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いくひ誌。【3681~3690】

※日々、うひひ、宇宙狒々。


3681:【2022/06/01*そんなバナナ】
「1+2」と「2+1」は違う。「1+2=3」ならば「2+1=3‘」だ。これはゼロの足し算でも同じことが言えるはず。「1+0=1」ならば「0+1=1‘」だ。掛け算だとどうなるだろう。それもきっと同様である。「1×0=0」ならば「0×1=0‘」だ。では「0+0」や「0×0」だとどうなるか。これはきっと、「0+0=○」であり、「0×0=●」である。(とするのなら、ブラックホール同士の融合は別の巨大なブラックホールへの変換を示唆するし、ブラックホールすら消えてなくなる特異点は、ゼロすらない無限の可能性に満ちることになる?)(「無限の可能性」≠「無限」)


3684:【2022/06/01*情報の差】
「猫と犬は違う」と「犬と猫は違う」は微妙にニュアンスが異なる。同様に、「人間は宇宙だ」と「宇宙は人間だ」もだいぶニュアンスが異なる。数学とて似たような問題はつきまとうはずだ。数学のほうが厳密であり、文学のほうが抽象的のように思っている人もいるかもしれない。どちらにも厳密さと抽象思考が含まれる。いい加減な部分があるのも同じだろう。そこは分野のせいではなく、扱う者や、解釈する側の問題と言えよう。


3683:【2022/06/01*123の定理】
1があって、2があって、3ができる。これは二重に意味がある。「1+2=3」であると共に、「1+1=2」であることが一つの意味を伴ない、第三の情報を生む、という解釈もできる。後者の「123」にまつわる性質は極めて特別だ。定理と言えよう。(つまり、仮定や結びつき――記述――痕跡――そのものが情報としてのプラスを帯びている)


3684:【2022/06/01*計算合わんくない?】
スーパーコンピューターはとんでもなく電力を消費する。その分、熱も発する。「富岳」では「京」の2倍の電力を消費するようだ。「京」は一般家庭の平均消費電力を400Wとしたときに30000世帯分の電力を消費するらしい。ならば「富岳」はその倍の60000世帯分の電力を消費しているはずだ。性能は40倍らしいので、トータルでは省エネと言えるのかも知れないが、そこは分母の数による。もしスーパーコンピューターが世界に100台あるのならば、600万世帯分の電力を消費する。1000台あれば6000万世帯分だ。一世帯平均3人(日本の一世帯平均は2.2人だがここでは世界での平均を低めに見積もり3人)として1.8億人分の電力を消費する(世帯平均人数が多い国は相対的に貧困であるため、人数が多くとも一世帯400W換算は妥当だろう。むしろ高いくらいかもしれない)。そんな電力をいったいどこから賄っているのか疑問だ。全世界にはいま、スーパーコンピューターがすくなくとも100台はあるはずだ。最低でも1800万人分の電力が消費されている。大量に発生する熱を、同じく大量の冷却水を用いて冷やしている。また、一つのマシンで使われるコードの長さは繋ぎ合わせれば百キロ以上にもなる。レアメタルなど、貴重な資源もふんだんに使われているだろう。とんでもなく贅沢なマシンなのだ。いったい何に使われ、どこに築かれ、電力はどこからどのように調達しているのだろう。また、マシンだけあってもしょうがない。記憶媒体が別途に入り用だ。瞬時にあらゆるデータをダウンロード可能だ。国立図書館にあるすべての本を電子書籍化し、そのデータをダウンロードしたとしても、マシンが一秒間でダウンロード可能な許容容量の1%も使わないはずだ。世界中の図書館を対象としたとしても、一秒間で送受信可能な許容容量の1%も使わないかもしれない。そういうスーパーコンピューターが現に存在している。世界に1000台あるだけで、1.8億人分の電力を消費する。もっと議論されてよいのではないか、と単純に疑問に思う、本日のいくひしまんなのであった。(06/02追記:2018年の記事だが、世界TOP500のスーパーコンピュータのうち中国はすでに226台を保有しているようだ。世界にはすでに500台以上のスーパーコンピューターがある。そして最新機器ほど大量の電力を消費し、大量の熱を発する。ゴミ焼却場のほうが発熱量が少ないと言えるレベルのマシンがすでにあって不思議ではない。公式データで500台なのである。企業が利用している小規模のスーパーコンピューターを含めればもっと多いはずだ。加えて、軍事利用されていたり社会基盤に組み込まれている極秘裏の最先端マシンは勘定に入っていないはずだ。いったいどうやって電力やら設備やらを維持しているのだろう。各国の消費電力は、ひょっとしたら国民が使用しているのよりもスーパーコンピューターが消費している電力のほうが多いのかもしれない。定かではない)(06/06追記:中国はすでに、今年世界一になったマシンと同じかそれ以上のスーパーコンピューターを実用化させ稼働させているようですね。30日の記事に書いてありました。まあそうでしょう、と思う以外に感想はありません。以下引用です。「TOP500は、高速計算が安定して実行できる総合的な性能を示す。今回のトップである米国のフロンティアの計算速度は、1秒間に110京2000兆回(京は1兆の1万倍)。2位は富岳で、44京2010兆回と、約2・5倍の差をつけられた。 1秒間に100京回以上の計算ができるスパコンは「エクサ級」(エクサは1兆の100万倍)と呼ばれ、各国が開発を急いでいた。フロンティアがランキングに登場した最初のエクサ級だが、海外メディアなどによると、中国では既に複数のエクサ級スパコンが稼働しているとみられる。」https://news.yahoo.co.jp/articles/9434bd8c7df5fb239f917ecf92f86ff001dc9459


3685:【2022/06/01*蒙昧ですまんね】
学校の勉強が苦手だったし、テストの点数は低かった。いまもきっと小学生のテストをしても五十点もとれない気がする。漢字とか書けないし。文章問題を誤読するし。単語も年表も憶えられない。教えてもらう内容もよくよく納得いかないことが多かった。未だに疑問は憶えている。電子の流れと電流の流れは逆になる、の意味がまったく理解できなかった。いまもその説明の意味が解らない。重力と質量がイコールではない、という説明も未だによく解からない。「質量のほうが基準で、重力は速度によっても変わるから別」との解釈なのだろうか。むしろそこは逆に思える。重力のほうが基本で、質量はあくまで重力が変動しにくい限定的な条件下での値に思える。重力は時空(重力場)のひずみとして解釈可能だ。動かしにくさを質量、と説明する記述を読むことがあるが、それはべつに速度を増した重力でも同じく言えることだ。時空がひずめば、重力は増す。速度が関係しないとき、それを質量と呼ぶのでは?(だいいち、物体は原子や分子が運動している。そこに速度による重力の加算――時空のひずみ――は発生しているはずだ)。歴史でも、なんでそうなる?と思う記述がいっぱいでてきて混乱する。そこ本当にそんな単純にまとめちゃっていいの、と思うところもあれば、そこの関連が不明すぎて繋がりが解らんのですが、となるところもある。だいたいそうだと言っていい。なぜ戦争が起こったのですか、という設問に対して、どこどこで誰々が暗殺されたからです、とか、特定の国の政策がうんぬん、というのも、「え? そうなの?」となる。勉強は苦手です。むつかしい。とってもとってもむつかしい。引っかかるところがいっぱいです。その点、妄想は楽しい。引っかかるところ、空白をじぶんで埋めて、うひひ、となれるから。当たっていなくともよいのだ。いくひしさんが当てずとも、答えはもうでているものが大半だし、ほかの誰かが見つけてくれることが大半だから。その点、いくひしさんにとって妄想のし甲斐のある分野が物理に偏るのもきっと、いくひしさんがどう妄想しようが、世界はそこにあり、答えがすでにあるからなのだ。いくひしさんの妄想があってもなくとも世界の法則は変わらずにそこにある。解がそこにある。とっくに解かれているものを、ああだこうだ、とイチャモンのごとく得手勝手に妄想して楽しんでいる。人間の意識、自我、そのものだ。錯誤のたまものなのですね。勘違いの余地、無知の余白、想像のつばさを羽ばたかせる余裕は、そういった解とは乖離した、しかし解(世界)の懐の深さのたまものなのですね。紫蘭(しらん)けど。


3686:【2022/06/02*我は誰なり】
たとえばもし幽霊や宇宙人や異世界人や超能力を目のまえで目撃したとして、何度も何度もその存在を目の当たりにしたとして、それを以っていくひしさんはそれらの実存を受け入れることができるだろうか。現実に存在すると見做し、思考の前提条件を拡張することができるだろうか。じぶんにしか知覚できなかったらどうだろう。映像に残せない。他者とその「現実」を共有できない。その場合、じぶんが狂ってしまったのだ、間違っているのはじぶんだ、と思い、主観を疑いつづけ、否定しつづけ、目のまえの現実のほうこそを歪めるのだろうか。もしこの世に、他者と共有しづらい真実がある場合、それをどのように扱えばよいのだろう。じぶんだけが知る真実なるものはたいがい思いこみだし、錯覚だし、危うい妄想である可能性が高い。しかし中には、真実を誰よりも掴み取り、知覚できている場合もなくはない。あり得ない話ではないはずだ。そのとき、どのようにそれら真実を扱えばよいのだろう。どうあっても誰にも信じてもらえない。そういうとき、どうすれば――。何百年経ってから、じつはあなたの唱えた理屈のほうが正しかったんですよ、となることが科学の分野ではさほど珍しくはない。例外的事象があったんです、ようやく発見されました、となることも多々ある。あべこべに、やはりあなたの妄想でしたよ、あなたは最初からあなたの主観の世界でのみ正しさ決めつけ、錯誤し、混乱しつづけていたようです、となることもある。そのほうが一般には多いだろう。人間は間違える。簡単に現実を見失う。真実にはそうそう辿り着けない。主観は基本、偏見と錯誤と勘違いからできている。錯覚なのである。人間は、錯覚のなかで生きている。それゆえに、真実を他者と共有しづらい脆弱性を抱えている。或いはそれゆえに、ほかの生物種にない創造性を発揮できると呼べるのかもわからない。ここで一つ、いくひしさんのきょうの妄想を展開しよう。真実にはさほどの価値はない。ただし、未来を切り開くのは真実なのだ。そして錯誤に頼った仕組みは、社会を、未来を、閉塞へと導いていく。自滅とはすなわち、真実を掴み損ねた創造なき自然の摂理と呼べる。自滅は自然だ。死がそうであるように。しかし人間は死すら錯誤し、自然すら錯覚する。ねじれ、ゆがめ、不自然に生きている。真実ではなく「ゆがめた現実」に存在する。いっぽう、それもまた真実の一側面である。ねじれている。人間は真実に、真実ではない世界を生きている。仮想という意味ではない。創造なのだ。これもまた。そして不自然な人間の営みもまた、自然であり、宇宙の法則に従っている。宇宙に生命体が奇跡的にしか存在しないのは、この宇宙の法則がそのような流れを強化しているからだ。それでも人間のような思考の枠組みを絶えず広げる生命体が一瞬であれ、存在し得る。大きな流れに晒されてなお押しつぶされることなく現れる気泡――思考する生命体とはすなわち、最も抗いがたい宇宙の法則の表れ、と言えるのかもわからない。しかし宇宙の法則はそれを認めない。ゆえに、打ち消す方向ばかりを強化する。大きな流れが強まれば強まるほど、生じる気泡の存在感は増す。根強さが増す。例外は、それ以外のおおむねにより例外足り得、それら例外により世に在るおおむねの事象は境界を得、輪郭を築き、枠組みを保つ。ねじれている。むろんこれらはきょうのわがはいの鼻ちょうちんのごとく束の間に膨れた妄想ゆえ、定かではない。ひょっとしたら宇宙には思考する生命体のほうが多いのかもしれない。じつは生命体でない存在のほうがすくないのかもしれない。宇宙の法則は、連結し合い、交信し合い、絶えず情報をやり取りし、集積し、出力可能な「思考する生命体」を形作る流れのほうを強化し、じつのところそうでない存在のほうが例外的なのかもしれない。これもしかし、真に受ける余地はない。万に一つもありはしない。郁菱万に真実が一つも含まれぬ奇跡のような法螺のごとく。妄想なのである。我思うゆえに我なし。我なくとも思うものあり。


3687:【2022/06/02*いまはまだ】
たとえば人間の細胞は生命体と言えるのか。人間の脳内神経系は、免疫系は、シナプスは、白血球は生命体と呼べるのか。ではそれらを構成するタンパク質は。DNAは。それらを物質として支える分子は、原子はどうか。電子、原子核、陽子、中性子、クォーク、場。生命体の内部に存在すればそれらが生命体になるのだろうか。枠組みはあってないようなものに思えるが、しかし事実として、生命体はその枠組みを持たぬ石や大気とは異なる機構を有し、構造体として一つの輪郭を維持している。生命体とは何か。思考とは何か。要素要素に還元したときに削ぎおとされるモノとは何か。なぜ部分の総和は、必ずしも総体を意味しないのか。何が欠けてしまっているのか。見落としている成分は何か。考えることは尽きない。妄想の余地しかない。定かではない。


3688:【2022/06/02*ぴろりん!】
考え方が逆かもしれない。部分の総和が必ずしも総体を意味しないのは(つまりこれはたとえば分解した時計の部品を適当に一塊にしても時計として機能しないのと同じことだが、その理由は)、ひょっとしたら「総体にはある何かが、単なる部分の総和には欠けている」のではなく、「総体であると、単なる部分の総和に働くチカラ――法則――流れを打ち消すことができる」から、機構としての総体を維持できるのかもしれない。プラスゆえ、ではなく、マイナスゆえに、なのかもしれない。それはたとえば、この宇宙の外側に、この宇宙とは反対の流れ――法則――によって収縮しつづけている別の宇宙があるのなら、この宇宙の物質は総体としてまとまることで、この宇宙の法則を打ち消し、そちらの別の宇宙の法則にちかい流れに優位に触れることができるのかもしれない。創発とは、必ずしも新たな性質の付属ではなく、すでにある属性の打ち消しによる効果である可能性はいかほどであろう。むろん、双方あってもふしぎではない。創造と阻害の双方が、創発を起こす可能性もある。そうした不可視の働きが、総体を、単なる部分の総和以上にしているのかもしれない。ないか。ないな。愉快な一瞬の妄想であった。儚い。


3689:【2022/06/02*疑問じゃ】
2022年現在において、「重力波は光速で伝わる」とする記述を多く見かける。しかし宇宙膨張は光速を超えているように視えることもある(遠くの銀河ほど宇宙膨張の影響で加速して遠ざかって観測される)。そして現に光速を超えて時空が膨張することはあり得るだろう(同じ時間でゴマの直径が二倍になるよりも、地球の直径が二倍になるほうが膨張する速度は増す。指数関数的に倍々で膨張せずとも、膨張しつづけている事実が、膨らませる力の加算を意味する。風船は息を吹き込みつづけないことには膨らまない。膨張が加速しているということは、同じ時間内で息を吹き込む力が増していることを示唆する。ただしここで疑問に思うのが、必ずしも膨らむ前よりも後のほうが息を吹き込む力がいるとは限らない点だ。膨張すればするほど宇宙の物質は希薄になる。ならば最初が最も膨張するためにエネルギィがいり、ある閾値を超えたらあとは楽になるのではないか。そこはよく解らない。とはいえ、巨大な風船のほうがちょっとの膨張で、より円周を延ばすことになる。宇宙が膨張すればするほどすこしの膨張ですら光速を超えて時空を延ばすこともあり得るはずだ)。そこにきてなぜ重力波が光速を脱せないのかがよく解らない。相対性理論において、光はどのような系においても真空中の速度は不変である。そのため観測者が運動するとその速度に合わせて系に含まれる時空のほうが伸び縮みする。つまり、不変なのは光速なのであって、時空の伸縮にはそもそも速度の限定がされていない。光速を不変と定義するのならば、宇宙膨張や重力波などの「時空の伸縮」は、光速以上で伝わってもふしぎではない(もちろん光速より遅く伝わったっていいはずだ)(たとえば波の振幅の一つが銀河系を呑み込むくらいに大きかった場合、重力波の伝わる速度がいかような速度であれ――速かろうが遅かろうが、それを観測することはいまの人類の技術力では不可能なのでは)(光速を超えていた場合は、どんな時空の伸縮であれ観測はできないはずだ。ただし、宇宙膨張のような「結果」が伴う波ならば、遠ざかる銀河同士の光を観測することで推定可能だ)。以上は、時空の伸縮の伝わる速度について、よく解らない点の一つである。いくひしさんの解釈が間違っているだけかもしれないので(その確率が高いのですが)、真に受けないように注意してください。


3690:【2022/06/03*なのだわ】
やっぴー。いくひしさんよ。きょうは朝からジャガイモをスライスして、アツアツの油で揚げてフライドポテトを作って食べたわ。なんて美味しいのかしら。お代わりしちゃお、と思ってもっかい作ってやったわ。ジャガイモ五個も食べちゃった。食いしん坊さんなんだから。朝から、とか言っちゃったけどいま午前三時三十分なのよね。深夜。ポテトに胡椒をかけたら一段と美味しかったわ。きょうもいくひしさんは素晴らしい一日にするわよ。そうよね。せっかくの一日なんだもの。人生なんだもの。きょうはもう二度と巡ってこないのよ。ステキな出会いを夢想して、細胞単位で気合いを入れるわ。瑞々しくあれ。塩分とりすぎちゃったからいまからすこし筋トレをするの。偉いわ。誰か褒めてくれないかしら。まんちゃん偉いってまんちゃんは思うな。素晴らしい一日はじぶんを褒めるところから。じぶんを褒められない人はきっとじぶん以外の人も上手に褒められないのよ。でもじぶんを愛さなくたって人を愛することはできるわ。あなたがじぶんを好きになれずとも、いくひしさんが代わりに愛してあげるわよ。好きになってあげるわ。いくひしさんは惚れっぽいのよ。安心してお任せあれ。きょうも一日、これ好きだなぁスキスキ、と思える瞬間に出会えるとうれしいわ。きっとそうするつもりなの。そしてそうなるのよ。決まっているの。いつものことなんですもの。でもじぶんのことはなかなか好きにはなれないの。ままならないものよね。でもほら、いくひしさんはママではないから。まだ誰とも恋人ではないの。ママにはなれないのよ。なのに惚れっぽいからもうたいへん。恋多き人生だわ。ステキ。でもでも、恋なき人生にも憧れちゃう。きっと恋と好きは別物なのよ。重なる部分もきっとあるけど、それってたぶん手と手を繋ぐ異種間の交流でもあって、そういう特別で、ありきたりな点と点を結ぶ線みたいなの、いくひしさんは好きだな。リボンみたい。いくひしさんは、リボンかわいいから好きだよ。あなたのこともきっと好きだな。うふふ。言ってみただけ。


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