と言いながら、まあ評論とも批評ともいえないような、素朴な礼讃を書き始めました。
娼婦の諸相 <川端康成・坂口安吾・中上健次> という題通りこの三人の作家について書き、娼婦というモチーフについて言葉を尽くしてみたいと思っています。まずそれぞれについて、僕の考える代表作を軸として触れ、その後に補遺のような形で、他の作品について取り上げた文章を断片的に投稿していく予定です。なお、ネタバレについては全く配慮しておりませんので、ご注意くださいませ。
僕自身、頻繁に娼婦を小説に使ってきました。それは、美意識のせいでもありますが、想像力の限界が理由でもあります。
というのも、娼婦でない女性を現実に知らないのです。これまで自分のような男に深く関わってくれた相手を思い返してみれば、そういう女性しかいないのです。はなから買って求めて次第に心にまで分け入るほどになったような相手はもとより、そういう状況でなく、つまりは買ったということでなしに馴染んだ相手も、後から娼婦と知れる、あるいはその時点では素人でも後々に娼婦になる。そんなわけで私は見事に他のモチーフでなかなか書きにくくなってしまった。
書けないことに抗っても仕方ないので、書けるものを深めようと思っている次第です。今回、評論めいた文章を書き始めたのは、自分の中にまとまりながらも漠然としている娼婦観というようなものをここらで明瞭に見つめ、これから書く小説の糧にしたいという下心もあります。
と、そんなわけで、みなさまもどうかお気軽にお読みいただければと思います。少なくとも、崇拝して止まぬ作家と作品に、全力で溺れはしますので。
もしもあなたの知らぬ作品があり、その紹介にでもなるとすれば、それだけでうれしく思います。好きな小説が広まるって、単純に愉快ですよね。この何とも言い難い欲望が、評論を下手なりに試みてしまった一番の原因かもしれません……。