ChatGPTの仕組みを最も簡単なレベルで説明するなら、
入力された語に対して続く語を推測する、
ということになると思います。
一見すると言葉を理解しているように見えますが、
入力にしたがって確率的に出力しているだけなわけです。
が、私たちはそうではないと言えるのでしょうか?
こんな問いかけが、
『【鼎談】円城塔✕千葉雅也✕山本貴光|GPTと人間の欲望の形』
https://note.com/bungakukai/n/n8f4c68711ffbで行われていました。
それと、そうじゃないとを区別する術を、おそらく今のところ私たちは持ちません。
私たちは言語だけでなく、音や光など、さまざまな情報を流れるように受け取っています。
それに対してどのように行動するか、どう感じるか、どう考えるか、
様々な形でアウトプットがされています。
その形態がChatGPTよりも遥かに複雑に行われているだけで、
実は人間も単に入力された情報に対して続く手順を自動的に出力しているだけなのかもしれません。
今、毎日4000字を基本として書いています。
数日が経過して気づいたのですが、契機があればそれだけで案外どんどんと文章を続けて書くことができるということです。
しかも、物語の構造としてそう悪くない形に落ち着きます。
文章や細かな設定は後から見直して修正すべき点が数多あるとは思いますが、
大枠はそんなに悪くない。
指が自動的に文章も設定も物語も紡いでくれる。
速筆を心がけると、頭がほとんど思考と意識を用いていないことがわかるんです。
となると、私は自動手記に過ぎない。
testtestGPTに適当な素材を入れてやれば、勝手に物語の生成が始まる。
私が私を、そうして読んでいく。
なるほど、自分の中にこんな物語が眠っていたのか、と驚かされるのです。
ある種の典型やキャラ付けのようなものを、意外とできるものだと知りました
そういう書き方は自分には不向きだと決めつけていたけれど、悪くないなと思いました。
不思議な感覚です。
書く、ということに対して迷いが生まれたり、
スランプに陥ることが誰しもあると思います。
そうした時は、「書く」という行為からいかに客観性を排除できるか、
そういうことを探ってみてもいいかもしれません。
今日もtestestGPTは入力に従って出力を続けます。
私は、今の私を掘り尽くしてしまうまでは、このスタイルで行きます。
底が見えたら、また積みます。
積んだものが意識外にこんなに沈んでいたなんて、知らなかったな。と。
しばらくはこの探索を楽しみます
今日も4000字書いたぞ!!!!!
(そして明日が忙しいので今のうちにいくらか書いておかなければという焦り!!!!)