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カクヨムコン8始まりました!&無双の細道こぼれ話第一回:芭蕉と私

 ついにカクヨムコン8が始まりましたね。
 まさに「待っていたぜ、この時をよぉぉぉ!」って感じで個人的には早くも盛り上がっています。

 私は『無双の細道~科挙(デスゲーム)に参加するので一句詠む~』というおバカコメディで参加しているのでどうぞよろしくお願いいたします。 https://kakuyomu.jp/works/16817330648347621628

 毎日お昼ごろ更新予定ですが、今回は初日ということもあって0:00に第一話を公開しています。第二話も本日のお昼に公開しますのでどうぞよろしくお願いしますね。

 さて、久しぶりに新作を出したついでにその宣伝も兼ねて今回は『無双の細道』コラムも毎日夕方ごろに公開したいと思っています。
 そして今日は二話更新ということで、コラムも二回させていただきますね。
 それではよろしくお願いいたします。

 第一回:芭蕉と私

 松尾芭蕉は おそらく皆さんが思っている以上にエンターテイナーな人です。
 私はそんな芭蕉の神髄を、今作を飾る最初の一句『笈(おい)も太刀も 五月(さつき)に飾れ 紙幟(かみのぼり)』に見ました。
 
 あまり有名な句ではありません。
 故に第一話でぶっ放すには地味です。
 が、若き松尾芭蕉を主人公に据えようと思い付き、とりあえずは芭蕉の名著『おくのほそ道』を読んでみた私は、飯塚の里で詠まれたこの俳句の背景を知ってまるで雷に打たれたような衝撃を味わったのです。
 
 この飯塚の里で芭蕉は、源義経の従者である佐藤一族の旧跡を訪れます。その佐藤氏の妻たちが残した健気な話を思い出し、その墓を見て涙した芭蕉は、寺が保管している源義経と武蔵坊弁慶に纏わる品と対面しました。
 
 となれば無論、弁慶の笈と義経の太刀だと思うじゃないですか。
 それが違うんです。
 寺に保管されていた笈はなんと義経のもので、弁慶に至っては太刀どころか書写したお経だったというのです。
 
 なのに芭蕉ときたら、この寺には義経の太刀や弁慶の笈が寺宝として保管されていると『おくのほそ道』に書きました。書いてしまいました。
 そして堂々と『笈も太刀も~』と詠んだのです。
 
 まさかの捏造に私は驚きました。
 しかもその後も石巻では見えもしないのに金華山を見たとか(別の山を勘違いしたらしい)、たびたび日付が間違っているとか、かなりでたらめが多いのです。

 そもそも日付が間違っていることも、根拠が『おくのほそ道』の旅に同行した弟子の曾良の日記だと言うのだから、どれだけ芭蕉がいい加減な奴だと後世の研究者に思われているかがよく分かりますよね。
 
 にもかかわらず『おくのほそ道』はおろか芭蕉自身の評価も揺るぎません。
 先の捏造に関しても「義経と弁慶のイメージにあわせてのことだろう」と何故か好意的に捉えられているほどです。
 
 つまりです、たとえ事実とは異なっていてもエンターテイメントとして優れていたらええんやで、と芭蕉は私に教えてくれたのです。
 私は好きにした、タカテン君も好きにしたまえ、と背中を押してくれたのです。
 
 そのおかげで私は俳句とともに笈が現れ、中に入っている鎌倉聖衣が一瞬にしてセイントセイヤッするシーンを書くに全く躊躇いませんでした。
 それどころかもっと馬鹿らしく、もっとでたらめに、と次々に私の中にアイデアが湧いてきます。

 私はこれまで『滋賀県民の野望withPK』や『書道とは死ぬことと見つけたり(仮)』などのおバカコメディを書いてきたのですが、もしかしたら今作はそれらを越える馬鹿馬鹿しさを提供できるかもしれません。
 
 全て松尾芭蕉のおかげだと感謝するとともに、しかし松尾芭蕉という若者ウケしないキャラを主人公に据えて大丈夫か、もし全然読まれなかったら全部芭蕉が悪いってことにしようと考えている次第。
 これに目を通している方はきっと『無双の細道』を読んでくださった読者だと思いますので、どうか松尾芭蕉の名を傷つけないためにも最後までお付き合いいただきますよう伏してお願いいたします。

〈お礼〉
早速☆評価をくださったarusutoromeriaさん、katternさん、芦原瑞祥さん、ありがとうございます! 励みになります!!

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