シュルレアリスムふうのものが書きたい欲望に最近なぜか捕まっていて、今日はその足掛かりに、自動筆記を試みたのでした。考える暇もないほどの速さで闇雲に言葉を紡いでいき、自分の抑え込んでいる無意識を浮かび上がらせる、文章実験です。
高校を卒業するかしないかの頃、小説を書き始めたばかりだった私は、今よりもずっとシュルレアリスムに関心があり、影響を受けたものもたくさん書いていました。自動筆記もよくやりました。
しかし、久々に挑んでみると、全然できませんでした。
どれだけ書いても単なる連想にとどまって、無意識に飲みこまれていく法悦など微塵も湧きあがらないのです。あの深い快感、脳みそが蒸発して空気になり天へのぼっていくような、危うい開放感、その瞬間は訪れてくませんでした。手が痛くなるほど実験を繰り返したのですが。いつの間にか、魂から潤いが失せてしまったのでしょう。かなしいことです。
自動筆記の他に、シュルレアリストたちの行った実験で、『優美な死骸』というものがあります。名前からも、シュルレアリスム独特の不安な美しさが感じられます。詩や絵画で展開されたこの実験の内容というのは、複数人が集まって一つの作品を作るのですが、まず各人がパートにわかれて、それぞれ他の人が何を書いているのかを知らずに制作にあたるのです。最後に、パートを繋げて一つの作品にしてみると、各々が勝手に作ったものが繋がるわけですから、普通では到底できあがらないようなものが完成します。そもそも『優美な死骸』という名称それ自体も、実験の過程からうまれたものなのです。
こちらは私は未経験です。名前からして格好いいですし、昔はしてみたくてたまらなかったのですが、小説だの芸術だのを愛する仲間なんて一人もいない寂しい身では叶わない夢なのでした。それで、しょうがなく自動筆記に耽っては、寂しさを紛らわせる日々でした。
無意識とか夢に惹かれなくなってからは、自動筆記などしなくなり、優美な死骸への憧れも消えました。いつからか、あまり覚えてはいません。それが魂の萎びたせいだったのかとも、今日になって初めて思ったのです。
シュルレアリスムから離れて、今は枯れた神経しか持っていないようです。シュルレアリスムから離れて、しかし今も仲間はいないままです。それは全然変わりません。かなしいことです。さみしいことです。…あんまり、というか全くうまくありませんね。情けないことです。
まとまりのない文章を書き過ぎました。実のところ、日記のような形式だと無意識の欠片も転がり出るかという下心で、これを書き始めたのですが、愚痴ともなんともつかぬような退屈な言葉がならんでしまいました。
実験では無意識を掴めませんでした。しかし、シュルレアリスムふうの小説の輪郭は、ぼんやり見えています。アルコールと、昨夜みた夢と、この数年で潤いを失うかわりに得た、幾らかの知恵のおかげです。
また書き上がれば投稿しますので、ご一読いただければ幸いです。