※日々、器じゃない、だって器じゃないし、どんぶりかもしれない、ペットボトルかもしれないし、フラスコかもしれない、でもどれでもなくて、人かもしれない、人じゃない、だって人にもなりきれない。
3641:【2022/05/07*にこにこしちゃうな】
漫画家「ろたいこ」さんの新連載「すずめくんの声」がはじまった。前の連載「ワンコそばにいる」も大好きだったけれども、今回のも一話目から、「て、てんしゃい!!!」になった。ずっと読んでたい。キャラが好きすぎる。感情が落ち着かない。つねに全部載せだ。かわいい、はらはら、どきどき、きゅんきゅん、かっこよ、せつない、どたばた、びっくり、なるほど、ほんわか、うひゃひゃい、なんでや、そうくる!? こわー!!!(にこにこしちゃうな) つねにこれ。感情の全部載せ。極上のお料理をすこしずつ重箱に詰めて、お召し上がれな物語をつむいでくれる稀有な作家さんの一人です。とぅきすぎる。きょうはよい日だ。焚き火のようにほんわかじんわり、やったぜ、ぴょん、しちゃった。心の暖炉に火が灯る。薪をくべれば、ぽっぽぽっぽ、と車輪が回る。蒸気機関やん。ちなみに上記連載機関はこちらから。期間が終わる前に読んでみてはいかがでしょう。はぁ、おもちろい。好き好きだ。「
http://comic-medu.com/st/suzumekun/1」「
http://comic-medu.com/wk/suzumekun」
3642:【2022/05/08*一生このままですらいられない】
可能性を排除したほうが楽しめる――という理屈は、おそらく「三十代四十代になってからのほうが、世間体やら常識やら向上心やらに振り回されずに、比較的穏やかに、趣味や日々の細かな至福の種に触れるだけでも充実して過ごせるようになる」といった言説と通じている気がする。たとえば人類最後の一人になってしまったとして、それでもいま継続している趣味をつづけるのか。この世でたった一人きりになったとしても、それをしつづけるのか。もっと単純に、他者からは一生なんの評価もされないが、それでも何かを行いつづけるのか。可能性が先細りすれば、人間は希望を捨て、手の届く範囲で日々を楽しもうとする。諦めるようになる。これが大人になることと呼ぶのならばそうかもしれない。でも、中には、子どものころからの娯楽に触れているだけでも日々充実して過ごせる者もあるだろう。これは、他者からすると大人には見えない。子どもだと評価される傾向にある。だがこれもまた、大人に見られたほうが得だ、という大人の都合が垣間見える。大人であるかどうかではないのだ。子どもであるかどうかでもない。他者の評価に振り回されない。希望という名の可能性に、日々の自由な時間を委ねない。それができるようになるためには、諦観を抱けるくらいに、先を見通せるようになると有利かもしれない。なんだこんなものか、と判っていれば、無理をしたり、苦しい思いをしてまでしたくのないことをせずに済む。この階段をのぼれば極楽に辿り着けるのだ、と夢を視ればこそ、人は苦しい階段をのぼるようになる。だが、のぼりきれる保証はなく、のぼりきったところでそこが極楽であるとも限らない。のぼってみなければ判らない、というのは一つの道理だ。だが、のぼらずとも極楽を自ら築きあげることはできるだろう。むしろそちらのほうが遥かに簡単で、実の入りが大きいとも言えよう。ただし、達成感はないかもしれない。それを、優越感、と言い換えてもよい。優越感がなくとも満足できる日々であれば、きっと穏やかに、日々の小さな至福の種を見逃さずに過ごせるようになるのではないか。ぼんやりと、かように自己弁護の理屈をひねくりだしながら、きょうもいくひしさんは、誰の役にも立たぬ、欠伸みたいな文字の連なりを並べて、そこはかとない至福を感じるのである。お通じいいと気分いいよね。そういう感じ。身体、きょうもありがとう。衰えている割によう動く。時空よ、あすもがんばってそこに在れ。できれば穏やかな日々をくれ。そこにきて、わがはいには何の期待もしとらんよ。好きになされよ。きょうのわがはいはもう寝るが。いい夢を見よ。起きたあとにもつづくようなよき夢を。目覚めたくのないほどのデタラメな夢を。さもなくば化けて出てやる。お姫さまとお呼び。
3643:【2022/05/09*情報と現実】
漫画「ハンター×ハンター」にてヒソカが、念能力で、予言の書の文面を偽造したように、SNS上の投稿を恣意的に偽造できる仕組みがもしあるのなら、それはヒソカが幻影旅団を結果的に壊滅せしめたように、たったそれだけの布石の有無が、未来の在り様を決めてしまうこともでてくる。偽造は、公文書のみならず、あらゆる次元で情報社会における情報の価値を損なう。この場合の情報の価値とは、情報によって好ましい作用を引き起こす各人の可能性と規定できる。情報の整合性が保ててこそ、情報はその真価を発揮する(その情報が、虚構なのか、より真実を反映しているのかの情報すら、入れ子状に整合性の余地を築く。言い換えるなら、情報とは、脈絡そのものであり、捏造とは、脈絡の意図的な隠ぺいと言える。どこから虚構なのかが分からない。どこから真実なのかが分からない。脈絡の断絶された過程が、情報として付与されない。隠ぺいとはすなわち、隠ぺいされた事実を付与しない情報の欠落と言える)。そこを歪められれば、どんな理論とて妄想との区別はつかない。デマが広がれば、何を信用してよいのか判らなくなる。何を理屈の拠り所としてよいのか判らなくなる。虚構は、虚構であると示すだけでは足りない。穴が、穴のみでその輪郭を保てないのと同様に、虚構は、真実に囲まれてはじめて虚構足り得る。現実は、そうした虚構と真実の混合物によって時空のごとく存在する、編み物だ。現実には虚構も真実も、どちらも含まれている。どちらの成分ばかりになっても、現実は大きく揺らぎ、あるときパチンと弾けて消える。貨幣経済がそうであるように、或いは教育がそうであるように。常識が、良識が、命が、魂が、人格が。人間の扱う現実は、虚構によって、真実を繋ぎとめている。虚構なくして真実を掴む真似が、どうやら人間にはできぬようである。これすら虚構であり、定かではないのだが。(脈絡のすべてを記述せよ、というのは理に適っていない。真実のみの情報など人間には扱えない。情報はほかの情報へと引き継がれるたびに変質する。その変質の経過すら情報として蓄積されながら、同時に圧縮され、薄れながら。情報の変質とはすなわち――虚構を帯び、隠ぺいされ、欠落する過程そのものだ。大なり小なり、情報とはそういうものである。稀に真実が新たに付与されることがあるだけで、それすらほかの真実が隠ぺいされているものだ。人間は情報を受動するごとに、受け取った情報を歪める。隠ぺいする。情報をこそぎ落とす。圧縮する。そして新たに、情報の欠落部分に、じぶんなりの虚構を継ぎ足して、「認識」と見做す。まるで遺伝子のごとく性質が、元々情報には備わっている。否、情報がそのような性質を帯びているがゆえに、遺伝子が、そして生命が、或いは人間が、そうした性質を帯びているのかもしれない。定かではない)
3644:【2022/05/10*元気】
割といまはお腹いっぱいで、小説つくりたくないな、の日々だ。なのでつくらずにいます。サボりまくりの毬栗ちゃんなんですね。小説にせずに、頭のなかで妄想するだけでも楽しめちゃうので、なんでわざわざ文字の羅列に変換してカタチにしようとするのか、そこのところじぶんでももはや理解不能です。将来じぶんで読むつもりなんでしょうかね。じぶんの小説、読みたくないの日々でもありますから、えー?ほんとにキミ読むのー?の疑いの目をそそぐヒビ割れた信頼関係が目のまえに横たわっている大海原でございますが、泳げないので溺れそうです。浮き輪、誰かくれ。いくひしさんは、日誌におそらくそんなに使ったことのない単語がありまして、たぶん――とか言って検索してみたら四十回以上日誌で使ってました。ぜんぜん使ってました。なのでこれはスキップしちゃいまして、話題をひねくりだすのに苦労するとくに代わり映えのない毎日です。なんもなーい。わいの人生、なんもないな。人生しかないな。人生しかない人生。素晴らしすぎるのでは? あー、人に好かれたい人生だった。愛し合いたい人生だった。初体験してみたい人生だった。したことないことだらけの人生じゃったな。まだ寿命あと千年くらいあるけれども。長生きだとこういうところで損しちゃうのよね。はぁ。お猫さん、飼ってみたかったな。お犬さんでもよいのだけどな。こうしてパチポチ文字を打っている傍らで、わいを構え!のジャンピング膝ぴょんを初体験してみたかったな。無念である。でも現代は、そういう体験談を読むのに事欠かないし、映像も事欠かないので、よい時代である。二百年前とかそういうことなかったからさ。長生きはするもんじゃ。えへへ。そのうち餌をやらずに、うんちさんやおしっこさんの後始末もせずに済む、虚構お猫さんが飼えるようになるかもしれん。専用の手袋を嵌めると触感も伝わるの。よいね、よいね。長生きしたくなってきた。きょうは気持ちいつもよりも長めの日誌にしちゃって、本日の「いくひ誌。」にしちゃってもよいじゃろか。いーよー。やったぜ。おやすみなさい。
3645:【2022/05/11*名づけ、おや?】
郁菱万ではない新しい筆名、どうしよっかな、とけっこう前からお悩み中だ。コテリさんを見習って、そういう感じの名前がよいな。コテリさん、全然コッテリしてないのに、コテリなのステキすぎる。コテリコテリ、と足音なの踏ん切りがよすぎる。コテリ、とよろけるオノマトペだったかも。彼女のお靴が脱げて、履かせて、になるコマのオノマトペだとかってながらに思っている。いくひしさんも筆名、うひひ、にしちゃおっかな(この~しちゃおっかな、は秋野コゴミさん風味だ)(前からけっこう真似しちゃう)(人は~してもいい、は最高だね。趣味の夜寝もつづけてほしい。早寝でもよい)。とりあえず、区切りをよくしてもいいし、しなくてもいい。郁菱万の短編集が、いま820話かそこらなので、あと180作だけつくって、キリよく千話にしちゃうのもいいな、と考え中だ(郁菱万作品を総合すれば千作は超えているはずだが)。あと180作か。長いな。千文字の掌編を一日十話ずつ作れば、今月中に終わる。ひとまずやってみよっかな。と言っておくだけでも、何かをしたつもりになれるのでお勧め。するかどうかはお気持ち次第。面倒くさいからしたくない。いまはそういうお気持ちである。新しい名前、どうしよっかな。そこがいまは一番のお悩みどころなのである。(なんて小さなお悩みなんでしょう)(しあわせな悩みだね)(贅沢なやつだぜまったく)(えへへ。どうもありがとう)(きみ……皮肉って知ってる?)
3646:【2022/05/11*かわい!】
AoiSoraさん(
https://twitter.com/0QLT_27)の漫画「BEELIFE」届いた。twitterでずっと見てて、ファンだった方だ。いまもファンだけど。素晴らしいご本である。ありがたーい。毎日眺めちゃお。このあいだは、ばなーなさん(
https://twitter.com/hoshifurashi)の恐竜ちゃん缶バッチ購入したけれども、それも素晴らしかったな。そちらも毎日寝る前に眺めて、「むふふ」「かわい!」になってから夢にダイブしている日々である。AoiSoraさんの漫画だと、「Shape of love」がとくに好きだな。去年の四月くらいに同じく同人誌を購入したけれども、衝撃の出会いだった。ほぼ毎日夜寝る前に眺めていたが、いまも読んでから寝るとスヤスヤ寝つきがよい。こんな愛おしいものがこの世にあってよいのか!?と脳細胞がフラミンゴ踊った(フラメンコでは?)。ばなーなさんの缶バッチには、メッセージカードがついておって、恐竜ちゃんが描かれてて、「かわいいかわいい!」になった。いまもなる。ばなーなさんは和みのスペシャリストである。AoiSoraさんのほうも、エラちゃん手書きで描いてくださっていた。うれし、うれし。twitterアカウント消したから、こっちの日誌でもチラホラ、好きな表現者さんのこと並べていこうと思います。(影響力皆無の気楽さたるや)
3647:【2022/05/12*THE】
やあやあ、いくひしさんでござる。お久しぶりでござるなあ。いつぶりでござるか? んー、わかんない。憶えてないでござるよ。うはー、いくひしさんは憶えてないんでござるか? いくひしさんも憶えてないでござる。だめだめでござるな。憶えてなくとも困らない日々でござるので、よいでござる。そっかー、でござる。終わっちゃったでござるな。きょうの日誌はここまで、でござる。END。
3648:【2022/05/12*モナカ、おいち】
本当に終わっちゃった!? 過去類を見ない適当具合で、びっくりしちゃった。こっちのいくひしさん、びっくりしちゃった。はぁー、驚いた。モナカアイスおいちー。最近のマイブームは、これといってとくになんもないです。珍しくいまはマイブームがなんもないです。すばらしー。とりあえず褒めとけ。この精神、だいじだ。いくひしさんはとりあえず、じぶんを褒めとくよ。なんか気持ちいいから。わがはい、なんか凄くない? とほどよく勘違いできる。すばらちー。わがはいはなんか凄くない?なので、上記の過去類を見ない適当な日誌も褒めちぎってあげちゃう。偉いので。見て! あの中身のなさ。まるでモナカアイスのモナカだけみたい。アイスクリーム入ってないモナカみたい。宇宙よりもスカスカ。すごいね! すばらしく中身のない褒め言葉である。わがはい、なんか凄くない? でもけっきょくそれって、凄くないの? 凄いの? どっちだろ。不安になってきたな。疑問形は不安になる。なのでいくひしさんは凄い、と断定しておくのがよいと思う。わがはい、凄い。なんか凄いぞ。根拠ないけど。あ、いま、はっとしてしまったな。マイブームあったかも。いくひしさんはいま、じぶんを褒めちぎりたいの時期である。褒めてちぎるって、でもひどくない? そこに気づくなんて、さすがはいくひしさん。すばらちー。ねえ、と心の声がする。それ、虚しくない? むなしくない! むなしくないです!(全然これっぽっちも)(たぶん。あんま自信ないけど)(うひひ)
3649:【2022/05/13*雨音のしない雫の日】
さいきんはもうずっとじぶんのことしか考えれていない日々だ。割とずっとだけど。小さいころ、鏡を覗いてじぶんの口のなかを見るのが好きだった。皮を剥いだらみなグロテスクになることがふしぎだった。きっと人格とか精神も似たようなものかもしれない。表面と内部は違っている。あたりまえと言えばあたりまえだけれども。信号機の内部とか、自動販売機の内部とか、山の裏側とか、学校にいないときのクラスメイトのこととか、教師のこととか、信号待ちしているときに目のまえを素通りしていく無数の自動車の運転手やその同乗者たち――彼ら彼女らはぼくの人生と一瞬交わって、遠ざかっていく。ふしぎだな、と思うのだ。私はいつでも同じではなく、そうした瞬間瞬間の人生と人生の交わりのなかで生きている。他者の生みだし、残す、表現の余波、情報の残滓に触れて生きている。そういうふだんは視えない、見落としている、けれどそこここには本当はあるのだろう、世界の裏側を想像すると、想像しきれなくなって思考が焼き切れる感覚をわたしは覚えます。そうした、くらくらする境目に沈んでいく感覚を好ましく思います。じぶんのなかにも、似た境目はいくつもある。口の中や臓物や脳みそや、眼球の裏側をじぶんでは見られないのと同じように。きっと人格にも、精神にも、ふだんは視えない、見落としている、意識できていない、認識のそとにある現実――けれどそこここにはあるのだろう、じぶんの裏側を想像すると、想像力の限界に触れるようで、じぶんの輪郭が溶けだして世界と同化するようで、じぶんの輪郭をゆびでなぞるように、存在するじぶん、それとも存在しない存在になれたようで、ほんの一瞬、ほっとする。きょうは雨。雨音のしない雫の日だ。
3650:【2022/05/14*お寝坊さん】
起きたらきょうがすでに終わりつつある。時刻は15:58だ。贅沢な時間の使い方をしているな、とうっとりしてしまうな。パンがそうであるように、熱の伝わり方は、均等ではない。表面が焦げれば、なかは比較的熱が通りにくくなる。遅延は層を生む。パンに限らず、これは時空や情報や物質の構造そのものにも当てはまるのではないか。もうもうさいきんは、さびちーさびちーの日々でござる。以前のじぶんを見失いつつあり、キャラや文章形態を自在に操れなくなりつつある。困ったものだ。そんなに困らんが。だいたいさ、俺ぁ思うんだが、世の中いま大変じゃんよ。んなのにこんな世のはじこっで暢気にお寝坊さんなんて披露できちゃういくひしなにがしなんつー存在がいるとよ、世界でいまこの瞬間に満身創痍になって、へとへとになって、明日生きていられるか、今日を生き抜けるのかに思考の総じてを費やしている人々に申し訳なくなっちまうな。ならんでよ。何かってに申しわけなくなってんの。ならんでよ。いくひしさんを出汁に使わないで。使うならもっとちゃんと美味しくしてよ。コーンポタージュにして。お願い。ちゅうかね、きみがかってに他人を出汁に世を憂うのはよろしいが、なにゆえ自分自身と比較せんのだろ。疑問だね。欺瞞だね。やれやれだよきみ。うがー、うっさーい。いいの、いいの。いくひしさんはだっていくひしさんだもん。あなたも、あなたも、そこのあなたも、ぜんぶぜーんぶ、いくひしさんだもの。かってに比較しちゃうもんね。申し訳なくだって思っちゃうもんね。コーンポタージュおいち、にもなっちゃうもん。そうだよね。まんちゃんはそういうコだもの。本当はみんなとっくに知っているのに、なかなか呑みこんでくれないのよね。諦められないというか。熱の遅延は、何も高温に限らない。冷める方向にも遅延は生じる。池の氷が表面から凍っていくのと似ている。そこでもまずは層ができ、膜ができ、境目ができる。遅延はさらに強化される。物質の性質や枠組み、輪郭は、そのように構築されるのではないか。との妄想は、いかほどに現実と乖離しているだろう。この妄想とて、現実とのズレがあり、遅延が生じる。膜ができる。境界ができる。身体の輪郭をゆびでなぞると、なぞるじぶんとなぞられるじぶんがいて、くすぐったくなっちゃうよね。なるか? なるよ。なるの。じぶんがもう一人いたらな。ナルシストなのかな? ナルシストだよ。みんなみんな、いくひしさんなんだ。孤独なーんだ。定かではない。
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参照: