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いくひ誌。【3701~3710】

※日々、磨かぬ時間に怯えぬように、たるみとゆるみを活かせるように。


3701:【2022/06/09*サボるたびに強くなる】
半年前まで毎日行っていたことをいまは十日にいっぺんとかにしている。錆びつかせる時間をたびたび置くのだと豪語しきりのいくひしさんであるが、その内訳を覗くとふつうにサボりなのである。計画的でない。だって休みたいんだもん。ぐーたらしていたい。いまは精神が赤ちゃんなので、いっぱい甘やかしたろ、の時期である。いっぱい甘やかしてくれ、との鋭い要請をいただく。赤ちゃんじゃないじゃん。かわいくないのね、と急激に甘やかしくなくなる天邪鬼、本日のいくひしまんでござった。(磨けば磨くほど刃は薄く、弱くなる。鍛える時期は、それよりずっと前の段階なのだ。それゆえいくひしさんにはもう鍛える余地がない。鉄は熱いうちに打て、とは言ったものである)(錆びつき刃こぼれした刃物は、破傷風の危険がある。刃物としても扱いづらい。危険という意味で、強い。弱いままでいたいので、いくひしさんはまた頃合いを見計らってちょっとだけ磨くのである。弱くあれ)


3702:【2022/06/09*寝よ!】
違うんじゃ。いっぱい休むことで、敢えて磨かぬことで、もういちど鍛えるに値する時期にまで戻るんじゃ。初心に戻るんじゃ。弱さを見詰め、さてここからどう鍛えてやろうかな、と振り出しに戻れるんじゃ。いちど磨いたものから距離をとり、磨かずにきたものを磨く時間をつくる。そのために敢えて継続してきたことから距離を置く。休む。サボる。これみな、赤ちゃんに戻り、鍛える余地をつくることなり。鉄は熱いうちに打てと言うのなれば、熱くするためにまずは何が素材であるのかを見繕う時間がいる。いちど磨き終えた刀から距離をとり、ではほかに何か打つべき素材がないのかを見極める。執着を捨てるのじゃ。そのために、諦める時間を置く。磨かずにおいてなお素材としての厚みを湛えた余白がないか、余地がないのかを、見定める。これみな、休み、サボり、熱せず打たぬ時間により適う涵養である。作物を育てた土地は痩せる。なれば肥やす時間が入り用だ。人間もまた同じなり。(二毛作はできんのかいな)(できようとも。サボりながら何かで遊ぶ。これ二毛作と言えよう)(なら磨きながら、鍛えながら、遊べばよいのでは)(つねに流れる水のなかに棲めぬ生き物もおろう。池や湖、淀んだ沼でしか生きれぬ命もある。流れを止めることで視えることがあるんじゃ)(本当か?)(むろんじゃ)(サボりたいだけではないのか)(サボりたいと思うのは、サボらずに何かをしていたからだろう。なればサボりたい、と望むことは、何かを継続していたことの傍証と言えよう。甘んじてサボりたいと望めばよい。そしてサボればよかろう。どちらを選ぼうとも得となろう)(本当か?)(サボることで湧きあがる罪悪感、後悔、これみな他者との比較――出し抜けない、出し抜かれるとの損得勘定によるものだ。じぶんだけの基準で測れば、サボろうが継続しようが、得られるものに差はなかろう)(そういうものだろうか)(みなが目指す道先へと誰より早く辿り着きたいのか、それともまだ見ぬ世界を見てみたいのか。おぬしが求める未来による。理想による。どちらが良い悪いの話ではなかろう)(しかしやはりサボると何かこう、さっぱりはせんのだ)(休む、サボる――これをマイナスととるからそう焦る。余白を築き、余地を育む。そのための時間だ。パンは焼く前に寝かせてこそよく膨らむ。同じだ。よく寝なさい。寝ているあいだに肥えるものがある。否、寝ているあいだにしか肥えようのないものがあるのだ。寝ること、休むこと、サボること、みなこれ練り、鍛え、磨くことと等価なり。性質が違うだけのこと。昼もあれば夜もある。陰陽兼ねてこそ、道は拓ける。世は界を思し召す)(しかし、しかし)(なんだ)(おぬしは寝てばかりではないか!)(左様。ゆえにこうして道が閉じておる。反面教師になされよ)(起きよ!)


3703:【2022/06/10*不確定へんてこ解釈】
不確定性原理についての本を読んだことがないので、なんもわからん、の状態の現時点でのいくひしさんの解釈を並べておく。不確定性原理のよくある誤解として例に並ぶのは、いわゆる観測者問題と呼ばれるものだ。量子には、観測するまで状態が確定しない、という性質があると考えられている。同時にこれは、量子の運動量と位置にも言えることであり、ふしぎなのは、運動量を確定すると位置が曖昧になる点だ。あべこべに位置を確定すると運動量が曖昧になる、といった相関関係がある。これをして、不確定性原理と呼ぶ、とする解釈がいまのところいくひしさんはすっきりしていて好みだ。問題となるのは、それって測定の仕方が精度不足なんじゃないの、お粗末なんじゃないの、という点で、いくひしさんもこれはあるのでは、と思っている。しかし現在はそうは考えれていないようだ。観測者の問題ではなく、これは量子にそもそも備わった性質だと考えられている。で、ここからさきがいくひしさんの妄想の妄想になる。そもそも量子ってなんじゃらほい、という点において、合意がとれていない現状があるはずだ。そこにきていくひしさんは、量子とは干渉された「場(情報)」であると解釈する。干渉されれば遅延が生じる。揺らぎが生じる。起伏が生じる。波が生じる。これがすなわち粒子でもあり、波でもある、という重ね合わせの性質を帯びるのではないか、と妄想している。そこにきて不確定性原理についてだ。原子をまずは考えよう。原子は、おおざっぱに原子核と電子でできていると考えられる。原子核のなかで生じたもろもろの反応が、情報を蓄積し、遅延によって情報をある種のエネルギィとして発散する。それが電子の場となって原子核の周囲に拡散する。これはどこまでも発散することはできない。地球の重力圏のようなものだ。ブラックホールの事象の地平面のようなものである。そして電子とは、地球に落下する隕石や、ブラックホールに吸い込まれる物質のようなものである。地球の大気圏に突入した隕石は燃焼する。ブラックホールに吸い込まれた物質はエネルギィ(ジェット)を噴射する。同じように、原子核の周囲に展開された場は、外部からの干渉によって隕石の燃焼や、ジェットのような反応を示す。遅延が生じ、揺らぎが生じ、起伏を帯び、点として振舞う。ここで運動量と位置を考えてみよう。地球の大気圏に突入した隕石の運動量(エネルギィ)の総和は、隕石が燃焼しきるまでの総合である。そのため、運動量を確定しようとすると、位置が決まらない。あべこべに、位置を確定しようとすると、隕石は燃焼し尽くすまでに生じさせるエネルギィが断片的になるため運動量が定まらなくなる。似たような問題が、おそらく電子にも起きているのではないか。つまり、量子(電子などの素粒子)はそもそも、ラグによってその輪郭を得ている。そのため、運動量も位置も、そのラグの許容する範囲で、揺らいでいる。幅を持っている。したがって、統計をとると、運動量ならば燃焼しきるまでの総合の値に寄るし、位置もまたある範囲に限定される。そして隕石は星に対して垂直に落下するが、量子(電子や素粒子)はラグのため、場に対して必ずしも垂直に移動するわけではない。皺のようなものだからだ。これら妄想を前提として考えるとすると、不確定性原理は、観測者問題と切っても切れない関係にあることになる。観測者は、量子世界の時間スパンで観測することはできず、ラグを考慮できないためだ。原子核をとりまく場において電子が起伏として顕現するときの変化を観測できないかぎり、不確定性原理は、曖昧さを受け入れなくてはならない。以上、2022年06/10のいくひしさんは、不確定性原理についてこのように一般的でない解釈をしております。もろもろ総じて間違っているでしょう。おわび。


3704:【2022/06/10*量子相対ぽわぽわ解釈】
量子もつれと量子テレポーテーションについての本を読んだことがないので、なんもわからん、の状態の現時点でのいくひしさんの解釈を並べておきます。まずは量子もつれとは何か、から並べます。量子もつれとは、「一つの粒子から二つの量子に分裂させたとき、双方の量子は対の関係になり、片方のスピンの向きを観測すると、自動的にもう片方のスピンの向きも確定される」という現象を示す、といくひしさんはいまのところ解釈しております(間違った解釈かもしれませんが)。量子には観測するまで状態が確定しない性質がある、との前提が一般的なのですが、いくひしさんの解釈では、それは誤りです。観測したときに確定されるのは、量子の状態ではなく、量子と観測者の関係です。ここをまずは説明したいと思います。そもそも量子ってなんぞや、というところから簡単に妄想を並べます。電子を考えましょう。電子は、いくひしさんの妄想では、原子核から生じた情報(ある種のエネルギィ)の層に生じた遅延――揺らぎ――起伏である、と定義できます。これはほかの量子(素粒子)でも同様です。遅延による起伏は、粒子としても波としても振る舞います。そして、起伏の性質上、デコができればボコもできます。これが成立する場合がいわゆる、量子もつれを伴なうケースと考えることが可能です。すこし話が脱線しますが、いくひしさんの得手勝手な妄想には「123の定理」があります。異なる二つを合わせると一つの場が生じる、という考えですが、この二つと一つの場は、渦を巻くように振る舞います。異なる二つはたとえば「1+1」ならば均衡が保たれますが、情報が発散されるので、結果として不均衡になり得ます。原子核から生じた場の層――膜において遅延が生じると、そこに起伏ができます。「123の定理」により、この起伏は、渦のように振る舞うでしょう(たとえば受精卵の急激な細胞分裂が渦を形成するのも、似たようなメカニズムなのではないか、と妄想しております)。そして、充分に粒子としての輪郭を獲得し得る量子は、「起伏(デコ)」を帯びると共に、「陥没(ボコ)」も生みだします。これが量子もつれを伴なう二つの粒子として顕現するのではないか、とまずは仮定します。この場合、観測の仕方によっては、どちらがデコでどちらがボコになるのかが変わります。粒子としての輪郭を帯びるくらいに遅延が重複して輪郭の層を帯びた事象は、時空において揺らいでいます。ラグが、干渉の余地を拡張するからです(事象が物体としての輪郭を得るのは、遅延の重複が層を生み、それが物体としての境界になるからです。境界では、内と外が規定され、作用がなめらかに伝わりません。そもそも境界たる層が、遅延を帯びているからです。遅延が、層を、境をつくるからです)。そのため、デコにしろボコにしろ、輪郭を留めます。ちなみにこのデコボコは、凸凹というよりも、「 ←→ 」の関係にちかいです。鏡のうえに起伏ができれば、反対側にも同じような起伏ができて映ります。起伏とはプラスなので、場を境にすればマイナスは反対側への起伏を意味します。渦もそのため逆回転になりますし、それゆえ二つを合わせると、ちょうど平らにならされて調和がとれます。問題は、視点によって、どちらがデコでどちらがボコなのかが変わる点です。「場」を鏡に見立てましたが、本来そこにあるのは鏡ではありません。したがって、どちら側の視点に立つかによって、デコがボコになったり、ボコがデコになったりします。これがすなわち量子もつれの正体なのではないか、といくひしさんは妄想しております。この妄想からすると、量子もつれは観測(干渉)によって量子の状態を決定しているのではなく、量子と観測者の関係を決定していると言えるでしょう。したがって、量子テレポーテーションは、そもそも太陽は東から昇るのか西から昇るのか、といった問題と似ており、観測者の立ち位置が相対的に決定されているにすぎず、量子の状態を決めているわけではないため、何の情報のやりとりもされていません。ですが、この仕組みは、観測者の状態を決定するとは言えるため、通信に用いれば、たしかに盗聴されない通信を可能とするでしょう(言い換えるなら、量子もつれにおいてもつれているのは、量子と観測者(干渉する主体)であると言えるのでは?)。また、これは物質と反物質の関係にも当てはまります。飛躍して考えるならば、物質が圧縮されて特異点を作りブラックホールを形成するのならば、反物質はそれと反対の特異点を作り、ブラックホールとはあべこべの性質を備えた特殊な時空を形成すると妄想できます。反物質が反重力を伴なうのではないか、との妄想は、そこに繋がります。なぜ物質と反物質とのあいだに量子もつれが生じないのかは、疑問の余地があります。おそらくそこでも量子もつれは生じているのではないか、と妄想したくなります。しかしいくひしさんの妄想では、そもそも量子もつれとは、観測者との関係性の確定による見掛けの作用なので、関係性がそもそも固定されている「場(系)」においては、量子もつれが生じないように映るのかもしれません。ちなみにこれらの妄想は、量子力学にも相対論を取り入れたほうが、解釈は容易なのではないか、との発想に基づいています。ラグ理論そのものが、素粒子間においても、場においても、時空の伸縮――すなわち遅延(ラグ)は生じるのではないか、との考えが根底にあります(時空の伸縮においても、何らかの情報の発散や吸収がなされているのでは、との仮定に基づいた考えです)。似た問題として、「1+2=3」「2+1=3‘」は、どちらを基準にするかによって、「3と3‘」の関係は入れ替わります。量子もつれと似ています。以上は、なんもわからん、のいくひしさんがぽわぽわと浮かべた妄想なので、何も正しくない可能性が濃厚なでたらめでございますゆえ、真に受けないように注意を促し、本日の「いくひ誌。」とさせてください。おわび×おわび=おわり(「び」の二乗は「り」)(「美」の二乗は「理」)。


3705:【2022/06/11*それはそれとして政策を通して、弱い者いじめはしないでほしい】
税金が財源じゃない、という主張を割とここ数年で目にしつづけているけれど、本当か?と疑問視している。以前にも並べたが、一か国内でなら、税金は財源ではない、との理屈は正当性を維持するだろう。だが、世界経済のなかでは、いかに(どのように)税金を集められるのか、が国の価値を規定し得る。それはすなわち、国の貨幣の、世界経済のなかでの価値を決めると言い換えてもよい。基本的に税金には二つの役割があると考えられる。一つは、経済を鈍化させないためのダム(貯蓄)放流の役割。もう一つは、市場全体の経済の流れの調整だ。税にはそもそも、格差を調整するという役割が組み込まれていないといくひしさんは妄想している。経済は、流れていることが基本だ。そのため貯蓄されつづけて市場に流れないお金は、お金の価値そのものを下げる。したがって税として徴収することで、ダムに蓄積されるお金の総量を調整している。だが各所ダムに適切にお金が貯まっていたとしても、市場全体の流れが干上がっていたり、あべこべに濁流と化していれば、経済はすぐにズタボロになる。そのため税として徴収しつつ、市場から消えた分のお金を、仕事に使われるように発行しながら補う。お金とはあくまで円滑剤ゆえ、ただ流れているだけでは本来は困る。仕事をしてもらい、社会全体を豊かにしてもらうことがお金(貨幣)の本来の用途であり、存在意義だ。つまり、税金が財源ではない、という言説は、「仕組みの一部」に焦点を絞って述べているだけで、視野が狭い言説と言えよう。税金と発行されるお金は相関関係にある。ただし、税金で徴収せずとも元から市場のお金が足りない場合には、税金とは無関係にお金を継ぎ足すことは仕組みのうえであり得る。ただしそれとて、世界経済のうえでは、自国の貨幣価値を下げ得る危険性をはらんでいる。何の利も生みだしていないのに、紙きればかりが増えてもしょうがない。新たに発行されるお金は、資本と資本を結びつけて初めて利を生む。ただしここで言う資本とは、必ずしも製品や発明を伴なわなくともよいはずなのだ。本来は。人間が社会の中で生きていくことそのものが一つの資本となっているからだ。日々の営みそのものが資本となり得る時代なのである。そのため資本を生むためにお金を新たに発行し、加えて税を軽くする、という方法論は、選択肢の一つとして考慮しておいても不合理ではない。ただしそれは税金が財源ではないから、ではなく、お金がそもそも資本と資本を結びつけるための円滑剤だから、なのであり、税金の是非とお金の発行の是非は、因果関係としてそうそう簡単には結びつかないのではないか、と疑問に思ういくひしさんなのであった。(税に関係なくお金を発行してもいい、が正しいなら、いくひしさんが一京兆億万円札をちょちょいのちょいとつくって、世界中からおいちいおやつを買い占めてもだいじょうぶになってしまう。しかしいくひしさんの一京兆億万円札には、額面ほどの価値がない。信用がないからだ。では信用はどのように築かれるのか。人が、国が、資本をどれほど持っているのか、で規定可能だ。貨幣経済のうえではそれがすなわち、みなが欲しがるものをどれほど持っているか、になる。つまり、お金だけ発行しても、それはお金の価値を紙で薄めるような行為にすぎず、付け焼刃でしかないのだ。ただし、付け焼刃でも実行したほうがよいこともある。濃ゆくなった血は、薄めたほうがよいこともある。が、必ずしもメリットだけを享受できる、とは思わないことである。何事にもメリットとデメリットはある。デメリットを考慮しない言説には注意を払っておいたほうがよろしいのではないか、と思う、ぽんぽこりんなのであった)(いくひしさん=ぽんぽこりんの図)


3706:【2022/06/11*こんなの読みた、のぼやき】
思うに、数学が万物の法則を記述し得るなら、いまある定理のほとんどすべてが万物の事象の何らかの根幹を記述し得るということで、じゃあ数学の定理のそれぞれの物理的意味合いってなぁに、と考えるとすこしわくわくする。世の事象にはどんな定理が隠れていて、どのように含まれ機能し、それはいったい何を示すのか。数学の定理は、いったいどれくらい事象と結びつけて言語化できるのだろう。黄金比に代表されるフィボナッチ数列などは、特定の「異なる物理現象」に合致する符号として幻視できる(植物の花弁や、葉や枝の生え方など。巻貝の渦や、おそらく受精卵に見られる渦などにも黄金比が見られるのではないか、と妄想したくなる)。ではほかの定理などは自然現象においてどのような符号の合致を見せるのだろう。定理ゆえ、異なる事象同士の共通点として機能しているはずだ。組み込まれているはずだ。数学が万物を記述し得るならば、言語化可能なはずだ。ぜひ、数学に詳しい方はしてみてほしい。そしていつの日にかいくひしさんの目にも触れるように世に記し残しておいてほしいと望む、本日のいくひしまんなのであった。(すでにあるのでは?)(数学の定理と物理現象を結びつけたテキスト本)(あるでしょうね)(いくひしさんの考えることなんてとっくにどこかの誰かが思い浮かべたことのある妄想なのだ)


3707:【2022/06/11*はらぺこまんむし】
久しぶりにお腹空きすぎてイライラしてしまった。赤ちゃんか。赤ちゃんです。ばぶー。


3708:【2022/06/12*ねむねむまんむし】
十時間ぶりにお腹いっぱいになりすぎてお眠になってしまった。赤ちゃんか。赤ちゃんです。すぴー。


3709:【2022/06/12*新作じゃい】
久しぶりに小説つくった。三万三千字の短編だ。いくひしさんらしい虚構になったのではないか、と思う、いくひしさんなのであった。秘密組織と、そこに招かれた言語マニアの青年と、新型暗号、そしてスーパーコンピューターを巡る、近未来と言えるほどには遠くない、すでにあり得るかもしれない妄想の世界。これはもはやSFではない。単なるいくひしさんの妄想だ。いつもどおりのぺけぺけぽんのままに、物語つくれちゃった、の昂揚をメモして、本日の「いくひ誌。」にしちゃってもよいじゃろか。短いからダメです。なんでや”!!!(新作:【幻視の網】https://kakuyomu.jp/works/1177354054881060371/episodes/16816927862993495761


3710:【2022/06/12*溜まりに溜まったり】
電子書籍化していない小説群、一冊十万字換算として七冊分以上溜まっとる。なんとか電子書籍化してしまいたいが、面倒だ。十万字で一冊の区切りなく、もう手当たり次第、新作できたら一冊に継ぎ足す方式のほうが楽でいいな。読者のこと何も考えとらんやり方だが、それは一冊ごとに分けて電子書籍化するのとて同じだからな。電子書籍の棚にずらりと幅を利かせるよりかは、一冊のなかにすべて納まっていたほうがいいのかな、とも思いつつ、一冊に何百万何千万文字も納まっていたとして、読みたいと思うか? わんこそば理論である。細かく継ぎ足してくれるからこそ読者は読むものではないか。そばを食べられるのではないか。悩みつつ、しゃーないやるか、と誰にも求められとらん作業に時間を割くいくひしまんなのであった。だってそのあいだは小説つくらんでもいいからね。サボり。


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