書けなくてもひたすら読んでいるので、以下、まとめます。
3月
『逃亡者』中村文則
『「ネコひねり問題」を超一流の科学者たちが全力で考えてみた』グレゴリー・J・グバー
『やがて海へと届く』彩瀬まる
『潮騒』三島由紀夫
『ジョゼと虎と魚たち』田辺聖子
『解答者は走ってください』佐佐木陸
『獣の奏者』上橋菜穂子
『鹿の王』上橋菜穂子
4月
『河岸に立ちて』井上靖
『月と六ペンス』サマセット・モーム
『女の日時計』田辺聖子
『そして、バトンは渡された』瀬尾まいこ
「守り人シリーズ」上橋菜穂子
やはり『潮騒』は圧巻です。
作品としてあまりに完璧すぎる。
その後に読んだ田辺聖子に、また打ちのめされました。
正直、主題としているところは私にとってまったく響かない内容であるにもかかわらず、
それでも嫌というほど読まされる。
どうしたって入っていってしまう。
なるほど、そんなふうに書けるものかと驚かされました。
そうして散々に打ちのめされた後、
久々に上橋菜穂子を再読しました。
純粋な読書の喜びを思い出させてくれると同時に、
やはり絶望的な気持ちになりました。
私には、書くための知識が圧倒的に足りないのだと思い知らされます。
あれだけ壮大なファンタジーを描くには、
想像力、創造力はもちろんのこと、
膨大な知識が必要なのだとわかりました。
まあそれがわかる程度には、私も知識がついてきたのかもしれません。
『河岸に立ちて』は、
井上靖の歴史に対する造詣の深さに圧倒されます。
ただ大河を前にして、歴史を、過去を眺め見るだけの目を私は持っているだろうか、
となると、私にはまだ足りないものが多いのだ、と。
『月と六ペンス』は、
元々はモームがゴーギャンをモデルにして書いたそうですが、
主人公のチャールズ・ストリックランドはおそらくゴーギャンとはかけ離れていて、
あまりに常識から逸脱した人物です。
狂気に満ちているのに憎めない、
魅力的というか、どうにも目が離せなくなるような個性の持ち主です。
モームはストリックランドを描くことで、
自らを卑下しているかのような気もしました。
モームは大衆文学と(日本で言うところの)純文学の中間あたりに位置しているからです。
自分が目指したかったところ、
でも、届かなかったところ。
芸術家とはなんたるかを語るだけで、
自らが至ることのなかったという自己批判(なのかもしれません)。
(あるいはシニック、あるいはアイロニーか)。
ストリックランドという人物はあくまでも小説内のデフォルトされた個性ですが、
他者をまったく無視したように見える彼の生き方は、
現代を生きる人々に自らの生に懐疑を抱かせる十分なきっかけとなるように思います。
なにせ、他人からの評価を良し悪し無関係に「くだらん」の一言で吐き捨ててしまうような、
強烈な人物なのです。
ストリックランド、実に魅力的です(が、絶対に友達にはなれない)。
(余談ですが、差別的な表現がとても多いです。時代ですかね)
5月も引き続きだらだら読んでいこうと思います。
最低でも10冊くらいは読みたいと考えていますが、
今は重めの本が多いので、
5月の冊数は少なくなりそうです。
まあ、できれば読むよりも書くのを優先したいですが……
とりあえず今は充電期間ということで。