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無双の細道こぼれ話第二回:義仲寺と私

 滋賀県大津市義仲寺。
 平家を京の都から追い出すも後に源頼朝の戦いに敗れ、この地で命を落とした木曽義仲の魂を祀る寺です。
 その義仲の墓の隣に、松尾芭蕉の墓があります。
 熱烈な義仲推しだった芭蕉は「私が死んだら義仲の隣に埋めてくれ」と、生前から言い残していたのでした。
 
 ちなみに芭蕉は江戸時代前期の生まれ。源平合戦とは比べ物にならないほどの戦国時代の英傑たちを知ってなお、どうして芭蕉は木曽義仲推しになったのでしょうか?
 それはよく分かりませんが、ただ推測するに戦国時代の話はまだ当時の人々にとっては生々しすぎたのかもしれません。
 戦国武将よりも、数百年前の武士たちに強くロマンを感じたのかもしれませんね。
 
 ところで私は高校から大学を卒業するまで、大津市の隣の草津市に住んでいました。
 ただし隣と言ってもそこは滋賀県、この二つの市の間には偉大なる琵琶湖が横たわっています。
 ですが両市を結ぶ近江大橋に比較的近いところに住んでいた高校生の私は、よくこの橋を渡って大津市へと出向いたのでした。
 
 目的は勿論義仲寺! と言いたいところですが、残念ながらそうではありません。
 義仲寺のほど近くにある西武百貨店、その三階だか四階だかにあったパソコンショップに設置されたソフトベンダーTAKERUがお目当てでした。
 
 今でこそ自宅でゲームソフトをダウンロードするのは当たり前ですが、30年以上前に店頭でそんなダウンロード販売をしていたのがこのTAKERUです。
 まだCDやDVDなどの媒体はなかった(CDはあったかもしれませんがまだ普及してませんでした)ので、提供されるのはフロッピーやROMカセット。ひとつのソフトのダウンロードにおよそ20分ぐらいかかっていた記憶があります。
 ダウンロードしている間に説明書が少しずつプリントアウトされますので、それを眺めながら待つのが楽しかったのですが、後ろに次の利用客が並んで待っていると「頼むから早く終わってくれぇぇぇ」とビビリな私は願ったものでした。
 
 さてそんなソフトベンダーTAKERU、ラインナップは当時からして古いゲームがほとんどでした。
 ただ、それは仕方がありません。大容量のゲームではどれだけダウンロードに時間がかかるか分かりませんから。自然と容量の少ない古いゲームになるのは当たり前です。
 が、その中において比較的新しくても容量が少ないものもありました。
 そう、本編の追加ディスクです。

 となれば古のパソコンユーザーは「おおっ! ソーサリアン!!」と思い出すかもしれませんが、私は違います。
 私が思い出すのは『今夜も朝までパワフル麻雀』の追加脱衣麻雀ディスクです。
 任天堂のディスクシステムのように店員さんへダウンロードをお願いするシステムではなく、自分で画面を操作して購入するTAKERU。そんなゲーム自販機はこの手のエロゲを隠れて買うのに最適なのでした(ただしエロゲと言ってもこの手の追加ディスクがほとんどだったように思います)。
 
 やがて私も大学へ進学し行動範囲が広がってエロゲはもっぱら日本橋、というか当時は恵美須町近辺で買うようになりました。
 なのでいつソフトベンダーTAKERUがその役割を終えたのかを知りません。
 それでも――開発・運営メーカーのブラザー工業がTAKERUを黒歴史に認定しようとも――ソフトベンダーTAKERUは今でも私の胸の中に生き続けています。
 
 
 
 あ、ちなみに義仲寺は行ったことがありません。
 いつか参拝して、松尾芭蕉のお墓の前で土下座したいと思います。

〈お礼〉
奈月遥さん、ムネミツさん、一路傍さん、donguriさん、ウミウシは良いぞさん、御角さん、ヨシダケイさん、天のまにまに@偽光秀連載中さん、詩歩子さん、龍玄さん、評価の星をありがとうございました!
特に一路傍さんと天のまにまに@偽光秀連載中さんはレビューまで!!
感謝感謝でーす!

2件のコメント

  • ソフトベンダーTAKERUが黒歴史?
    あに言ってるんですか。ちゃんとマイルストーンとして名古屋にあるブラザーの企業博物館にちゃんと業績と共に鎮座してますがな。
  • >桝多部とある様
    なんかね、TVでブラザー工業の黒歴史・ソフトベンダーTAKERUとは? みたいな番組をやっていたんですよ(録画はしたけどまだ見てない)
    なので「あー、ブラザーさんにとっては黒歴史なのかぁ」と思ったわけでして。
    でも、ちゃんと博物館に飾ってあるんですね! よかった、我が青春のTAKERUは黒歴史じゃなかったんだ……
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