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いくひ誌。【3091~3100】

※日々、愛されたいと思いながら、愛されていることに気づかない、本当はただただ愛し合いたいだけなのだ、愛するに値する誰かを夢想しているだけなのだ。


3091:【2021/07/18*マンマンマン】
やあやあ、いくひしさんでござる。お久しぶりでござるなぁ。いくひしさんは気づいてしまったでござるよ。ひょっとしていま、めっちゃ暑くないでござるか。おそとがおそとが、カンカンのテリテリでござらん? うでとかヒリヒリするでござる。おうちのなかで、ぐーだらぽんって、へめりへめりしているだけのいくひしさんのおうでが、ヒリヒリするでござる。空気さんも、ムンムンもわもわしていて、いくひしさんはいくひしさんは、もうもう、とけちゃうでござるよ。雪だるまさんでもないのに、とけちゃうでござる。そしたら、いくひしさんは、びしゃーってなって、しゅるしゅるしゅっわわーってなって、蒸発して、ふわふわして、雲さんになるでござる。腕とかいっぱい生えて、おめめもたくさんで、おちりから糸なんか吐いちゃって、ぷぷー、それは蜘蛛さんでござるよ。スパイダーさんでござる。いくひしさんは、ほんとうはいくびしまんでござるから、きっとスパイダーさんになったら、すぱいだーマンになるでござる。ぷぷー。とってもおもちろいでござる。いくひしさんはなろうと思ったら、ばっとマンにも、すーぱーマンにもなれるでござる。うるとらマンにも、あんぱんマンにもなれちゃうんでござるよ。なれちゃうんでござるか? 名前だけならなれちゃうでござる。名字を変えちゃえばいいんでござるよ。あやや。なんでござるか。スパイダーマンのスパイダーは名字じゃないんでござるか。バットマンのバットは名字じゃないんでござるか。スーパーもウルトラもアンパンもぜんぶ名字じゃないんでござるか。だめでござったー。いくひしさんはヒーローにはなれないんでござるよ。ヒーローさんたちとご結婚おめでとうございます、しても、ヒーローさんにはなれないんでござるよ。だいいち、いくひしさんはヒーローさんたちとご結婚おめでとうございます、ができるんでござるか? 名字さんを変えれたらヒーローさんになれるとして、いくひしさんはヒーローさんたちとご結婚おめでとうございます、できるんでござるか? できそうもないでござる。なれないでござる。ご無理でござる。到底不可能でござる。本当のことだからってなんでそんな哀しいことを言うでござるか。なかにはいくひしさんとご結婚おめでとうございます、したくなるヒーローさんもいるかもしれないでござるでしょ。ぷーくすくす、するのはやめてくださいでござる。惨めでござる。夢を見るだけならタダでござる。たとえばぶたさんとご結婚おめでとうございますをしたら、ぶたマンになれるでござるよ。ぶたさんはかわいいでござる。いくひしさんも、ぷひぷひ鳴くでござる。食べて、寝て、また食べて寝るでござる。得意でござるよ。相性がよさそうでござる。いくひしさんはきょうからいくびしまん改め、ぶたマンでござるよ。え、なんでござるか。ぶたさんがご遠慮したいと申しでているでござるか。お断りなんでござるか。そんなーでござる。ぶたマンになりたかったでござる。いくひしさんはぶたマンがだいすきでござるから、どうしてもぶたマンになりたいでござる。だめでござるか? あびゃー。ここまでしてもダメでござったでござる。もういいでござる。こうなったらいくひしさんはじぶんさんとご結婚おめでとうございます、をするでござる。じぶんさんは、またの名を、我さんでござる。いくひしさんはきょうから、我マンになるでござる。我マンでひとまず、我慢するでござるよ。うぷぷ。またおもちろいことを並べてしまったでござる。なんて自画自賛するなんて、いくひしさんてばほんとうに傲慢さんでござるな。あびゃびゃ。きょうはこれにて、おやすみなさいでござるー。


3093:【2021/07/18*変心】
(未推敲)
 朝起きたら巨大な虫になっていた話は、カフカの「変身」で有名だが、まさか似たような出来事が我が身に起きるとは夢にも思わない。
 朝起きたら蝶になっていた。
 大きさはそれこそ、人間の身体が蛹だったら、これくらいの蝶が羽化するだろうなぁ、という大きさで、端的にめっちゃでかい。現に布団のうえにはじぶんの身体が、抜け殻然と横たわっており、割れた背中から覗く内面は、どこかエイリアンの皮膚を連想する。
 カフカの小説通りの展開ならこのあとわたしは不遇な目に遭うはずなのだが、(つづきはこちら:https://kakuyomu.jp/works/1177354054881060371/episodes/16816452221432660736


3093:【2021/07/19*さぼってやる!】
おねむなのでねます!!!!(起きたら更新します)


3094:【2021/07/19*起きた!】
二日連続二時間以上ひなたぼっこしたら体力がごっそり減ってしまった。知らぬ間に夏になっておった。羽虫すら暑くて見当たらぬ。みな焼け死んでいるのだ(まがまがしい表現)。体力の消耗が激しくてとりあえず寝たら、足ツった。ふくらはぎが、ギギギギ、と悲鳴をあげた。でも眠気さんのほうが勝ってしまったらしく、アイタタタ、となりながらも、目が覚めると寝落ちするを繰り返した。気づいたら片足を柱に押しつけていた。赤ちゃんの寝相なみの大胆さだ。夏風邪をひいてしまわぬようにぽんぽんに薄地の掛布団をかけているのに、これもまた知らぬ間にはだけておって、いつからそんなに淫らになったんだい、くらいにおへちょ丸出しで寝ておる。いっぱい寝た。朝からピザ食べちゃう。バナナも食べちゃう。いっぱい寝たのでいっぱい食べちゃう。きょうもいちにち元気いっぱい、いくびしまん! ちゃんちゃらーん。みなさんも夏の暑さにも負けず、日差しにも負けず、それぞれの日々の苦悩にも負けずに、ときおりは負けつつ、休み休み、日々のささやかな楽しいの気持ちを、めいいっぱい噛みしめてまいりましょう。噛めば噛むほど味がでるビーフジャーキーが食べたくなってきた、朝イチのいくひしまんでした。願わくは、みんながみんなまいにちしあわせになって、いくひしさんがずっとなまけていられますよーに(よいひとふうなことを言いつつ、ものすごくぽんぽこりんな欲望を胸に、いっぱいなまけちゃう。他力本願の権化と呼んでいただきたい)。


3095:【2021/07/19*人裏の間隙】
(未推敲)
 大学の先輩から、それなんだ、と半笑いで指摘されて気づいた。首筋にファスナーがついている。引っ張ると鎖骨のほうに下がり、隙間が開いた。
 鏡越しになかを覗くと何もなく、どこかしら涼しい風が漏れる。怖くなったのでそのときは閉じたが、家に戻ってから脱衣所に駆けこみ、全裸になってもういちど確かめてみると、どうやら首筋に開いた間隙のさきには首の容積を遥かに超えた空間が広がっているらしいことが判った。
 というのも、櫛や歯ブラシを突っ込んでみてもどこにも突き当たることなく、虚空を掻くばかりで、試しに紐にくくった硬貨を差し入れてみると、どこまでもするすると引き込まれていった。重力が真横に働いているのか、紐はたゆむことなく、間隙に対して垂直に硬貨は吸いこまれていく。
 じぶんの身に何が起きたのかを考えるが、合理的な考えは浮かばない。病院にかかるべきか。しかし医師の診察を受けてどうなることとも思えない。インターネットで検索してみるが類似の事例は皆無であり、噂話や作り話ですらこの手の事象は見当たらなかった。
 一晩経ち、翌日も大学に向かう。
 ファスナーは首筋にあるが、(つづきはこちら:https://kakuyomu.jp/works/1177354054881060371/episodes/16816452221485104707


3096:【2021/07/20*万年ださださマン】
ひっさびさにフルーチェ(ピーチ味)食べたら美味しすぎて、あと十杯は食べたいになった。一袋分のフルーチェぜんぶ一人で食べた。ぜいたくすぎる。百均で二箱買っておいたからあと一袋分ある。うれしい。ほかのいくひしさんを見習って、帽子も百均で揃えることにした。でも二百円商品なのですこしだけ割高です。でもぜんぜん安すぎて、これで儲けがでているのか?と心配になる。書店さんが同じフロアにあるので、百均にいくときはいつも寄る。んみゃんみゃ因果が逆だったかもしれない。書店さんに行くついでに百均にも寄るのだ。五階にあるのだけれど、エスカレーターで下りるときに百均が目の前にあるので、ひょろひょろ、と吸い寄せられてしまう。よくできた罠である。三百円商品コーナーの電化製品はなかなか質がよさそうに見える。イヤホンもそうだし、腕時計もそうだ。イヤホンは年々質がよくなって見える。儲けがでているのだろうか、と同じことを思ってしまう。あとは、むかしはそうでもなかったのに、おしゃれな女の人が百均の店内にも多くてびっくりする。でもおしゃれな男の人はあまり見ないのはなんでだろう、といっしゅん疑問するけれども、そもそもその駅ビルが女性向けのお店ばかり入っている場所なので、必然女性のお客さんが多いだけかもしれない。それか、おしゃれの感性がズレすぎていて、目に入っても、おしゃれ認定できていないだけかもしれない。一流を見抜けるのが一流ならば、おしゃれさんを見抜けるのもまたおしゃれさんだけなのだ。いくひしさんは万年ださださマンなので、同じださださマンには反応できる。ださいひとのほうが落ち着くので、ださいほうが好きです。というか、以前から何度も似たようなことを並べているけれども、何かを批判するときにダサいを根拠に対象を低く評価する主張は基本、真面目に取り合わなくていいと思います(そういう意見もあるのね、で済ましてよいです)。ダサいのがよくないことだ、みたいな価値観は、あらゆる差別の混合概念のように感じられて、やんだくなっちゃうな。ダサいとは何かをもうすこし真面目に煮詰めて考えてみてもよいのではないか、と思います。どうしてダサいとダメなんでしょうね。見た目にしろ、行動の評価にしろ、けっきょく観測者にとって気に入らないときに、ダサい、と言っているだけな気がします。つまり、ちゃんと筋道立ててなぜよろしくないのかを論じられないときに、ダサいと言ってけなしているだけなのです。なんかわからんけど嫌いだ、の言い換えでしかないわけですね。だったらそう言えばよいのに、わざわざ相手を貶めて、ダサい、なんて言っちゃうところが、本当にダサくて、微笑ましいです。かわいい。いくひしさんもまた万年ださださマンなので、同じくかわいいのである。みんなかわいく、みんなかわいい(きょうもまた中身のない文章を並べてしまった)(刀を鞘に納める音)。


3097:【2021/07/20*行きすぎたコウイ】
(未推敲)
 大学の構内でたった一度すれ違っただけで恋に落ちた。立ち姿もそうだけれど、すれ違ったときの、夏の暑さも薄れるような爽やかな匂いが脳裏にこびりついて離れない。
 そのひとを見かけるたびに、出席している講義や、所属しているサークル、ゼミの教授や、年齢、名前と、すこしずつ情報を仕入れた。一学年下の後輩らしい。SNSで、さっそくアカウントを特定し、フォローせずに毎日眺めた。
 いくつかのSNSを使い分けていて、彼はこっそり日記もつけていた。もちろん僕はそれを眺めた。
 すこしずつ彼に気に入られる人格になろうと決意していた。
 大学のベンチで、もういちどすれ違えないだろうか、と待っているあいだに蟻をゆびで弾いて時間をつぶしたりした。ある日の日記に、蟻はかわいくて好き、とあり、家のなかに入り込んだ蟻を逃がしてあげた話が記されていたときには、じぶんとの違いにめまいがした。
 暇つぶしに蟻をゆびで弾いて遊ぶような僕ごときがお近づきになれるわけがない。なってよいはずもなかった。
 僕はじぶんを恥じた。
 変わろうと思った。蟻にすら慈愛をそそげる人間になる。
 僕はその日からいっそう、想い人の彼の言葉を、性格を、魂の痕跡すら逃さぬように、情報の海を凝視する日々を送った。
 好きな文学作品の名前が挙がれば、その作者の作品はもちろん、作品についての批評の数々にも目を通した。SNS上に溢れる有象無象の感想も軒並み漁った。
 音楽、映画、漫画、絵画、何を嫌い、何に怒り、何に不満を抱き、どのようにそれら毒を表現するのかを、一つ一つの文章から画像から丹念にコピーして分析を深めた。
 他者との交流にも目を配り、彼が誰と繋がり、なぜ交流を保っているのかも探った。
 本人が自覚していないだろう偏向にも気づいた。
 彼は身体が弱かったが、それゆえに精神の力強さは、肉体の希薄さを補って余りある生命力で漲っていた。だがそれを他者に見抜かれまいと、懸命に仮面を被っている。
 肉体の希薄さを擬態にして、この世のすべてを焼き尽くすような憎悪を内に秘め、隠し、潜め、装っている。見た目通りの弱い人間なのだと、彼は周囲を欺いている。
 そのことにどうやら本人は無自覚であるらしい。
 僕は、彼の好む人間の類型を知りたかったが、意図的にそうした情報を文章から排除しているようだった。アイドルの話題にもいっさい関心を向けていない。同性愛者なのか異性愛者なのかすら判断がつかなかった。
 意図してそういった、いわゆる常識的な判断基準で測られそうな事柄を伏せているのだ。
 冷徹なまでに賢い人間だった。
 彼こそが人間だった。
 或いは、肉体の内側には、誰にも見せていない別の人格がいるのかもしれないし、それはひょっとしたら女性性をつよく帯びている人格かもしれなかった。
 わからない。
 分析しようとすればするほど、彼の本質から遠ざかるようだった。知れば知るほど、彼のことが解らなくなる。
 好きな食べ物や、印象のよい人間の行動については殊の外つつみ隠さずに述懐するので、(つづきはこちら:https://kakuyomu.jp/works/1177354054881060371/episodes/16816452221513199450


3098:【2021/07/21*夏といえばなに?】
なんでさいきん創作の内訳が、ホラーや怪談が多いのかと申しますと、とくに理由はございません(つくれるものからつくるとこうなる)(ちなみにいちど並べてから消したんですけど、ないのであります、って言い方、ないのかあるのかどっちかにして!ってなりませんか。いくひしさんはなる。なりました)。強いて言うなら夏だからです(ほんとはもっとなごなごして、読後がさわやかだったり、悲しんでいるひとやがんばっているひとを勇気づける物語をつくってみたいのですが、これは元々つくれたためしがないので、諦めるしかないのです)(人の傷口に塩を塗るような毒じみた物語しかつむげなくて、でもだってしょうがないじゃんコソコソするから許して、ってなる)(毒にも薬にもなっていない可能性は?)(そういう事実からは目を背けるのが利口な生き方だと思います)(毒にも薬にもなっていないことの言い訳をしつつ、じぶんちょっと利口な生き方してんすよー、みたいにすかさずじぶんを持ち上げる天才)。


3099:【2021/07/21*概念としての】
死にたいわけじゃないけれど、人間をやめたい欲はけっこうむかしからずっとあるのではないか疑惑がさいきん浮上中というか、自覚しつつある。人間であることにうんざりすることが多いのだ。そう言えば、じぶんの手足を見て、おなかとかさすって、首筋とか、口のなかとか、毛穴とか、生殖器とかを眺めて、どうしてこんなぶにょぶにょで不気味な身体に宿っているのだろう、と感じることが多かった。幼いころはよく鏡を見て、口のなかを眺めるのが好きだった。ふしぎだったのだ。明らかに、じぶんのものとは思えないものが、じぶんのなかにある。歯もそうだし、舌の裏の唾液腺から伸びるビロビロだったり、瞼の裏側や、目じりの付け根のジュクジュクした部位や、喉の奥のエイリアンみたいな形状だったり、ともかく人間としての意識と、肉体としての現実が合致しない。同じじゃない。人々の語る人間というもののふわふわした概念と、肉体の歪さが、どうしても同じものとは思えないのだ。その点、絵はすごく安心する。影も好きだ。人間のシルエットはしっくりくる。ただ、歳を重ねるごとに、概念としての人間も、どんどん肉体のぶよぶよした歪な現実にちかづいていって、けっきょく人間なんていないんじゃないか、みたいなところを彷徨っていたのだけれど、それはそうじゃなく、どうやらそうしたぶよぶよの歪なものが人間であって、幼いころに覚えていた人間の概念のほうが間違いだったのだ。絵みたいなものだ。影みたいなものなのだ。だからいまは、人間をやめて、絵みたいな影みたいな、幼いころに見ていたここにはいない概念上の存在しない存在にちかづきたい。現実にちかづいた人間をやめたいのだ。きっとこういう願望みたいなのにも名前がついていて、けっこう一般的な欲求なのだろうな、ということも含めて、人間やめたいの思いが湧く。死にたいではないのだ。人間らしく生きたいのだ。でもこの世に概念としての人間なんていないのだ。みなぶよぶよの歪な肉体に宿って、どろどろのじゅくじゅくに腐っている。人によっては、腐敗か発酵かの違いくらいには、その性質が違うようだけれど、けっきょく腐っていることに変わりはない。人間などはいない。みなどろどろのじゅくじゅくであり、そのことからすら目を逸らして、人間でないことを忘れて、さも人間であるかのように振る舞っている。よく平気でいられるな、と思うけれども、そうせずには生きてはいかれないのだ。どうしてわざわざ存在しない人間なんてものをでっちあげたのだろう。まんまと刷り込まれてしまったではないか。いくひしさんは人間ではないのに、人間になりたくて、もがいている。でもそうやってもがいている者はすくなくて、もがかないことがさも人間であることの証であるかのように、誇示するでもなく誇示している。この世に人間など一人たりとも存在しない。人間であろうとするぶよぶよの歪などろどろのじゅくじゅくがあるばかりなのに、それを以ってみなは人間と呼ぶ。人間をやめたい。だが、現実は肉体を通じて人間であることを強制する。腐らずにはいられない。ぶよぶよの歪で、どろどろのじゅくじゅくでありつづけないことには、この生を維持してはいけないのだ。死にたくはない。しかし人間をやめたい。もしくは、かつて刷り込まれた概念としての人間でありたい。存在しない存在になりたい。それは滅びたい、とはまったく違う。死にたくはない。生きたいのである。人間とは何か。物語のなかにその答えがありそうでなく、物語のなかにも現実にだって人間は一人たりとも存在しない。人間はいない。人間なんていないのだ。では、この肉体に宿るぶよぶよの歪などろどろのぐじゅぐじゅは何なのだ。いったい私は何なのだ。私の幻視する人間なる存在しない存在とは何か。誰か教えて欲しい。なぜ存在しない存在をでっちあげ、それを以って、人間であると偽るのか。あなたは人間か。いいや違う。私は人間か。そんなわけがないのである。人間であろうとする獰猛で狡猾で下品で浅ましい、偽りを以って誠意と奢り高ぶる、我が儘な天邪鬼がいるばかりだ。人間であろうとするその瞬間、瞬間にしか現れない幻影、錯誤、或いは躊躇や罪悪そのものが人間なるものの根幹をなし、私と現実の境として機能し、輪郭を得るのかも分からない。人間は枷だ。我がままな天邪鬼を限定するための金型だ。誰がそれをつくるのか。誰もそれを知らぬのだ。知らぬ間にそれに魅せられ、頭から被り、いつの間にか逸脱して、いまなお金型の造形に留まっていると錯誤している。躊躇も罪悪もなく、我がままな天邪鬼を人間と呼び、偽りばかりささめきあっている。


3100:【2021/07/22*現実がすでにホラーかもしれない】
ホラーや怖い話でいま考えているのは、いわゆる恐怖の感情を喚起する舞台装置を使わずに、ホラーや怖い話がつくれないか、ということで、つまりおばけや超常現象や悪意や害意や狂気を用いずに、一見するとしあわせだし、うれしいし、楽しいお話なはずなのに、こわいと思わせる物語がつくれないだろうか、と考えている。でもそれってけっきょく現実であるのかもしれない、ともぼんやりと予感していて、いまある現実というものは、充分にホラーであり、こわい話なのだよな、ということで、もうもうこの現実を以って恐怖を感じない現代人の感性そのものがすでにホラーだな、と思わないでもないのだね。ハッキリ言ってしまうと、人間社会がホラーだよ。在るがままにそのままを抜き出して叙述すればそれがそんままホラーになってしまう。他方、人間には主観があるので、人間社会というものを俯瞰して見ることはできないし、体験できないし、認識できないので、そういうものがあるらしい、という虚像を以って、ぼんやりとじぶんの感じられる範囲の景色で、知った気になっている。じぶんの周りに有り触れている何の変哲もない日常そのものが、数多の地獄の恩恵によってもたらされていることすら、認識下におけずに、数多の地獄のなかで苦しむ者から見れば至福以外の何物でもない日常を以って、退屈だの劣悪だのと言っている現代人の感性そのものが、まず以ってホラーだな、と改めて思うのだ。もちろんそうして地獄に触れずに済む我々にとってすらの地獄を糧に、我々からすれば天国でしかない世界を築き、それを以って、退屈だ、もっと極楽を快楽を満足を寄越せ、と希求している者たちもあり、それをしてやはりこの世がすでにホラーなのだね。誰もが恐怖を感じなくなっているだけのことで。ただしこれはどこからどこを見るか、その視線の流れの方向によっては、人間社会は総じてハッピーエンドでもあり、至福であるとも言えるので、あくまで解釈の一つにすぎない点にはご留意ください。(けっきょく、何を見て、何を見ずにいて、何に注視し、何を意識下におくのか、の話になっていく)(そうしたなかで、なにゆえわざわざホラーや怖い話を生みだし、語り、残すのかについては、やはりここでも目のまえの地獄よりも地獄があるのだと知ることで、より効率よく目のまえの現実から目を逸らせる、という効能があるのみであるのかもしれず、或いは至福だと思っている平穏で退屈な日常そのものが地獄の片鱗をなしていることの自覚をもたらす触媒にもなり得るのかもしれない)(定かではない)(いつものように上記は妄言ですので、真に受けないでください)


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参照:いくひ誌。【1481~1490】https://kakuyomu.jp/users/stand_ant_complex/news/1177354054886540746

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