現在、大人の諸事情により、私の代◯作となってしまっている、こちら……
『羇旅歌』(きりょか)
https://kakuyomu.jp/works/16816452220191458205 この作中に登場する五月の花、黄菖蒲(きしょうぶ)を写真に収めてまいりました。
作中に出てくる田負手神社のモデルとした神社がありまして、そちらに出かけて撮ってきました。この神社を参拝したとき、「なかなか趣ある神社だな」と思い、なにか書いてみたいなぁ……と思った後、すぐこのお話を思いついた、という感じです。
でも、以前訪れたときはもっと豪華に咲いていたと思います。なので、まだ時期がアレでアレな感じかいな、もう少し日にちをずらして行けばさらにいい写真が撮れていたかも、と思い少し残念な気持ち。そして、五月末にはもう枯れてしまうんですよね。
何度も行く場所じゃないのですが、もっといいやつが撮れそうだったら、画像を交換します。
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この前、親しいユーザーさんとコメントのやりとりをして、その方の言葉で「なるほど、たしかにそうだ」と気づいたことがありました。
以前はもちろん、「できれば、もう少し自分の小説が読まれたらな……」と思っていたのですが、こうして誰でもウェブで小説やらなんやら公開できる世の中、素人作家は
ジャンジャン増えても、読者が増えるとは限らないのだな、と。
私は小説やお話を読むのが好きですので、私自身はこれからも読んでいくとは思いますが、皆が皆、作家になってアップロードしていったら、本当に読まれる作というのは一部となっても仕方ないのかも。
でも、そう思うと少し気持ちが軽くなりました。
「読まれないこともある意味当たり前か」、と思うとですね。
「おもしろくないから読まれないんだよ」みたいに自分で考えちゃうと、ちょっと凹みますからね。たくさんのユーザーさんが素敵なお話をいっぱい書いてたら、そりゃ選びきれなくなって、読まれなくもなりますよ。
ちなみに、お話ししたユーザーさんというのは凪常サツキさんのことで、久しぶりに凪常さんのユーモア小説『付加価値食堂〈カフェイヨ〉』『少年AのBGM問題』を読んで「うわー、やっぱおもしろいなぁ」とユーモア小説の(私の中での)普遍性を再確認。こうして一度読んでいるものを再度読む、というのは多くない気がします。ウェブ作品ではですね。
好きなユーザーさんの作品は、私は何度か読み返しますね。
もちろん、本当に好きな作家さんだけになりますけど。
そしてユーモア小説が大好きだからです。好きなものは受けつけるんですよね。
今、目さんにおすすめしていただいた、『ユーモア・スケッチ傑作展』(国書刊行会)という本も読んでおりまして、ユーモア熱がまたあがってきていますし、勇気と言いますか、「読まれなくても書きたいから書く! またユーモア小説を書きたいな!」と気分が持ち直してきました。
まあ、自分が一番の読者……ということですね。
しかし、アルファポリスにはいっちょアップロードしてみるか!