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いくひ誌。【3631~3640】

※日々、陰を隠して陽とする、陰があるだけ陽が際立つ、穴を増やして流とする、穴を塞げば圧が際立つ。


3631:【2022/05/03*塞ぎ、生む】
リコーダーやトランペットのような管楽器みたいだな、と物語をつむいでいて思う。キャラクターは、任意の穴を塞いだときに鳴り響く音だ。それを複数、任意のタイミングで連ねると、旋律になる。上手い具合に律動を整えるとそれはもう音楽だ。物語になっている。できるだけ多くの穴と、塞ぐ穴の組み合わせがあると、音楽は自在に奏でられるようになっていく。かといってあまりにたくさんの穴がありすぎると却って音が乱れて、うまくいかない。そこはじぶんに見合った楽器を見繕うのがよさそうだ。たった一つの穴しかなくとも、息の吹きこみ方では音楽になる。穴の数が多ければよいわけでは、やはりない。旋律と律動を生みだし、心地よい塩梅に調節できるのならばそれはすでに音楽だ。楽器よりも、創造と制御のほうがきっと大事と言えるだろう。楽器がなくとも口笛を吹けばいい。ふんふんらんらん、声を連ねて歌にしてしまっても曲になる。心が波打ち、自在にカタチを変えたのならば、おそらくどんな曲も音楽だ。


3632:【2022/05/04*寝すぎた日】
いっぱい寝た。いくひしさんは小難しい論文をたくさんは読めないので、いわゆる一次情報というものにはあまり触れていない。せいぜい読んでいても、新書くらいのやわらかく読みやすくされた本くらいだ(WEB上で検索したときに出てくる論文らしき文章はたまに目にするが、それも流し読みだ。たいがい、中身を咀嚼できない)。2017年くらいからは、講談社さんのBLUE BACKSを読んでいる。これは楽しい。相対性理論とか、宇宙の知識とか、遺伝子についての知見は、2017年以降は、おおよそBLUE BACKSさんを中心とした新書から得た知識が多い。それ以前に並べた日誌での記述はおおむねが、聞きかじりの知識から膨らませた、いくひしさんの妄想だ。さいきんやっと、獲得形質の遺伝についての近年の情報が本になりだしたので、ほへーそうなんだ(さっぱりわからん)(ほんとにぃ?)、と脳みそがバチバチ云ってる。非コードDNA領域とか、エピゲノムとかエピジェネティックとか。多次元宇宙論(マルチバース)に関しては、まともに本で読んだことはなかったけれど、最近でた本がそれだったので、購入した。ブラックホールのなかに別宇宙があるのではないか、との主旨なのだろうか。だとすると、いくひしさんの妄想と似ている。世界は泡でできている、のR2L機関の発想とも似ている。購入した本はこれから読むことになる(けっこう未読の本が溜まっている)。読むのが遅いので、読了するまで結構かかるだろう。ゆっくりなのである。数行読んでは妄想が展開されて、気づくと数ページ分目が滑っていたりするので、それを防ぐために一度本を閉じて、妄想の時間を取ったりする。そうしていると読むのが遅くなる。どうやら関連する知識が増えると、遅くなる傾向にあるようだ。それがよいことなのかどうかは知らない。楽しく本を読めるのはうれしい日々だ。ありがたいことである。小説も漫画も楽しみながらいっぱい読みたいな。(美味しいものお腹いっぱい食べたいな、の感覚)


3633:【2022/05/04*友なきナヌたちへ】
ここは人っ子一人いない最果ての地だ。友人はおろか、言葉を交わし、喧嘩しあえる相手もいない。ラジオよろしく、誰かいませんかー、と惰性で電子の海に垂れ流しているわがはいの意識の渦の底の底だ。その日その時、偶然に立ち現れる感情の起伏、それとも淀みを、ココアに浮かんだ膜のように指で掬って、並べている。嗚呼、ココア飲みた。友人はいない。だがそれはいまにはじまったことではない。最果てに行き着く以前からわがはいには友人などおらんかった。だが好きな人はいっぱいいた。好きな表現を生みだす人がいた。そういう人しか見掛けんかった。それはいまもきっと変わらない。そこかしこを、透明な、最果てに行き着けなかった者たちの残滓が漂っている。わがはいはそれらをかってに「ナヌ」と呼ぶ。それともナヌたちからしたらわがはいのほうが最果てに行き着いてしまった残滓にすぎぬのやもしれぬが、残滓呼ばわりとは失敬な。互いに触れることすら適わない。交わることはできぬのだ。しかし、それでもふと感じる、残滓の揺らぎに意識を飛ばし、ああ好きだなぁ、の起伏を帯びる。それら起伏すら、その日その時の意識の渦となり、こうしてとりとめもないつれづれなるままに、の言の葉の連なりになるのである。寂しい、寂しい。けれども、そこはかとなく、温かい。ホットココアを飲みながら、吹き荒れはじめた最果ての地にて、砂嵐に怯えずに済む堅牢な巣のなかで、今宵も、返事などあろうはずもない彼方へと、意識の渦をつむぎだす。独楽のように回って、揺らいで、弱まって。風になびく砂塵のように、岩にぶつかり渦を巻く。螺旋のように。ねじれのごとく。残滓の揺らぎに打ち解ける。ココアは甘くて美味しいな。ホットよりも冷たいほうが好きだけど。ごくごくいっぱい飲めるうえに、膜の除去が楽だからね。


3634:【2022/05/04*変わり映えなく】
ツイッターを退会(?)した。べつにアカウントなくても困らんことにはずっと気づいておったが、本当になくても困らんな。他者のファボ欄を覗けなくなるのと、リツイートといいねが押せなくなるだけで、いくひしさん自身にはなんの弊害もない。そもそもリツイートといいねしかしてなかった。アカウントなくともステキな絵さんや表現さんは見られるのだ。もっと早くこうしていればよかった。決断が遅くなった結果だ。優柔不断なのである。(そもそも、ツイッターはじめるときにたしか、半年だけやるよ、と宣言してた気がする。ずるずるきてしまったのだ。有言実行すらできぬあんぽんたんですまぬ。すまぬ。ぐー)


3635:【2022/05/05*インスタント文ー字ー】
インスタントコーヒーを薄めて飲むと烏龍茶の味がする。こんばんは。いくひしまんです。外の世界は連休中らしいのですが、存在する階層が異なるいくひしさんにとっては、年中どこも薄ら寒い乾燥地帯。外に一歩でるだけでも、うーさみー、てな具合に両肩を抱いて引き返す日々である。人肌恋しい日々であるが、人混みはごめん被る。祭りに花火大会なんぞに出かけた日には、窒息死してしまいそうな息苦しさを感じるね。綿飴に焼きそばを口いっぱいに頬張りながら、額にお面をひっつけて、「あ、りんご飴だぁ」なんて屋台に駆け寄る姿は気合入れた浴衣姿でござんすが、苦手な人混みであっても楽しめるいくひしさんの生命力のしぶとさをご覧あれ。か、かわいい。めまいを覚えつつも太古の日々を思いだし、実年齢を思いだす。わがはい、180歳でござるから、三周回って、いまさんしゃい。このネタもだいぶ白々しくって飽きちゃったな。本当はとっくに200歳超えてるんじゃけども、誰もいないからサバ読んじゃう。精神年齢も本当はいっしゃいだけれども、誰もいないからサバ読んじゃう。おとなぶりたい一歳児なんだもん。イタタ、アイタタタ。じぶんでじぶんに寒気がしちゃったな。あまりかわいコぶらないほうがいい。砂糖に砂糖をかけるみたいで、脳みそにじかに染みこむブドウ糖。素のままでもかわいいグラニュー糖。無理して着飾らなくたって、わがはいはありのままでかわゆいのだ。ほら見て、このお腹。ぽんぽこりん。かわいい。ふにゅふにゅでかわゆいのです。触り心地ばつぐん。最高なんですね。やっぴー。打ちあがった花火を見あげた懐かしき日に思いを馳せながら、いくひしさんはきょうも、詰まらぬ文字の羅列を並べるよ。底が抜けた四角い箱に押し込むように。ぎゅぎゅっと、ぎゅぎゅっと詰め込むように。にゅるん、と底からはみ出るように。そうして並ぶ文字がある。薄めて飲めば、烏龍茶の味がする。禁句。たんと文字を召し上がれ。


3636:【2022/05/05*めもめも】
「中途半端なのも、雑音も好きだな」「マインドフルネスや瞑想は、おそらくチリング―ー何もしない時間の効果で説明つきそうな気がするがどうなのだろう」「キャンセルカルチャーというか、排除の理論はもろ刃だ。しかし、それをせずにはいられないくらいの歪みが社会に顕現しつづけている。目を向けるべきはそちらが先では。社会の発展に対して、是正が追い付いていない。豊かさに対して、平等や公平な仕組みの構築が追い付いていない。価値観の変容が加速すれば文化は階層的に展開される。文化と文化を折衷する手法や仕組みが根づいていない。まずはそこからだと思います」「戦場で銃を構え、敵兵をばったばったと撃ち殺す人間よりも、戦場ですら人を殺さずに何とか場を切り抜け、どうやったら犠牲なく戦争を終わらせられるかを考え続けてなお生き残る者のほうがよほど「強い」のでは。それを世間では、「弱い」と呼ぶが、僕はそうは思いません」「売れればいい、いっぱい書ければいい。そういう風潮のなかでなお、自らの理想と想像を駆使して、世界に向き合いつづける作家のほうが、僕は好きですね(売れたい、いっぱい書きたい、を目的にする作家が嫌い、を意味しません)」「国民の暴走もまた、局所的な権力の連鎖反応と考えたほうが、無秩序や混沌を想定するよりもモデルの構築が容易い。本来持つべきではない者たちが、過剰な権力を持ち、揮う。ファシズムや暴力革命(テロル)の根本構造と言えよう」「世の中から政府や出版社や電力供給会社がなくなって困るのが誰か。世の中から農家や創作者がいなくなって困るのは誰か。世の中から受動者や消費者がいなくなって困るのは誰か。すこし考えれば分かるのでは」「定かではないんじゃ……」


3637:【2022/05/06*だっちゃ】
いまは純粋にじぶんのための創作ができているので、あんまりパキュパキュしない日々だ。けれども、まだ小説の楽しさを知らずにいたころのじぶんに読ませて、最後まで読んでもらえるような創作はできていないので、本当に自己満足にもならぬ、憂さ晴らしにしかなっていない。でもいまはそういう時期にしてもよいよ、とじぶんに許可をだしているので、そうしている。いまはちょっとむかしのじぶんを楽しませようと意気込める精神状態ではない。なんて言うと、そうじゃない精神状態があったように醸せるので便利。いつだって過去のじぶんすら楽しませることができずにいたのかもしれない。現在のこの瞬間のじぶんすら楽しませることもできずにいたのかもしれないことを思うと、憂さ晴らしだろうともいまをそこはかとなくパキュパキュせずにいられるだけでも、なかなかによい変化を帯びているのではないかな、と見ることもできる。でもその分、成果物の質が、やや理想とは違った方面に移ろっている感覚は拭えない。仕方ない。それも含めて、いくひしさんなのだ。予想外の変化を、むむむ、と矯めつ眇めつ観察して、この角度から見るとまあまあよい気もするなぁ?の気分でおためごかしに誤魔化しながら生きていきましょう。いきます。うちがいいって言うんだからいいっちゃ。心のなかのシャンプーちゃんから許しを得て、じゃあよいことにします、とおとなしく従う本日のいくひしさんであった。(それラムちゃんじゃない?)(やぱぱー、やぱぱー、言ーまちがい)(うひひ)


3638:【2022/05/06*故意じゃなく変】
絵描きさんとか、物書きさんとか、人形造形師さんとか、漫画家さんとか、「うぅ……とぅき……」となる日々じゃ。「くぅ、せつねー」と思いつつ、そういやいくひしさん、アイドルとか好きになったことないな、と気がついた。虚構のなかの登場人物さんとかは割と、「うぅ……とぅきとぅきせつねぇ……」となる日々じゃけんど、生身の人間をこう、表現者さんとか虚構の登場人物に向けるようには懸想したことがない。ちゅうことは、いくひしさんにとって表現者さんって、虚構の存在なんですね。魔法使い、みたいな。でも、アイドルだって魔法を使って人を魅了したりしているはずなんじゃけれども、その魔法はいくひしさんには効かんのだ。ああでも、歌い手さんは、「くぅ……ちゅき……」となるなぁ。でも飽くまで、生身の人間には大して会いたいとも、触れたいとも思わんな。それはそれとして、別途に性欲は湧くけれども、それはもう「おちっこちたい……もじもじ……漏れそう」と同じくらいに、「さっさとスッキリしたろ」のお気持ちなので、生身の人に向けるような感情ではないらしい、いくひしさんの中では。恋ではないのだ。いや、どうだろう。かつては生身の人にも向けていた気もする。向けていたはず。それはいまもそうかもしれんけれども、できればそれしたくないなぁ、邪魔だなぁ、の気持ちだ。表現者さんとか虚構の登場人物さんたちへの「うぅ……とぅき……」の感情はたぶん、いくひしさんもそれになりて、にちかい気がする。いくひしさんの皮を脱ぎ捨てて、あたちもあなたになりたいのよさ、の、「うわーん、うわーん、いくひしさん、いくひしさんやだー」にちかい気がする。どうだろう。違うかな。わからんわ。わからんままでも困らんし。なぜってここは奈落の底の底、だぁれもおらん、いくひしさんだけの世界じゃからじゃ。「うぅ……とぅき……せつねぇ」の気持ちをこじらせて、いもしない魔法使いを幻視する。そういう日々もわるかねぇ。無数の理想がぽこぽこ絶えず、太陽めいて、世を照らす。でも、いくひしさんは、闇さんのことも好きだよ。万年ぷかぷか浮ついている、尻のバルーンな、いくひしまんでした。(尻がバルーンって、お尻が巨大みたいに聞こえる)(バルーン、バルーン)(ぼよん、ぼよん、みたいに言うな)


3639:【2022/05/07*ただのいくひしさん】
人生に何度か、数十年単位で積みあげてきたコトやモノを手放したり、崩したりする機会をつくってもいいかもしれない。死を疑似体験するのだ。予行演習をしておく。そういう経験を、こまめにとっておくことは、それほど損ではない気がする。ひるがえって、それを意識して行わずとも、予期せぬ奇禍に襲われて、何か大切なモノを失くしてしまった場合でも、期せずして死の予行演習ができたのだ、と考えれば、そこそこまあまあ貴重な体験だった、と捉えることもできる。気の持ちようの話になるし、解釈の話になる。死なずにいたからよかった、という極論の派生でもあるから、損をしつづけてなおそう捉えつづけるのは破滅の道にまっしぐらゆえ、利口とは呼べない。だが、死の予行演習は、十年に一度くらいは体験してもよい気もする。積みあげてきたものを崩すのだ。なーんて言っているけれど、いくひしさんはよく、磨いていた腕を鈍らせる期間をつくる。言ってしまうと、サボるわけだが、十年に一度どころか三日に一度、いや日に三度はサボっている。しょっちゅう行っているので、死の予行演習の達人と呼んでいただきたい。絶対に死なぬ達人とも呼べる。いまのところは。死んでないので。(それってほかの人にもあてはまることじゃない?)(そうとも言う)(みな死なずに生きる達人なのだ。死ぬまでは)(適当なこと言う達人ですね)(きっとそのせいで友が去るから、達だけ残った人になるんですね)(上手いこと言ったふうな人だ)(いいえ。いくひしさんは、ただのいくひしさんです)


3640:【2022/05/07*終わり】
世の中、キリよく終わりたいな、と考えたがる。だがキリよく終わりたいと日ごろから準備しておかねば、いざ終わるタイミングがやってきたときに慌ててキリよくしようとして失敗する。キリがよくなったときに、えいや、と思いきってやめてしまえば、いつでもキリよく終われる。つまり、欲を張るからキリよく終われない。キリがよいな、と思ったときに終わることが、キリよく終わるための奥義と言えよう。或いは、キリよく終われずとも、無理くりキリのよい何かを見つけて、じぶんを納得させるのも一つだ。どんな日付けだろうと、そこには何かしらの記念日が隠れているものだ。じぶんとは関係ないことにかこつけて、キリがよかった、と思いこめばいい。それとも、端からキリよく終わることに拘らずにいてもいい。いまかな、と思えばすっぱりやめてしまえばいいのだ。キリよりも優先したいのは、タイミングだ。キリとは体面や装飾と言えよう。商業や事業だとここが譲れなくなるため、なかなか終われなくなる。それよりも、終わったことで生じる影響や余波を考慮し、いつどのようになったらやめるのか。思案しておくべきはこちらだ、と言えそうだ。定かではない。(キリよく終われる利よりも、終わることで得られる利を考えたいものだ。損得が大事なんですか、と睥睨されそうだが、損得なんです。何を得とするのか。何を損と見做すのか。そこに人の価値観や本質が表れるのではないでしょうか)(本質に価値はありますか?)(それも一つのその人なりの世界観を構成する要素と言えましょう)

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