大晦日の夜。人もまばらなのに、なんとなく騒がしく感じられる不思議。
にわかに誰かの叫び声が夜を裂き、驚き、心臓がびくんと鳴る音までもが聞こえる気がします。
電車の乗客も、また、少ない。
いても、その多くはお酒の臭いを漂わせる人ばかりです。
家族のいない人たちでしょうか。あるいは、家族の待つ家へと帰る人たちでしょうか。
私は端の席を確保し、そうした人々に紛れながら、各駅停車でゆっくりと帰ります。(というか、休日夜は各駅しかないのですよ辛い……
電車の振動、ブレーキの唸る音、ドアの開く音に人の足音。
いつもは聞こえてこない音が空席を埋め、今ここにいない、という感覚がざわざわと胸の内で騒ぎ立てます。
今ここにいない。今ここにいない。
圧倒的な空虚と不在、満たされない空間に馳せる郷愁、その相剋が、奇怪に歪んだ音楽を奏でているのでしょう。
だからこそ、この夜のさざめきが私を不安にするのだと思います。
一年が終わり、また新しい一年が始まる。
時間や季節に区切りをつけるために暦を用い、結果として、その暦によって意味づけられた区切りに縛られて生きています。
私たちは相変わらず愚かですね。そして、学ばない。きっとこれからもずっと。
それでも、愛しい人がいたり、大切な人がいたり、笑ったり泣いたり、良い意味で意味のない人生が続くのでしょう。
そういう無意味に私はときどき、とても心安らぐのです。
すべての繋がりが無に帰する最期を想像して、不思議と心は静謐に満たされ、暗い窓の外を見ようとして不意に自分と目があっても平穏でいられます。
あなたも、どうせそのうちいなくなるのだから、と。
ええ、なんの話かわかりません。
今日が終わり。そして明日が始まる。
もうすぐあけましておめてどうございます。
そして、もうすぐ今年もよろしくお願いします。
(コメントくださった方、年明けにお返事いたしますーーーーー