶち壊してしまいました。
ジョンはぶっさいくなオヤジになっているし、サラは死んでしまうし、結局核戦争を阻止できないし、『エイリアン3』(1992年)を見たときと同じの「金返せ!」感がハンパなかったっす(;´・ω・)
で、数ある核戦争ものの映画の中で、ハードウェアは突出して面白いわけでもなく、「マルコ13」とかいう変なロボットとお姉さんがただひたすら狭い家の中で戦うという低予算丸出しのB級映画なんですが、気温40℃の灼熱のオーストラリアの砂漠をガスマスク姿のおっさんがテクテク歩いていくラストシーンが何故か強烈に印象に残っている作品です。
おそらくあの砂漠は核戦争でメチャクチャに汚染された放射能まみれの砂塵が吹き荒れる最低最悪の地獄の環境だと思いますが、土屋はアメリカ軍がバカみたいに核実験をやりまくっていたネバダの砂漠を歩いていて、30年間一滴の雨も降らないカラカラの砂漠に突然豪雨が降ってきてずぶ濡れになってしまった記憶が蘇ったのです。
マスクも防護服もつけずに核実験場の砂漠をうろつきながら、おそらく放射能を含んでいるであろう雨水をモロにかぶってしまった土屋は「もしかすると俺はもう長生きできないのかもしれないね…」などと頭の中で呟いていたのです。
あれから相当な時間がたって、土屋はまだ生きているわけですが、ネバダの砂漠の珍事とハードウェアの退屈なラストシーンが思いっきりかぶって、気づけばこの短編を書いていました。
冷戦後はすっかりフィクションの話になっていた核戦争の脅威ですが、ロシアとウクライナの戦争から約2年半。泥沼化した戦況は膠着状態のまま長期化にもつれ込み、追い詰められたロシアの指導者が核ミサイル発射のボタンを押す可能性も急に現実味を帯びてきました。
土屋はモスクワからシベリアまで飛行機で飛んだことがあります。6時間もジェット機で飛んで窓から見えるのはただひたすら広大なツンドラの大平原。見渡す限り雪と氷しかないのです。こんなバカでかい国に水爆をいくらぶち込んだところでビクともしないでしょう。
ロシアは戦争に弱い国です。普通に戦争したら日本にもドイツにもアフガンにもチェチェンにも負けてしまいます。陸続きのウクライナにすら勝てません。軍隊が弱いから彼の国はアホみたいに核を持っているのです。
つまり世界を道連れに心中できるぞと脅しておけばモスクワまで攻め込まれることもない。あんなに広い領土を確保したのも敵に攻め込まれるまでの時間稼ぎをするためです。
いざとなればロシアは核の使用をためらいません。国土は広大で資源は豊富です。たった1発の水爆で壊滅してしまう日本とは国情が基本的に異なります。
ロシアはアメリカやNATOの報復よりも日本を恐れています。日露戦争で勝ってしまった国です。おまけに金も技術力もある。世界最強の米軍もいます。日本を徹底的に叩き潰しておかないと彼らは枕を高くして寝ることもできません。
作中で日本は政府も皇族も消滅し、戦後は中国に併合されることになっていますが、中国はしたたかな国です。皇族が生き残っても中国に利用され傀儡政権になるか、あるいはカンボジアのシアヌーク国王のように幽閉されてしまうでしょう。
私は親中派などではなく、むしろ心情的には反共・反中の立場ですが、彼の国は悪辣で狡猾でとにかく計算高い。戦が絶えない大陸民族は違います。周囲を海に囲まれた平和ボケ島国民族は太刀打ちできないでしょう。
核戦争なんてあるはずがない。私もそうであってほしいと思います。でも、現実にNYのビルに飛行機が突っ込んで崩れ落ち、世界一安全な日本で3基の原子炉が吹っ飛び、新型ウイルスが世界的大流行してしまったのです。
核戦争が起きたら我々は一体どうなってしまうのでしょう。放射能に強い個体が生き延び、弱い個体は淘汰されるだけなのです。