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いくひ誌。【3591~3600】

※日々、悪である自覚はあるか。


3591:【2022/04/20*名前っている?】
主人公に名前が必要な物語とそうでない物語の違いが未だに掴めていない。これは個人的な所感だが――個人的でない所感があるのかは知らないが――名前がないほうが好ましい物語と、そうでない物語があるのだ。言うなれば、語りの違い、ということになるだろう。何かを語るときには、名前が不要で、何かを語らずに済むときには登場人物たちに名前をつけたほうが好ましく感じるときが多い気がする。わからない。


3592:【2022/04/20*過干渉とは?】
戦争怖すぎる。ほんとやめてほしい。この、やめてほしい、という思いを押しつけるのすら、過干渉になるのだろうか。分からん。平和の押しつけも戦争の元なのだろう。しかし、これをすら過干渉と言われてしまうのなら、いったい何を干渉すればよいのだろうね。わからんよ。哀しい。


3593:【2022/04/20*いやしといやしい】
どんなに凍えてしまった人がいたとしても、その人が生きている限り、温かい部屋を維持することは、きっと凍えた人の息を吹き返し、ふたたび穏やかに暮らせる余地をつくると言えるのではないか。凍えた人を、ひどく傷ついた人、と言い換えてもよい。悲惨な目に遭った人とて、ぽよぽよほんわかした空間で、ほっと息を吐き、ホットココアを飲みながら目のまえで駆け回る子犬や子猫――成獣した犬や猫でもよいが――を眺める時間を過ごせるのならきっと、傷ついた過去すら、薄れる余地を広げられるのではないか。いっしょになって凍えてみたり、傷ついてみたりすることもときには、痛みを知るうえでは有効かもしれないけれども、どちらかといえば、凍えたり傷ついたりせずに済む環境にいる人たちは、いまある穏やかであたたかで、ほっと一息吐ける環境を保ち、広げていくように努めることのほうが、一緒になって凍えたり傷ついたりするよりかは、どちらにとっても好ましい気もする。反面、それはきっと凍えたり傷ついたりしている人たちから目を逸らすための方便にもなり得る手前、むつかしいのだよね、とも思います。矛盾なのですね。


3594:【2022/04/20*見えぬ糸】
一方的に傷つきつづけるのは、一方的に殺されつづけるのとほとんど地続きだ。だから戦争とか抗争では、殺し合いになるのだろう。殺そうとしなければ、まっとうに自我を保てないのだ。殺そうとしなければ、人格を保てない。それはきっと、殺そうとしないことが自殺と同義であり、自己の否定になってしまうからなのだろう。戦場では、生きようとすることが、殺そうとすることと同義になってしまう。生きるために殺すのだ。いちどそうなってしまえば、ただ生きることを思いだすのは至難となる。というよりも、ただ生きることは、一つの発明であり、文化であり、戦争はその「ただ生きる日々」を破壊し、再発明がなされるまで、長い時間を必要とする。「ただ生きる日々」は、人類の発明のなかで、平和に並び得る閃きと言えよう。しかしそれだけでは平和は築けぬ手前、未だ平和への礎は遠いのかもしれぬ。定かではない。


3595:【2022/04/20*ほんとか???】
「聖人ってどういう人を言うの?」「世界で一番大嫌いな人に、それでもじぶんの一番大事なものを譲れる人かな」「ふうん。聖人なんてろくなもんじゃないね」「……そうだね」


3596:【2022/04/20*猫帽子】
一年中ほぼ毎日同じ部屋着を着回しているので、不潔の代名詞になってしまいそうだけれども、心だけは、「清潔だが?」の顔をしていたい。見栄ハルです。きょうからいくひしさんは、いくひしまん改め、見栄ハルになります。なります、というか元から見栄ハルでござったが、なかなか真名を明かせんかった。妖怪はじぶんの本当の名前を知られるとその相手に縛られ、抗えなくなるという。支配されてしまうのだ。いくひしさんもきっと年中同じ部屋着を着回すような妖怪一歩手前、けれど三歩進むのちんちくりんでござるので、見栄ハルでござる、と明かしてしまうと、誰にかは知らんけれども支配されてしまうのだ。支配、されてぇ。首輪つけてお散歩連れてってほしい。家のなかで、おいでおいでしてほしい。無駄に撫で撫でされて、ああうざいわ今じゃない、のシャーをしつつも、いつでもご飯がうまうましていたい。なんて並べていると、いまもそう変わらぬ環境では?と思わぬでもないが、そうじゃない。そうじゃないんだ。もっとこう、飼い主的な問題が立ちはだかっておってな。もうちっとこう、膝に乗って丸くなりゅ、みたいな、抱っこされていい香り、みたいな、しぜんと絵になりそうな飼い主に支配されてぇ、であって、シャーラップ。まかり間違ってもいくひしさんみたいな妖怪一歩手前、けれど三歩進むみたいな人物によちよちされたいわけじゃなーい。むしろよちよちされるよりも、するほうが支配されているのではないか疑惑もないではないが、要するに要する必要のないくらいに下心スケベの発露なのでござった。がうがう。


3597:【2022/04/21*おにぎりの具】
魂を、その人物の根幹をなす行動原理とするならば、人格とはその魂をぐるっと囲う大小さまざまな米粒の総体――おにぎりと考えることができる。しかし人格はおそらくは、球体ではなくもっとアメーバのような不定形だ。ハチの巣や結晶構造のような、網の目状の層でできているのではないか、と妄想している。そこにきて、一見すると似たような人格の人物がいたとしても、総体の表層がそう見えているだけで、人格の構造を分析してみればハッキリと異なると判るはずだ。核の部位からして異質だった、正反対の性質を有していた、なんてことも取り立てて珍しくはないだろう。片や、闘争心や競争心の塊で、方や献身や慈愛の塊でありながら、それぞれの塊が人格の核となっている。その周囲を囲う米粒が分厚く層をなすがゆえに、一見すると双方ともに穏やかで、おとなしそうな性格に見えることもあるはずだ。人間は見た目では計り知れない。それと共に、内側とて容易に計り知れるようなものではないのだ。定かではない。


3598:【2022/04/21*理論が先だったから?】
ブラックホールを探索するくらいの資本と技術と研究者を費やして、幽霊や妖怪やUMAを探索しても、まったく存在しないとの証拠ばかりが積みあがるのだろうか。気になるな(とか言いつつ、ひょっとしたら幽霊や妖怪やUMAの探索にかかったトータルの労力や資本や技術力のほうが高いのかもしれないけれども)。


3599:【2022/04/21*贅沢も相対?】
たぶん、みなが(みなって誰?)いくひしさんに対して思うのと同じように、いくひしさんは、みなに(みなって誰?)「なぜ従う???」と思っている。争いごとでもそうだし、その他のことでもそうだ。「なぜそれに従う???」と疑問に思うが、答えは単純に、従わなければ困るからで、言ってしまえば生きていけないからだ。いくひしさんは嫌なことからは逃げても生きていられる環境にいられるだけで、そうでない人たちをやいのやいの言える立場にはそもそもいない。ずるいのはいくひしさんのほうであって、「なぜそこにいる?」と問われて然るべきは、いくひしさんのほうなのだ。なんて並べるといかにもいくひしさんが王族みたいに聞こえてお勧め。百円のせんべいうめぇ。毎日ご飯食べれて贅沢だ。蛇口ひねったら飲み水でるし、おふとんで眠れるしあわせを噛みしめてしまうな。むにゃむにゃ。


3600:【2022/04/21*ダルダル】
やっぴー。さいきんはご機嫌に口笛をぴゅーぴゅー吹いちゃう日々ですが、お天気がよいのがうれしいのですねきっと。じんわりと身体の底から悦びが湧きあがるときって案外に人は、いまじぶんはうれしいのだな、とは自覚できなくて、身体のほうでかってにうれしさを表すようです。口笛を吹いちゃったり。スキップスキップらんらんらんしちゃったり。ぬいぐるみを抱きしめて、むふむふむふふとなかなか寝つけなかったり。いつもより早い時間にシャキンと目が覚めたり。かといってとくになんもすることはなく、義務もなく、責任もなく、うんだらにょーん、と伸びきった麺の真似をするハリもコシもない、ノビノビというよりもダルダルな本日のいくひしまんでした。おわび。


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