昨年の今頃はと言えば、職種由来の要因もあってか「ほば他人と会話しない」という状態で働いたり車を運転したり、ネットの方すらも短文投稿サイトもメッセージアプリもほぼガン無視という状態で執筆執筆アンド執筆、という状態でした。
ガン無視というかゲームに誘ってくれる友達には「秋まで無理かも」と事前に伝えており、日常的な雑談をする場も相手もおらず、がっつり集中した環境の中、夢中で執筆していた。
今年の今現在はと言うと、今現在というより少し前から人間関係に変化があったというか「やっぱり人と話すっていいな」と再認識している日々を送っています。送っていますというか、送らせてもらっています、お陰さまで。
他愛のない報告や近況でも、会話する時間がとても嬉しかったりありがたかったり。自分も人生頑張らねば、と思えたりする。というか何往復も対話を重ねた結果として「多分これ、もし急に重要性が低くて取るに足らないような話題を僕が送りつけたとしても、きっと、迷惑ではないんだな? 多分!」みたいな、その感覚が好き。良い。
そういう関係性って尊いな、と思います。
本当に、ありがたいなと思う。
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本日、八月十六日の朝七時に投稿されるエッセイの挿絵のような画像を、近況ノートに添付します。妹にボコボコにされた件。
今年の春先、妹にボコられました。
定期的にボコボコにされるけれども、根は良い子なんですよ妹氏。
そんなわけで「自分の年齢」という部分に過敏になりがち。あれやこれやと、気にしがち。動き出せず、足踏みをしたり、気持ちの蓋を閉じようとしたり、ブレーキをかけたり、落ちつかねば落ちつかねば、と自分に言い聞かせがち。
まっすぐな感情をストレートにぶつけることができたら気持ちがすっきりするのかなとか、もしもまっすぐな感情を向けてもらった時に受け取れたら幸せだろうなとか、色々と考える部分はありますが、とりあえず創作活動を昨年始めてよかったなと思います。
活動は依然として楽しいし、それをきっかけに生まれた縁やお世話になっている方々は尊い。そこのところは間違いない。
生活や人間関係に変化の兆しが見えそうな気がしないでもない状況ですが、あるいは単なる気のせいや勘違いの可能性もあります。
どうなったとしても、形や方向性が今と異なるものに変わったとしても、好きな人達を好きでいる気持ちは来年の今頃も変わらないと思います。そこのところも間違いないはず。
最近は結構「明日もまた精一杯生きたいな」と、思いがちな人生。
ゆるいエッセイも未完の物語も不定期更新ですが、今後も何卒よろしくお願いいたします。