※日々、腐っている、腐りつづけている、なお腐っているし、まだ腐る、いったいどこまで腐れば気が済むのか、尽きぬ我が身の底知れなさよ、腐るほど余る呆れ具合よ。
3441:【2022/02/19*親愛なるまだ見ぬ旅人へ】
ちゃんと文字にして並べたことがなかったので並べておきますね。なかなか小説が書けないとか、書きたいのにほかの人たちと比べてしまって、じぶんが劣って感じられ、苦しんでいる方。もしいらっしゃったらよく聞いて。誰が認めずとも、いくひしさんが認めます。あなたの世界を認めます。まずは小説を好きになってくださってありがとうございます。それから小説を書こうとしてくださってありがとうございます。もうね、その時点で合格です。あなたは立派に作家です。しかしまだ偉大な小説家ではありません。まずは一作、なんでもよいので、楽しみながら好きに、自由に、人の真似でもなんだってしてよいので、最後まで、これ以上は物語がおもしろくならないな、というところまで文字を並べてみてください。何文字でも構いません。掌編だろうが長編だろうが関係ありません。それがいわゆる「THE小説」の体裁になっていなくてもよいです。そうして物語の最後まで行きつけたことが一度でもある方。もうね、素晴らしい旅をしましたね。お帰りなさい。その時点であなたは偉大な小説家にして、大いなる旅人です。ここではない、しかしどこかにはあるだろう世界へと旅立ち、無事に帰ってこられたのです。誰にも真似できないことです。なぜなら、その世界はあなたが生みださなければ現れなかった唯一無二の世界なのですから。たとえ、既存の作品に影響を受けていようが、ちょっぴり真似しちゃっていようが、関係ありません。売り物にするわけではないのなら、だいじょうぶです。あなたが楽しんで、ときに苦しみつつ、悲しみに暮れながらも、キャラクターたちの苦難を見届け、至福を見守り、どうにかこうにか執筆という旅から帰ってこられたならば、もうそれだけで偉大な旅人にして小説家なのです。そこで満足しても充分です。一作であれ、世界は世界です。ただそれだけが大事です。あなたが旅立ったからこそ立ち現れた世界を、こちらの世界に刻み込んでくださり、ありがとうございます。電子の海へとその軌跡を残してくださるなら、きっといつかいくひしさんみたいな孤独なひとに届くでしょう。それから、すこし休んだらまた旅立ちたくなった方。素晴らしいですね。よくぞ決意されました。いくひしさんがパチパチパチと盛大な拍手を送りたいと思います。きっとあなたは旅の楽しさを覚えたのでしょう。それとも、つぎはもっと深いところまで潜っていけると予感したのでしょうか。きっとその予感は正しいでしょう。途中で引き返してきたっていいんです。あなたにしか見えない地平線を見据え、一歩足を踏みだそうとしたその好奇心、ワクワク、それとも衝動、それが大事です。もうその時点で、ほかの人と比べることがいかにお門違いかにきっと本当は気づいたはずです。しかし人は、いちど覚えた感触を忘れてしまう生き物でもあります。何度も旅にでることで、いつの間にか、大事だったはずのことを忘れてしまうのですね。思いだしてください。あなたが偉大な旅人であったことを。どれくらいたくさん物語をつくれるかとか、どれだけ速く物語を閉じれるかとか、どんな栄誉を掴むのかとか、そんなことはまったく旅には関係ありません。旅はレースではないのですから(もちろん、関係ないことだって楽しめるなら楽しめばいいと思います)。ゆったりとじっくりと、足元の花に目を留める余裕があるくらいにじぶんの好きな歩みで旅をしてください。楽しい旅のそれが条件です。ときには途中で目的地を変えたって構いません。あなたが旅先で目にし、触れ、感じたことを、どうぞ囁くように、歌うように、いくひしさんにも体験できるように、見えるように、語りかけるようにして教えてください。たとえそれを「小説ではない」とほかの人が否定したとしても、いくひしさんが認めます。それは偉大な旅人の残した、偉大な旅の記録にして、小説です。それとも、小説には納まりきらないもっと大きな何かかもしれません。それでもときには、小説を書けないことに悩んだり、小説と向き合うことを苦しいと思う日が訪れるかもしれません。そのときは誰に遠慮することなく、休みましょう。ほかのことで遊んじゃえばよいのです。旅は、たまにするから楽しいのです。年中旅をしていたら、それこそ現実で休むことのほうこそ旅である、と言えてしまいます。中には商業作家になりたいんだ、という方もいらっしゃるかもしれません。申し訳ないのですが、そちらの領域は、いくひしさんの範疇外です。いくひしさんはそちらに関してはどうこう言える立場にはないので、申し訳ありませんが、いくひしさんが認めてさしあげることはできません。どうぞ、商業作家への門をどうにかこうにかくぐって、なりたいものになってください。応援しております。道は違えど、しかし、いずれにせよ、あなただけの世界に旅立ち、その断片を見せてくださるあなたのことを、いくひしさんは尊敬しております。ありがたーい、と思っております。いくひしさんだけは、何があっても、誰がなんと言おうとも、あなたの旅した世界を認めます。いくひしさんに認められてもな、と思ったそこのあなた。じつに正直者で、本質を見抜く目が優れているでしょう。その通りです。いくひしさんなんかに認められずとも、各々、好きに、自由に、思うがままの世界に旅立ってください。願わくは、あなたにとって語り尽くせぬ旅路になることを。たまにはいい人ぶってみたかった、本日の郁菱万でした。
3442:【2022/02/20*快感だけでは楽しめない】
上記補足です。苦しみながらしか小説をつくれないし、そうすることでしか拭えない何かに苛まれている小説家さんがいることも、当然承知しております。その方にまで、楽しんで旅をしましょう、とは言いません。ただ、もし苦しんでいる理由が、旅先よろしく物語にあるのではなく、小説をつむぐことそのものにあるわけでもなく、本当は楽しんで物語をつむぎたいと望んでいるのなら、楽しむ方法はあると思いますよ、と一言、蛇足ですが申し添えておきますね。楽しんでもいいと思いますよ。苦しみ、慈しみ、哀しむことを含めて。旅は愉快なことだけではありませんし、ときには絶望にも直面するでしょう。だからといって人生がすっかりすべて悲劇になるわけでもないのですから。(定かではありませんが、こればかりは、定かにしていきたいですね)
3443:【2022/02/20*強者のみなさまへ】
優しさのない厳しさこそ甘えだと思っている。殴り飛ばして生き残った者だけヨシヨシしてりゃそりゃあ楽だろうよ。おまえが優しくねぇのは、優しくすると生きていけないくらいに弱いからだろ。自覚しろよ。人に優しくしつづけてなお人生楽しめるくらいに強くなれよ。強くなりてぇんだろ。うひひ。(本気で厳しくされたいの)
3444:【2022/02/20*たまにはカチンとくることもあります】
これは間違った考え方だし、合理的ではないけれど、何かを極めたいと志すのは構わないし、意気込むのもご自由にどうぞ、と思うけれど、極めることくらい一人でしたらどうですか、と思わないわけでもないのだよね。いちいち他人を巻き込まないとじぶんの理想を突き詰める真似もできないんですか、とたまに思いますが、これはしかし、切磋琢磨をすることで到達できる境地があったり、協力し合うことで至れる未踏の地もあるので、一般化はできませんね。ただ、一人でできないことをしようとするのなら、相応の心の持ちようがあるようにも思います。本当にあなたに才能があって、超ド級の天才であるのなら、一人でどこまででも突き詰められますよね、と思ってしまいます。とはいえ、一人きりになったところで、その生活を支えるために我々は誰であれ、脈々と受け継がれてきた文明の恩恵を受けているし、先人たちの切り拓いた境地のおこぼれにあやかってもいます。そうした他者からの恩恵を散々に受けておいてそれを度外視しながらじぶんこそがオリジナルだの先人だのナンバーワンだのとのたまいている人を見かけると、甘えんな、とたまに思います。間違った考え方ですけれどね。甘えたっていいわけですから。基本、人間は弱い生き物です。野生の生き物たちに比べたら現代人は総じて社会におんぶにだっこで甘やかされて暮らしています。ただ、そうした現実に気づきもしないで、他者にばかり厳しく当たり散らしているいくひしさんみたいな人を見かけると、たまにカチンとくることもあります、という愚痴でした。同属嫌悪ですね。すみません。(お目汚し失礼致しました)
3445:【2022/02/21*浄化されて消えてしまう】
さいきんはもう、ずっと絵描きさんや音楽家さんだけ見てたいな、の気分だ。SNS上越しに憧れてる作家さんたちはみなさん、本当に素晴らしく努力家で、じぶんに厳しく他人に優しい方ばかりなので、見ているだけで背筋がピンと伸びる心地がします。作品そのものもそうですが、生きる姿勢みたいなものが美しいです。あの方々のような人間になりたいな、の気持ちで、毎日心が浄化されますが、浄化された矢先から、うひひ、と邪悪に塗れてしまうので、いくひしさんはもうダメです。絵描きさんや音楽家さんたちがいなければいくひしさんはとっくに大魔王と化して、世界征服をしていることでしょう。全人類みな、絵描きさんや音楽家さんたちに感謝して欲しいと思います。いくひしさんはうんとたくさん感謝いたします。一人につき五百兆円ずつ配りたいですね。いくひしさんが大魔王でないことが悔やまれます。役立たずで申し訳ございません。いつもステキな絵と歌と表現を見せてくださり、ありがとうございます。
3446:【2022/02/21*いつでも誰かの範疇外】
思っていた以上に時代の進む速度が速い。それを価値観の変容が、と言い換えてもいいし、人々を動かすものの中身が、と言い換えてもいい。ここ数年で顕著になってきたのが、以前よりも多くの人々が、勝者の姿を見たがっていない、という点だ。勝者よりも、いかにじぶんにちかしい境遇で頑張っているか。感情移入をして応援していられるか。推しという言葉でまとめてしまえば楽なのだが、一概にそうとも言えなくなってきている。必ずしも推しでなくともよいのだ。別の言い方をするのならば、気に入らない勝者の姿はむしろ見たくない、と拒絶する。視界に入れない。興味の範疇外に押しやってしまう。それを可能とする環境がいまは整ってきている。それゆえに、広報という意味では、いかに的を絞った導線を引いていけるのか、という従来の手法と同時並行で、いかに興味の範疇外扱いしている人々の元にまで届くように導線を引いていけるのかがビジネス戦略上、要となってくる。ビッグデータの表面をなぞるだけでは、後者の、接点のない分野同士を繋ぐような真似はできない。分断された層は基本、可視化されないからだ。しかしそれゆえに、潜在需要者をたらふく蓄えている可能性が高い。もはや現代人は、となりに座る相手とすら異なる社会を生きている。共通の話題を探るほうがむつかしい時代になってきている。それゆえに、共通の話題になりそうなコンテンツは、以前よりも爆発的に話題になるし、売れるようになる。この流れは十年以上前から強化されつづけているし、当分消えないだろう。しかし、個々人のなかに広がる社会がまんべんなくモザイク状に散らばるのならば、そもそも共通の話題などはないのだ、という共通認識ができるので、互いに相手の内社会を尊重しつつ、会話ができるようになっていくと妄想する次第である。周囲の極々狭い範囲での印象だが、若い世代ではこれがしぜんと身についている。できていないのは我々世代を含め、上の者たちに多い印象だが、これもまた本来は個々に固有の問題であるはずだ。問題のある個が多数を占めた時代が長くつづいたのである。言い換えるのならば、まったく問題のない個などいない、という認識を持てない者が多かった時代と言えよう。以上は、なんも並べることないんじゃい、とふてくされたいくひしさんのあてずっぽうなので、真に受けないように注意を促し、本日の「いくひ誌。」とさせてください。(新作掌編:「糾える鎖のごとく」
https://kakuyomu.jp/works/1177354054881060371/episodes/16816927860438925903)(新作掌編:「卵からミニカー」
https://kakuyomu.jp/works/1177354054881060371/episodes/16816927860378734520)
3447:【2022/02/22*なんもわからん】
わからんし間違ってるかも、みたいに思いながら、でもぼんやりと、これしか考えられんしなぁ、みたいな事柄を普段から思いつく。確率の高さごとにいくつかの可能性が枝分かれしているけれど、のきなみ、これしかないよなぁ、が時間経過にしたがって浮きあがってくる。それはたとえば、ずっと空を眺めていたら、えっ大地動いてない?と気づくようなものだ。いくひしさんは情報処理能力が低いので、言い換えるとあんぽんたんなので(かわいい)、そのときそのときその場その場で対処をさせると、んーわかんないっ、となる。なのに数時間後とか、数日後とか、ときには数年後とかに、ああこれってこういうことか、と急にピコンと閃くことがある。けれど閃いたそれを確かめたり、再現したりできないことが多いので――たいがいはその場その場での映像だとかやりとりが記録として残っていないし、高い技術力がないと実験できなかったりするので、どうあってもいくひしさんの勘違いだとか思い違いだとか、要は妄想の域をでないのだ。でも、いちおうメモしとくか、とメモをとっておいたり、念のために言っておくか、と誰かに話しておくと、たいがいはいちど否定されちゃうし、まんちゃんまたへんなこと言ってら、みたいな感じで流されて終わっちゃうんだけど、数年後とかに、やっぱりそうだったんじゃん、みたいなこともなきにしもあらずなので、ちゃんともっと説明できるようになりたい。無理やり確かめようとしてもいっぱいの人に迷惑かけちゃうからいいことないし。けれども、閃いちゃったことを見て見ぬ振りもできないし、本当にいくひしさんには色々なことが繋がっていて、言葉だけでは説明しきれないことが多いのだ。もちろんたいがいは言葉にした途端、それっていくひしさんの勘でしかないしなぁ、になる。やっぱり妄想の域を出ないのだけれど、でも、そんなことを言ったら、いくひしさんのほぼ十割は妄想でできているので、なぜっていくひしさんに証明できることなどほとんどないからで――いくひしさんは、じぶんがじぶんであることすら証明する自信がないよ――もう心底に、いくひしさんの言葉なぞは信用に値しないのだよね。しょんぼりしてしまう。でも仕方がないのだ。基本、何かを閃いても、やっぱり九割九分くらいは勘違いだったり、思い違いであることのほうが多い。いっぱい失敗してしまう。こっちかと思ったらあっちだった、みたいなそういう勘違いをしょっちゅうする。ここに書けばいいのね、と意気揚々と書いたらそこの欄じゃなかったとか。詰め替え用のコンディショナー買ったつもりがシャンプーだったとか。こんなの日常茶飯事だ。いくひしさんはいくひしさんのやることなすこと、なんも信用ならんのよね。でも、ときどき誰も真剣に聞いてくれなかったけれども、やっぱりそうだったんじゃん、みたいなこともあるので、むつかしい。かといって別にいくひしさんが何かを発明したり発見したりするわけではなく、偶然に、偉い人たちの何かしらの成果と似たような妄想を以前にいくひしさんが浮かべていた、というだけのことなのだよね。いくひしさんの考えるようなことはすでにどこかの誰かが考えているのだ。だから安心していくひしさんは間違うことができる。だってもう誰かが間違っているのだろうから。対策とてばっちりなはず。そうじゃない?(同じ失敗を何度も繰り返している人の言葉とは思えませんね)(対策とは?)(愚かさを自覚してればいいってわけじゃないんだよまんちゃん)(言わないで)
3448:【2022/02/23*切実にやめてほしいです】
いまは2/24です。一日遅れで更新します。ロシアとウクライナが戦争をはじめたようです。おそろしいことです(ロシアがウクライナを侵攻したといった構図のようです)。戦争、と辞書を引くと、おおむねそこには、軍事力を用いた国家間の対立、といった意味の言葉が並びます。戦争は国と国がすることなのですね。転じて、何か個人と個人ではない大きな枠組み同士の争い、といった意味でも使われます。でも、いくひしさんは思います。戦争とて、けっきょくは人同士の対立であり、争いでしかないのだと。国家が、国家という物体としてあるのではなく、あくまで一つの仕組みのなかの漠然としたくくりでしかないのと同じ理屈です。国家を形作っているのは人間です。戦争を起こすのも、長引かせるのも、人間のすることなんですね。そこに、おそらく個人同士の争いとの差異はないでしょう。単に、扱える道具や、困窮する物資の規模の大小に違いがあるだけです。誤解をしてほしくないのはこれはけして、国家間同士の問題を、個人の問題に矮小化して考えましょう、と言いたいわけではない点です。国家を形作る個々人が、それぞれの生活のなかで、いかに争いや弱い者いじめや、理不尽な扱いに対して、毅然と冷静に対処できるのか。感情的になることもそれはあるでしょうが、そのときに、何かをするにしても、ひょっとしたらじぶんのほうが加害者かもしれない、と思えるかどうか。干渉しようとする相手に対して、じぶんのほうが強者になってしまわないかどうか。そういうことを考えられる個人が増えれば、すくなくとも、戦争をしようとする者についていこうとはしないでしょうし、仮に上から戦争を強制されたとしても、みながNOと言えば、戦争は起きません。最悪、大統領同士が殴り合いをして、単なる決闘をするよりない状態にしてしまえばよいわけです。もし決闘をしたのなら、現代ではどんなに偉い人でも決闘罪で裁かれます。国同士でルールが違うにしても、やはり大勢がそのルールに従わなければ、ルールはルールとして機能しません。しかしそれゆえに、大勢の意思が一つの方向に誘導され、流されてしまうこともまたおそろしいことです。弱い立場の人を守るべきルールがおろそかにされれば、それはもう、人間の目指すあるべき社会とは呼べなくなってしまいますからね。こんなことを言うと、人間はでは弱い立場の人を守るべき存在なのか、そんなことはないだろう、と反論が飛んできそうです。その通りです。そんな義務はありません。しかし、過去、あらゆる艱難をくぐりぬけ、その都度どうしたらじぶんたちがより長く可能な限りの自由を享受できるのか、と多くの人たちが考え、行動した末に、より自由な社会が築かれてきたのです。その結果、やはり弱い立場の人たちを守るべく行動することこそが、回りまわってじぶんの自由を、人生を、豊かにするのだと導きだしてきたのですね。もちろん、強さや弱さは相対的なものです。延々ずっと弱い立場でありつづける者などはいません。弱い立場同士で争うこともでてくるでしょう。おおむね人は、弱い立場であり、かつ別の場面では、強い立場でもあるものです。そのときに、すこしでもじぶんが相手よりも自由を感じられたら、意思を通せたら、それは相手よりも強い立場にあると言えるでしょう。そのときは、相手の大事に思っていることを尊重し、どうにか援助の手を差し伸べられないか、と考えられると好ましいように思います。戦争をしたいと望む相手には、許容範囲内で戦争を楽しませてあげましょう。許容範囲内とはたとえば、ゲームや漫画といった、虚構のなかでだけです。そこでなら、いくらでもしたいことをしてもらえばいいと、いくひしさんは思います。ひるがえって、いくら戦争ではないからといって、競争や対立を煽る行為は、個人に許された自由とは言えど、立場に応じて慎んでほしいな、とすこしだけ思いますが、それを強制する真似は、いくひしさんにはできませんし、したくはありません。みな各々、したいことのできるような社会を築いていけるとよいですね。ふんわりとおぼろげなつれづれこと、本日の「いくひ誌。」でした。
3449:【2022/02/24*なんもわからんちんちん】
「とりとめのないつぶやきになっちゃうけれど、いくひしさんはいまの生活にこれといって不満はありません。でも、約束はできるだけ守ってほしいし、いくひしさんも、守れない約束はしないようにしたいです。立場のいかんを問わず誰であれ、約束を守ることと、守れそうにない約束を相手に迫らないことに気をつけていれば、ひとまず世の中は最悪には向かわない気がします。約束を守れなかったら、つぎからは破らずに済む対策をとれるとよさそうです。謝罪や償いよりも、それが一番大事に思えます。同じ過ちを繰り返さない。単純な話だけれど、これが一番むつかしいんですよね。工夫していきたいと思います」「いくひしさんはいくひしさん以外の大勢に迷惑をかけつづけていますし、いくひしさん以外の大勢に助けてもらっています」「いつもいつも偉そうにふんぞりかえったようなことばっかり並べちゃうけれど、いくひしさんは自己肯定感がゼロなので、偉そうに振舞わないと言葉も満足に並べられないのですよね。かわいくないなって思います」「仲間なんて欲しくないけれど、仲間を大事にする人は好きです。でも、仲間しか大事にしない人はすこし苦手かもしれません」「お金を奪うことと同じかそれ以上に、時間を奪うことはたいへんな罪に思えることが多いです。だからいくひしさんはできるだけ孤独でありたいのかもしれません」「なんもわっからーんの日々です。うそ。なんかわかったかも、と思いながら、やっぱり違ったかも、の日々です」「言ってもそこまで考えてはいませんが」「いくひしさんの日々の忙しさが1だとすると、誰かのために働いている方々の日々の忙しさは地球の円周か、それとも太陽系、はたまた銀河系の直径に匹敵すると思います」「謙虚さを演出するために、すこし潤色しました」「うひひ」
3450:【2022/02/25*人が悲しいと私も悲しい】
悩むことよりも、黙っていることのほうがつらいと思います。信じつづけるよりも、許しつづけることのほうがむつかしいと思います。何かを考えつづけることよりも、手を差し伸べたいのに何もできない、と耐えつづけるしかないほうがよほどつらいと思います。もしくは、信じていいのか判らず、それでも弾劾することもできない状況で、相手を許しつづけなくてはならないこともさぞお苦しいでしょう、と想像します。平和は、待っていてもやってきません。この世には、培っていかねばならないことが多すぎます。そのうえ、すぐに枯れてしまうものばかりです。なんとかできないものでしょうか。
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