冷えて冷えてお腹の調子が悪いです。
皆さん、靴下はちゃんと履きましょうねと、裸足で書いております、丸毛鈴です。
「書く」エッセイ更新です。
「カクヨムでエッセイは読まれるのか?」という若干えげつないタイトルです。
https://kakuyomu.jp/works/16817330664655630514/episodes/16817330667156456420自分の体験をまじえつつ、「カクヨムでエッセイが読まれるには、どうしたらいいんだろうね~」をゆるく考えています。
タイトルの問いはえげつないですが、最終的には、「自由に書いて、そこそこ読まれるために」って話をしています。
文中に書いた以下の部分は、ふだんからぼんやり考えていること。
《多くの書き手は、「不特定多数にとにかく読まれる」バズを願っているわけではないのではないか、と思うことがある。
「PVを求める心、とにかく読まれたい心」と、「誰か届くべき人に、届いてほしい」「そのためにもたくさんの人に読まれてほしい」が共存していることもあると思う。というかわたしはそうだ》
「読まれたい」は、「書く」人の共通の願いです。
とはいえ、「読まれるためのハウトゥ」には、ときとして「読まれたいならこれをやらないのは怠慢でしょ」といった強い語調がまじることに、わたしはちょっと疲れてしまっています。
「読まれたい」ってみんな思っている。でも、自由に綴るからこそ書けるものもある。
そして、実は「もうすこし」の反応が増えるだけでも、十分な手ごたえを感じることもあるのではないか――。
目指すところは人それぞれ。とくに「エッセイ」は趣味色強く書いている人も多いでしょうし、ゆるく楽しく書けたらいいよね、と。
わたしは人のエッセイを読むのも好きなので、気楽に書く人が増えたらいいなという思いも込めています。
それではそろそろ、靴下を履くことにいたします。
皆さまもくれぐれもご自愛を!