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小説家の心得

いきなり本題ですが、小説家の心得ってなんでしょうか。

小説家は小説の登場人物にリアリティを持たせるため、細部まで徹底的に話を作りこみ、まるで実話のようにリアルな物語を練って、練って、練り上げるわけです。

たとえば、主人公はどこの出身で、どんな経歴を持ち、その家族はどこで何をしていて、どんなものが好きで、一体何をしようとしている人なのか……?

「山田太郎」という主人公がいて、なんだかよくわからない山田太郎が何かごにょごにょしゃべっていて、そこに「鈴木次郎」だとか、「佐藤花子」なんていうありきたりな登場人物が出てきて、なんだかよくわからん話がだらだら続いて、ひたすら退屈な状況描写に枚数を費やしても、その小説は全然面白くないわけです。

私の場合、小説の主人公や登場人物は実在の人物がモデルになっている場合が多いです。

主人公が「佐賀県」出身の人物なら、佐賀県に関するありとあらゆる情報を徹底的に調べてから書きます。

物語の舞台が江戸時代なら、江戸に関する山ほどの文献を精読し、膨大な資料を精査し、時代考証というものを徹底的にやってから書くわけです。

リアルの江戸時代を知っている人間なんていないわけで、当然、イメージを膨らませて書くわけです。
でも、現実は心ときめく胸躍るようなドラマなんて少ない。リアルは意外と平凡です。リアルすぎると退屈な話になるだけなんです。

だから、読者に飽きさせないために敢えてフィクションを混ぜるわけですが、これもやりすぎると途端に嘘くさくなる。その“塩梅”が難しいんです。

舞台が「コロンビア」なら実際に遠く離れた地球の裏側の南米まで行って、自分の目で見て肌で感じ、いろんな人に会っていろんな話を聞き、構想を練りに練って、イメージが固まってからやっと書き始めるわけです。

作品の構想から完成まで数年かかるのはザラです。実際は20年以上かかったかもしれない(笑)。

こんなめんどくさいことを現代人はしたがりません。思いついたことを適当に書いてみました、みたいな“お手軽小説”が多い。

まあ、今の読者は通勤通学の電車やバスの中で、スマホ片手にササッと読める軽い話の方がいいのかもしれませんが、そういうのって読後に残るものがないですね。

読んで何かしら心に残るものがない話であれば、わざわざ人生の貴重な有限の時間を費やしてまで読む必要はないと思うのです。

以前、ある読者の方が「ものすごくリアルな話ですね」と感心しておられましたが、私に云わせればリアルで当然なんです。リアルな話じゃないと面白くない。読後に残るものがない。

リアルな話を書くには、作家はいろいろなことを知っていなければなりません。

政治、経済、社会、歴史、風俗、雑学的な話、等々……。世の中のありとあらゆることに精通していて、頭の中はまさに百科事典みたいになんでも知っていて、幅広い知識や情報を引き出せる多くの引き出しを持っておかないと、面白い話なんて絶対に描けないと思うのです。

幸い、私は国内も海外もあちこち旅してきました。いろんな土地の、いろんなことを知っているから、それなりにリアルな話を書けるわけです。

「経験に裏打ちされた知識」でないと、うろ覚えの生半可な知ったかぶりの知識でしかなく、どうしても薄っぺらい底の浅い話しか書けません。実体験が伴わないとリアルな話は書けないんです。

いろんなことを知るには旅をすることです。そして、とにかくいろんなジャンルの本をひたすら大量に読むことです。旅をしながら本を読めばいいのです。

今はネットで家にいながら世界中のありとあらゆる情報が無限に入ってきますが、どんなに科学が発達しても現場の“ニオイ”は伝わりません。

たとえば、日本なら味噌や醤油や納豆のニオイ。香港はジャスミン茶のニオイ。アメリカは香水と体臭の入り混じったようなニオイ。

コロンビアはコーヒーのニオイじゃなくて、なぜか石鹸のニオイがします。コーヒーのニオイなんかしません。国中どこも同じ石鹸のニオイ。不思議です。

ニオイって、そのまま旅の記憶なんですね。昔、台湾の山奥で食べた信じられないほど美味な魚料理。今もあの味とニオイは鮮明に覚えているのです。

こうしたことは実際に現地に行ってみないとわかりません。ネットでかき集めた情報で、それらしい話は書けても、リアルで面白い話は書けません。

旅と読書って、考えてみればものすごく面倒です。お金も時間もかかる。とにかく少しでも面倒なことを現代人はしたがりません。

そりゃそうです。結果至上主義の現代は「コツコツ努力」とか「地味で地道な作業」とか「いつ役に立つかわからない知識や教養」なんて「無駄の最たるもの」ですから。

だから、みんな当たり障りのないことしか言えないし、書けない。当然、つまんない小説が粗製濫造されて、わざわざ小説を読む人なんてどんどん減って絶滅危惧種になっていくわけです。

苦心して書き上げた小説は「3年は寝かせておく」ことをお勧めします。

「熱い思いを今すぐ世の中に伝えたい!」という気持ちはわかりますが、3年の間にはいろんなことが起きて、考えも少しずつ変わっていきます。あれこれ書き足したり、ごっそり削り落としたり、もうガマンできず全面的に書き直したくなってきます。

だから、3年の冷却期間を置いて、じっくりと熟成させてから世に解き放つ。一度読まれた小説って、よほどのことがない限り、読者さんはもう二度と読み返してくれませんから。

最後まで読んでいただきありがとうございました。


土屋正裕の小説
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土屋正裕の冒険
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