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いくひ誌。【3371~3380】

※日々、道を踏み外す、それ以外に道をつくることなどできるのか?


3371:【2021/12/30*いくひし、またの名を、うひひ】
じぶんが正義や善や倫理観なるものを備えているとはとうてい思えないいくひしさんであるので、おそらく世のなかから正しくないものを排除するとなったときにまっさきに排除されるのはいくひしさんであるし、いくひしさんの表現物であると思っている。いくひしさんよりも遥かに正義や善や倫理観を置き去りにし、人の道なるものを踏み外しているいくひしさんの表現物たちは、世の基準に照らし合わせたらおしなべて邪悪であり、外道であり、下品である。世の正義や善や倫理観を備えた者たちにはぜひとも、あなた方の掲げる正義や善や倫理観は、まっさきにいくひしさんや、いくひしさんの表現物を淘汰するのだ、ということを知っておいていただきたい。そのうえで改めてご一考いただけたらさいわいである。むろん、いくひしさんや、いくひしさんの表現物が誰かを傷つけ得る害を秘め、邪悪であり、外道であり、下品である事実は認めるしだいである。郁菱万なる存在が、あなたさまのような完璧な人間でなく、わたくしめはたいへんに申しわけなく思っております。また、あなたさまのような完璧な人間のつむぐ完璧な表現を行えずに、わたくしめはたいへんに心苦しく思っております。この世に存在してしまい、まことに申しわけございません。うひひ。(新作掌編:「夜道を外れる(https://kakuyomu.jp/works/1177354054881060371/episodes/16816700429626243532)」「小説を書かなければ死ぬ(https://kakuyomu.jp/works/1177354054881060371/episodes/16816927859082475578)」「咎人は嘯く(https://kakuyomu.jp/works/1177354054881060371/episodes/16816927859101772492)」)


3372:【2021/12/30*あしたは大晦日】
ことしははじめましての読者さんにも小説を読んでもらえてうれしかったな。もうそれだけでというか、それこそがゆえに、素晴らしい一年でした。もちろんこれまでにすでにこんにちはしてくださっていた読者さんにも読んでもらえていたと思うし、いくひしさんは果報者でおじゃる。それに好きな作家さんの小説もたくさん読めたし、好きな表現者さんたちの表現にもたくさん触れられたので、年々いくひしさんにはしゅわわせの感情が蓄えられておるそうな。そうしたしゅわわせの感情やら、そうでない感情やら、いろいろの掴みきれておらぬ感情もこみこみで、いくひしさんの内に積もりに積もって、ビッグバーン、したナニカシラのモヤモヤやらツブツブやら、ガラクタさんたちによっていくひしさんは物語をつむげるのであるからして、本当にもうもう、みなみなさまが表現を己が世界からあちらの世界へと放出して、描きだして、つむぎだしてくださるからこそ、いくひしさんの世界にまで届いて、新たな物語をいくひしさんは、ぐえーっ、と吐きだせるのでございますね。ありがたいことでございます。てんきゅー。それはそれとしていくひしさんはもうダメかもわからん。もうダメというかずっとダメダメでござるけれども、どんなにダメダメでもかわいいってすごない? もうこの時点でダメ? あ、そう。本日の「いくひ誌。」でした。


3373:【2021/12/31*いっぱい寝る】
いっぱい寝て起きたら、見て、もうきょうが終わりそう。いまは23:10です。あと五十分できょうが終わる。今年が終わる。ひょっとしたらこれも本当は夢の中で、何もせずに我が生涯が淡々とあっけなく終わりつつあるのかもしれんけれども、それでもいいと思えるくらいには夢の中かもしれんこの世界もそんなにわるかないと思える本日のいくひしさんなのであった。であったじゃないが。とか並べてるあいだに、小休止したら年を越えていて、いまは元日の0:58だ。なんもせずに今年がはじまってしまったな。寝る子は育つ! 勢いでなんかそれっぽいこと言っとけば万事解決すると思っているいくひしさんでおじゃるが、今年はそうだなぁ。またいっぱい旅にでたいなぁ。物語という異国に、ここではないどこか、しかしどこかにはあるだろう世界へと旅立ちたいな。というわけで旅立ちます。引きこもりのお部屋のなかで、孤独にこそこそと寂しく楽しく「うひひ」といろいろを企みながら、ほくそ笑みながら、遠い星から好き好きなひとたちの――つまりがあなたのしあわせを見守りつつ、表現を貪り食らいつつ、直接には関わらずに、孤独にいまの時間を過ごせていられたらよいのにな。よろしい、よろしい。今年はもう今年になっちゃったけれども、いちおう大晦日の日誌ということで、これにて今年最後の「いくひ誌。」にしちゃってもよいだろか。いいよー。やったぜ。よいお年を~。


3374:【2022/01/01*いっぱい遊ぶ】
よいお年を~、とか並べたその直後に矢継ぎ早にこれを並べているけれども、とくに並べたいことも並べることもないので、字数稼ぎに抱負でも並べちゃおっかな。白くてやわらかくて、お味噌汁に入れても美味しいし、カツオブシやお醤油と相性バッチグーの、茹でても生でも美味しくいただける――それは抱負やのうて豆腐や。いくひしさんが並べたいのは抱負です。今年の抱負はねぇ、毎日一作掌編をつくって、さっさと小説千作に達して郁菱万を引退したいです。現在、掌編短編だけでも七百作を超えているので、毎日ショートショートを十か月つづけるだけでも千作を超える計算です。やってやれないこともないかなぁ、と思いつつ、もうすでに脳内の奥底に湧いていたはずの閃きの泉がスッカスカのカッピカピなので、けっこうまあ無理かなぁ、いやだなぁ、たいへんそ、と思っているので、そうだったらいいなぁ、という願望を述べつつ、干上がった閃きの泉さんのカッピカピをどうにかこうにか磨きあげて、ピッカピカにしちゃいたいなぁと。んで以って魔法の鏡にしちゃって、いつでもどこでもおもちろーい物語をいくひしさんの代わりに語ってもらうのだ。よいね、よいね。そういう一年にしていきたいと思います。本年も毎年の例に漏れず、他力本願に磨きをかけて、ピッカピカの、いっちねんせ、でありたいと思います。忘れぬ初心。よみがえれ童心。どうぞみなみなさまも、鼻水垂らして駆け回った公園、道に張った氷という氷を割って渡ったあの日々を忘れずに。いまもふつうに割って歩いちゃうけどね。足で踏んで、ぱりんこりん。実際は、ぐしゃん、ってぜんぜん張り合いないけれども、そういう張り合いのなさ、よわよわのよわ、ザコザコのザコさ加減はまるでいくひしさんみたいだよね。うんうんじゃないが。否定してくれ。ここまで並べて思ったけど、今年最初の日誌がこれでいいのか。いいのかい。ホントにぃ? いいよー。やったぜ。今年もこんな感じで、手抜きをしつつ、サボりつつ、気負わずに遊んでいけたらなぁ、と思います。あ、言い忘れておりましたね。新年、明けましておめでとうございます。今年も遠い星にいる者同士、時間も空間も超越して、表現を通して繋がり合えたらうれしく思います。本年最初のいくひしまんでした。


3375:【2022/01/02*根に持つタイプでごめんなさい】
たくさん小説つくれるからといって小説家として高く評価されるわけじゃないよ。あるわけないじゃんね。だってほら、いくひしさんを見てごらんよ。もし作品数とか生産性とかで小説家の価値が高く評価されるのなら、いくひしさんはとっくにプロになれているもの。でもそうなっていないでしょ? だから小説家としての価値と作品数は関係ありません。その物語がおもしろいかどうかが大事なのです。もし作品数と小説家の価値に直接の関係があるのだとしたら、よっぽどいくひしさんの一作一作が駄作の極みということになりますね。その可能性も否定しきれませんし、おそらくはそうなのでしょうが、仮にそうであったとしても、いくひしさんは困りません。物語をつむぐことで得られる楽しさはいくひしさんだけの贅沢な代物です。またいくひしさんは掌編短編ばっかりつくっている生産性の低い作家なのでしょうから(年々薄くなってはきているようですが未だにありますよね、長編を書かなきゃプロじゃない、みたいな流れ)、ひょっとしたら本当はプロの方々とてボツ作を含めれば年に百作くらいは余裕でつくっているのかもしれませんけれども、駄作ばかりつくってさらには生産性も低いいくひしさんにとっては、たった一作でも素晴らしい物語を編んでくださるだけで、プロの方々には感謝いたしておりますし、プロでなくたって素晴らしい物語を編んでくださる方々もたくさんいらっしゃるので、それはもう惚れ惚れするほどに、いらっしゃるので。じゃからもうもう、いくひしさんってばどこを向いても、やったーおいちい物語が実り放題でおじゃる!なので、うれちーうれちーの日々なんでおじゃるよ。それはそうと、そうそう、なんだっけな、生産性うんぬんご高説のたまかれているプロ作家さま方は、いくひしさんよりもたくさんつくっていらっしゃるのでありますよね。もちろん当然そうに決まっているわけでありますが、しかもそれが総じていくひしさんの駄作よりもおもちろいというのですから本当にプロはすごいです。憧れますし、お疲れ様なことでございます。ザコザコのよわよわなわがはい、ツヨツヨのみなさまのこと、至極尊敬いたしております。うひひ。(新作掌編:「河童と源五郎」https://kakuyomu.jp/works/1177354054881060371/episodes/16816927859125842025


3376:【2022/12/01/03*いっぱい練る】
完全なる寝正月でした。完全無欠のお正月でした、みたいなノリで、寝正月でした、と告白してみましたけれども、寝てども寝てどもまだ眠い。毎日十二時間睡眠ですけれども、みなさまいかがお過ごしでしょうか。あ、ちょっといまからお風呂に入ってきますので、しばしまたれよ。入ってきました。ついでに軽く髪を切りました。整えるだけのつもりが切りしすぎてパッツンになってしまいましたが、ご愛嬌。さいきんは自作の推敲をする時間がとれなくなってきてしまったので、というか推敲する時間はつくろうとすればいくらでも隙間時間を見つけられるのですが、なんだか原稿さんまでもが眠い眠いの気持ちを昂らせているのか、もっと寝させてたもー、と申しておられるような錯覚に陥るので、もうしばし寝かせておこう、と思うといつまでも未推敲のまま放置してしまうのですね。よろしくないと思います。個人的に、小説家の腕にはいくつか磨かれやすい作業というものがあるように思っています。おそらく推敲や改稿作業はその最たるものでしょう。いくひしさんの腕があがらない要因にはこの、推敲や改稿が苦手だから、というのもありまして、ここ半年あまりは基本、初稿のまま寝かせておく、の原稿ばかりとなっております。推敲はしたいのですが、いまじゃない、いまじゃないんだ、みたいにじぶんの文章と向き合う覚悟がなく、そのままずるずるといまに至っております。推敲はします。でもその前にまずはつくりかけの物語を閉じていきたいんですけれども、それもなかなか時間がとれずに、ずるずると。なんとかしなくちゃなぁ、と思いつつも起きたばかりなのにすでに眠いので、ちょっとまた寝ちゃいたいと思います。いくひしさんの特技は、寝ながらネタを練れることなので、もしいくひしさんが漫画家さんだったら、寝る練るネームね、とギャグを一つ挟めたのですが、ざんねんです。寝る練るネタですね、じゃ語感がよろしくないし、文章としても変なので、とりあえず、寝ようと思います。おやすみなさーい。(新作掌編:「オセチドリ」https://kakuyomu.jp/works/1177354054881060371/episodes/16816927859155761977


3377:【2022/01/04*駄菓子だって美味しいじゃん】
いくひしさんは、駄作がわるいと思ってはいないよ。良作がおもしろいのはふつうだけど、駄作がおもしろかったらそれってちょっとすごくない? いくひしさんは駄作でいいよ。駄作がいいよ。ただし、世にも珍しいおもしろい駄作だけどね(というか世の大半の駄作の評価を貼りつけられちゃった物語さんたちだってけっこうふつうにおもしろいんですけど。人生変えられるくらいのおもしろさじゃないってだけじゃない?)(しかもそれってけっこう人によるんじゃない?)(一般化できんくない?)。もちろん、おもしろいおもしろくないを決めるのは読者さまでござるけれども。うひひ。


3378:【2022/01/04*雑感詰め合わせ】
「いわゆる『大衆のよろこぶこと至上主義』は、企業方針の大前提としてあるように錯覚しかけるが、本来、社会的な意義と大衆の評価はべつである。いかに大衆から支持されようとも、社会を破滅に導く表現や思想はいくらでもある。ファシズムなんてその典型ではないか。にもかかわらず、大衆の支持を得さえすればいい、非難されなければよい、という考えは危うい。非難されることに意義がある表現というのもある。現実に問題が生じるよりさきに、虚構を通じて怒りを表明できる(抱ける)余地を奪わないことである。虚構を通じた表現には、ワクチンに似た効能がある。多すぎれば害だが、調合された害は、人類社会の発展をより健やかに進める。むろん、その調合は、社会の成熟度や発展の度合いによってつど変化することは論を俟たない。人体が子どもと大人とで、害となる物質の分量が変わるのと同じである。極度に潔癖な社会は、むしろ弱体化していると言えるのではなかろうか。これはやや悲観的な見方であるが」「SNS上でのいわゆる文学志向の小説家や評論家のつぶやきを眺めていて思うのは、批評の批評が必要な時期なのでは、ということで、批評のつもりかもしれませんけどそれただの悪口では、と思うことが多くなってきた感じがありますね。ありませんか?(本日のおまえが言うな賞受賞つぶやきでした)」「イライラすることは海に叫ぶようなつもりで、いったん文章にしてみるとただそれだけで気が晴れることもあるので、誰に見せなくともよいので、モヤモヤしたりイライラしたりすることがあったら、我慢せずに、いちどじぶんの外側に吐きだしてみる、というのはけっこうに有効な精神の安定方法だと思います。誰にも見せないのならどんなにひどいことでも書いていいんですよ、知っていましたか?」「おにぎりとか湯呑みとか、そういう一般名詞を思いだすだけでも数秒かかることが増えてきた。湯呑みを持ってから、えっとこれってなんというのだっけ、といった具合だ。物語を文字に変換するときも、何度も、えっとあれってなんだっけなんだっけ、となる。語彙がない以前に、記憶力が危うい。むかしからの性質とはいえ、さいきん悪化してきたかもしれない。これまで以上に注意しておこう」(新作掌編:「願い叶え人(https://kakuyomu.jp/works/1177354054881060371/episodes/16816927859180070984)」「死の雲が降る(https://kakuyomu.jp/works/1177354054881060371/episodes/16816927859200405125)」


3379:【2022/01/05*あれについての所感】
(あんまりこの手の話題には触れたくないのですが)以下、世間を騒がせている例のウィルスについての印象です。いくひしさんのなかでは一年半前から印象が変わっておりません。おそらくすくなからずの方々も似たような所感を抱いていると推察いたします。要点としては、こたびの新型ウィルスは潜伏期間が長く、死者や重症化する感染者をランダムにだす点が特徴的です。これはほかの毒性のあるウィルスに見られる弱毒化のプロセスを辿りにくい性質を伴ないます。また基本的にウィルスというのは進化速度が動植物に比べて桁違いなので、変異を伴ないやすく、すると感染拡大にしたがい、さらに変異は加速します。つまり、いったんは毒性の低い変異を経て感染力を高めたあとに、こんどは毒性の強い変異へと転じることもあり得るのです。したがって一か国だけの感染予防策では根本的に制御不能であり、全世界同時にワクチン普及策や渡航制限および行動制限を講じていく必要があると考えます。こういうことを言うと、ほかの国にワクチンを優先して配るということは自国民に死ねというのか、みたいな反論が飛んできそうですが、そんなことは言っていません。被害の深刻な国々にワクチンを優先して配った分の遅れは引き受けながら、もうしばらく行動制限の伴なう生活を送っていきましょう、との提案です。そのためには国民への経済支援が不可欠です。どの国もそれをしつづけることを避けるので、はやく経済活動を活発化させなくては、とワクチンを奪い合うのではないでしょうか。WHOですら、みなでがんばれば今年で終息可能だ、と楽観的なメッセージをだしているようですが、本当にだいじょうぶですか、と不安に思ってしまいます。もちろんこのままウィルスが弱毒化のプロセスを辿り、凶悪化せずに、特効薬もできて、治療法も確立され、万事滞りなく解決に向かうこともそう低くない確率であり得ますが、それだけを期待してほかの可能性を吟味せずにおけるほど、こたびのウィルスは御しやすくはないはずです。そもそもを言えば、こたびのウィルスを終息させても、ほかの厄介なウィルスがでてくればまた同じことの繰り返しです。以前から繰り返し述べていますが、都市設計から練り直していく時期なのではないでしょうか。もうすこし最悪の事態を想定して、外枠からの対策や抜本的な解決策にも力を入れて欲しいと思います。(素人の印象論でしかありませんので、真に受けないでください)


3380:【2022/01/06*文字の積み木遊び】
 以下、掌編をつくるときに無意識で行っているらしいじぶんなりのコツというか手順を記しておきます(言語化できそうだったので言語化してみました)。
 第一に、小説をつくる際には、ざっと大筋の流れを頭のなかで決めます。
 とはいえ、文字に変換していく過程で、そのつど細部を修正していくので、最初の構想とは大きく異なることが大半です。
 たとえば今回の話はこんな感じです。
「  臓器用クローン。
   べつにいいじゃん意識ないし。
   じゃあもらっていくわ。さっさと殺しちゃって。
   肝臓と血液を搾り取る。
   宇宙人襲来。
   死体ごろごろ。なぜか脊髄ごと脳みそがなくなっている。」
 まずはこのように、ざっくり流れを考えます。
 上記、要点をさらに詰めると、
「未成熟なクローンを臓器移植用にした人類は、じぶんたちが完成形であり高度であるからこそそれが許される、と驕り高ぶるが、じぶんたちよりも高次の存在をまえにすればじぶんたちもまた単なる臓器移植用のストックと見做され得ることを知る」となります。
 よしこれでいこう、と決めるときはだいたい映像で一瞬で全体像が浮かびます。それから一連の流れにおける要となるシーンを抽出し、ここを経由すればだいじょうぶそうだな、という経由点を決めたら、あとは細部を好きに造形しつつ、文字に変換していきます。
 長編や中編になると、この経由点そのものが変化していくので、より複雑かつ多重な思考を費やします。一つの展開を描くたびに、選択肢が無数に浮かぶためです(物語後半になるほど選択肢は一つに収斂していきます。これは物語構造を最初に決めている影響です)(全体像と構造の違いは、写真とCTスキャンの違いにちかいです。同じ見た目でも、マネキンと人間は違いますよね。似たようなものです)。
 掌編は最初に決めた一連の流れ(全体像やフレーム)から外れることはすくないのですが、長編や中編は、最初に思い描いた物語と同じになることはほとんどありません。
 ただし、長編や中編では、最初に物語の構造を決めているので、それだけはあまり変わらないかもしれません(物語の全体像=見た目が変わることはあっても、構造=骨格は変わりません。見た目が魚でもクジラは哺乳類なのと理屈は似ています)。
 その点、掌編や短編では、立体的かつ複雑な物語構造を適用するのがむつかしいので、だいたい似た構造を利用しがちです。どんでん返しだけに絞れば、構造のカタチは百パターンもない気がします(下手をすれば五つくらいしかないのかも)(こんど数えてみます)。
 ちなみに、掌編の場合、物語の一連の流れ(全体像やフレーム)を閃くまでのあいだに、常時延々とあらゆる組み合わせを脳内で試しています。連想ゲームのようなものです。
 たとえばその日に雨が降っていれば、じゃあこの雨に何を当てはめたらおもしろくなるだろう、と考えます。雨が、飴だったら、コーヒーだったら、硫酸だったら、媚薬だったら、地面に当たった瞬間に宝石になったり物体の性質を変えたり生き物の構造を変えたりしたら、あべこべに雨が地面から天にのぼる現象だったら、或いは水の星に住まう者たちにとっての雨とは砂利かもしれない、とすると、砂利が降った日だけは道ができて自由に歩き回れる世界になるかもしれない。
 こういう連想ゲームを延々とします。
 雨でダメだったら、雲で、それとも蜘蛛で、或いはタコ(足が多い生き物からの連想)で、イカで、海で、青で、顔面蒼白で、と題材を決めるときも連想ゲームで遊びます。
 この連想ゲームは、類推を用います。そのため、抽象化する能力の開拓に一役買うのでは、と個人的には妄想しています。
 類推するためには具体例を知っていなければならないので、同じく具体化の能力の向上にも繋がる気がします。
 そして連想したときに働かせた、何と何が似ていると感じたのか、の記憶は、じぶんなりの世界観を深めます。
 すると、物語を文字に変換するときにも、どの文字をどう配置すればよいのか、どの言葉とどの言葉が似ているのか、といった言葉の取捨選択の妙にも反映されるように思います。
 畢竟、言葉を並べる、という作業は、頭のなかのイメージと似ている箱(言葉)はどれだろう、どういう並びになると似るのだろう、との「類推と抽象化と具体化」のミックスした技術なのだと思うのです。
 となるとやはり、物語の種を閃くときに用いる連想ゲームは、ただそれだけで物語を文字に変換する技術力を高めるのに一役買うのではないか、といまはぼんやりと妄想しております。
 もちろんこれが創作の最適解ではありませんし、「おもしろい小説をつくる手法」でもありません。
 向き不向きもあると思います。ほかにももっと用いている技術や手法とて当然あります。
 あくまで個人的に言語化可能な、ザックリとした「郁菱万の物語」のつくり方のコツですので、そういう考えもあるな、程度に読み流してください。
 人には人に見合った型があります。じぶんの身体にしっくりとくる型を見つけられるとよいなぁ、と高望みしながら、いくひしさんは判子遊び、ともすれば文字の積み木遊びをしています。
 そのしっくり感も、時間経過にしたがい変化していくもののようにいまは考えております。(定かではありません)
(新作掌編:「摘まれる音がする」https://kakuyomu.jp/works/1177354054881060371/episodes/16816927859229404959


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参照:いくひ誌。【2884~2900】https://kakuyomu.jp/users/stand_ant_complex/news/16816452220755314648

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