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掌編小説『煙と歴史と(自称)吸血鬼』アップ

夏なのか梅雨なのかその両方なのか……。
とにかく蒸し蒸ししています。

3000字ほどの掌編『煙と歴史と(自称)吸血鬼』をアップいたしました。
https://kakuyomu.jp/works/16818093080959864692

この作品は、SNSのひとつ、Misskey.ioのユーザーによる企画 #ノート小説部3日執筆のお題「近代日本(明治・大正・昭和・平成のいずれか縛り)に寄せて執筆したものに加筆・修正したものです。

この作品のテーマは、煙草を巡る歴史です。

ある程度長く生きている方には共感していただけると思いますが、煙草を巡る状況って大きく変わりましたよね。

わたしの子ども時代から新卒の頃ぐらいまでは、喫煙率はどんどん落ちてはいたものの、まだまだ喫煙者は多く、「強い」時代でした。

昔々は、子どもがいる席でも大人が集まれば煙草を吸っていましたし、大人になって働きはじめたころには、職場ではデスクで煙草が吸えました。

それに対し、非喫煙者が煙たくても文句を言える雰囲気はありませんでした。
なんというか、「大人の男の趣味に文句をつけるのは野暮」といったムードがあったんですね。

わたしはそれを理不尽に感じていましたが、もっと理不尽に感じたのは、煙草のCMが自主規制され、次第に吸える場所が限られていったときでした。

喫煙者たちは、何も言いませんでした。

かつて子どもがいても、喉が弱い人がいることがわかっていても、スパスパ吸っていたのに。

人を踏みつけてまで愛好していた嗜好品を、簡単に捨ててしまった。
大きな世間には抗おうとはしなかった。

そのことに、とても衝撃を受けました。

もちろん、彼らは積極的に人を踏みつけていたわけではありません。時代のムードがあったのです。
そして、そう見えていたのは、わたしの主観です。
これらはぜんぶ、わたしの「世界観」です。

ともあれ、喫煙に限らず、こういった価値観の変化はあまり記録されることがありません。
忘れ去られ、上書きされるように思います。

価値観が変わることを、わたしは喜ばしいことだ、「アップデート」だと感じることが多いです。
ただ、「変わった」ことが意識されないと、せっかくより良くなったものが戻ってしまうこともあるのでは、と危惧しています。

企画で「近代」というお題が出たとき、まっ先に思いついたのは何か価値観の変化について書きたいということで、そのモチーフとして浮かんだのが煙草でした。

しかし煙草のことを何も知らないわたしは、「たばこと塩の博物館」に足を運びました。

そこで、明治時代の「宣伝カー(人力)」や、次々発売された紙巻煙草のパッケージを見て、「このころってすごく華やかで楽しかったんだろうなあ」と思いました。

そんなところから着想して書いた物語です。

この近況ノートには煙草に関する個人的な怨嗟を書きましたが、物語では、そのことよりも何よりも、「煙草を巡る価値観って変わったよね」と記しておきたかったのだと思います。

見たことがない時代に思いを馳せられて、読んでいて楽しい。
そんな物語になっていたらうれしいです。

Misskeyでは、永乃老人のキャラクターやふたりの掛け合いを「好き」とお声をいただきました。
ありがたい話です。

以前から考えていたことをベースに物語を書けるのは、とてもうれしいことだなと思います。

画像はクリップスタジオで書いてみた簡単なタイトルビジュアルです。

では。

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