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いくひ誌。【2681~2690】

※日々、現実はまるで洪水で、つぎからつぎに取りこぼす。


2681:【というキャラ設定】
正直ね、正直言うと、キャラつくるの飽きてきた。僕ホントはこんなんじゃないんすよ。


2682:【四人で回してます】
私だってこんなんじゃないし、ていうかそろそろ一人で活動してますって設定やめたら? ムリない? ね。


2683:【慌ててるフリ】
わー! わー! なーんちゃって味噌です!!!


2684:【怒ってないよ】
クソ寒いからやめてくんない。結構本気てか割とマジで。


2685:【やかましい】
もっとやさしくがいい! こわいのやだ、ごめんなさいするからヨシヨシしてがいい!(電話でるときのやつ)(それはモシモシ)(いまの若い子それ言わんらしいよ)(えー!!!)


2686【失礼だからじゃない?】
なにかおもしろいことを並べたいのだけれど、いくひしさんは生きてきてこのかたおもしろいことを並べたことがないので、いかんともしがたい。んー。なんじゃろな。チャップリンの映画を観たらいいんじゃないかな。あ、あと! 好きなお歌を聴くのがよいと思う。いくひしさんはいま、とてもお気に入りの歌い手さんを発見してしまって、ツイキャスなるもので聴けるんじゃけど、暇さえあれば聴いています。ギターがおじょうずで、お声がお耳にやさしい方なのです。でも、たぶんあまりいくひしさんはこころよく思われていないので(と思いこんでいる時点でその方にとっていくひしさんがプラスの人物ではないことはたしかでしょう)、ズバリこの人です、とおすすめできないジレンマがあります。その歌い手さんは絵描きさんでもあってとてもすごく、多才な方なのです。有名ではないのですけれども、いくひしさんにとっては有名な音楽家の方々よりもいまはその方のお歌とおしゃべりをお耳にしゅるしゅるビーズ遊びみたいに通すのが日々の癒しの一つとなっております。その歌い手さんのオリジナルのお歌もとても好きだったのですが、気づいたら消えていました。いくひしさんのせいかもしれません。いっぱい聴きすぎちゃったかも。無言で聴きすぎちゃったかも。いくひしさんの好きすぎる気持ちが伝わっちゃったのかな、怖かったのかな、気持ちわるかったのかなぁっておい。否定できないからやめてくれ。よくある、よくあるー、じゃない。や、そう、よくあるんだよ、なんでかさ。そうそう、むかしからなんだけど、好きなひとに嫌われるんだよね。好かれないの。好きなひととほど距離があく。なんじゃろねこの呪い。え? 好きじゃないひとたちからも嫌われてる? ウッセー!!!


2687:【2020/04/15雑感】
公園に行った。バスのなかに人が乗るようになっていて、座席はだいたい埋まって見えた。電車も似たようなもので、立っている人が遠くからでもちらほら見えるくらいには乗車率が戻りつつあるようだ(立っているひとがいるのだから、座っているひとはもっといるだろうとの推測)。相関関係だろうけれども、日中の交通量はけっこう減った。夕方はさすがにもうすこし増える。ただ、これが季節や曜日の変化によるものか、それともほかの因子によるものかの判断はつかない。公園内では大学生くらいの若者たちの姿を見掛ける機会が減り、子どもたちの集団や子ども連れの女性の姿が多い。朝からぽかぽか陽気だったからか、グラウンドで遊ぶ子どもたちはこれまでで一番多かったかもしれない(大学生くらいの若者たちが減ったので、トータルでは減少している)。敷地面積に対して人数は少なく、マダラと言える。これまでを通して、シートを敷いて談笑しているのは若い女性に多いが、これも今日は一組しか見なかった。赤ちゃん連れの母親の姿が今日は一番多かった。お昼ならもっと多いのかもしれない。父親母親関係なく、親子で遊んでいる姿もまた増加傾向にある。これも季節柄かもしれないし、そうじゃないのかもしれない。帰路では、年配者の歩行者が増えたように感じた。交通機関を使わずに徒歩を選択するひとが増えたのかもしれないし、きょうに限った傾向かもしれない。道すがら目につくコンビニの駐車場はどれも満杯にちかかった。やっぱり自動車で移動するひとが増えたのかもしれない。田舎だからかな。飲食店の席は、そとから見える範囲から言えば六割方埋まっていた。これもここ数週間のなかでは多いほうだ。書店さんに寄ったら、これまで置いていなかったアルコール消毒のシュッシュが出入り口付近に設置されていた。手に振りかけようとしたら中身が空っぽだった。空になったら出しっぱなしにしないで仕舞ってしまったほうがよいと思う(お客さんの手形を幾重にも濃縮してさらに拡散しているだけなのでは?)。何だったら店頭に出さずともよい気がする。各自が手洗いを習慣づけるだけで充分なのではないだろうか(消毒液にしろマスクにしろ、予防全般に通じる話だが、そもそも体調不良でないひとならば、人混みに出向かないことと、手洗い、の二つを徹底するだけで充分な気がする。もっとも、マスクにしろ消毒液にしろ、それを身に着けることで安心できるのなら、それを生活に取り入れるのはそれなりに有効ではあるだろう。不安から体調を崩しては元も子もない。ただし、いまは医療機関に優先して供給したいのだろうから、使えば使うほど品不足に加担してしまっている実情は知っておいても損はないのではないか。また、危機感が足りないように見えるからといって、他人の行動を責めてもしょうがない。じぶんが予防をしっかりすればそれで充分だ。他人には他人の生活がある。過剰に恐怖を煽って他人の行動を制限しようとするのは、たとえその結果が好ましく映っても悪手だとの考えは持っていたほうがじぶんにとっても得となるはずだ。もちろん時と場合によっては、悪手だと判っていてもせざるを得なくなる局面もあるのだろう。そうならないように前以って行動を修正しておきたいものだ。いくひしさんが言えた口ではまったくないのだけれどね)。(雑感ですので何かの判断基準にはしないでください)


2688:【どうしてそんなにお声が大きいの?】
たとえば声が聞こえにくい人に言葉を伝えるとして、目のまえにほかの人がたくさんいるにもかかわらず拡声器を使って叫んでしまえば、たとえ声の聞こえにくい人に声が届いても、ほかの大多数の人たちは耳を塞いでしまう。その効果を期待して拡声器を使うのならよいけれど、そうでないのなら、声を大きくする利はそれほどないと言える。サイレンであるなら大音量であるほうが効果は高いが、だとしたら個人ではなく然るべき機関がその役割を担うほうが望ましい。情報の出し方がふにゃふにゃだったり、ギシャギシャだったりすると、やはりというべきか、声の聞こえにくい人に情報をハッキリ届けようとして善意から大声を出したくなるものなのかもしれない。(声の聞こえにくい人を揶揄する意図はありませんが、不適切な比喩になっているかもしれません。不快になられた方がいらっしゃいましたら、すみません。書き手の語彙力不足です)


2689:【気長にいきましょう】
しばらくしたらまた元の社会に戻るだろう、と思っているひとたちがすくなくないのでしょうか(数年待てばいいという話ではないはず。戻すのではなく、「いま」を基準に社会を適応させていくほうが合理的なのでは?)。もっと悲観的に考えておいたほうがよい気がします。とくに政府や世界機構(現在ある国際機構ではなく、これから発足されていくだろう機構を示す意味合いで、世界機構と記しておきますが)は、もっと最悪の事態を想定して、そうならないように外枠からの対策も(即時対応と同時に)打っていくのが最善手のように思います。とはいえマクロとミクロとでは考慮すべきリスクの桁が違ってきますので(どちらも突き詰めればじぶんの命が脅かされ兼ねない点では同じですが)、ここでは個々人の行動選択に限定して言及しましょう。何がよくて、何をすべきではないか。人混みに出向かないことはそうですが、では外出したらいけないのでしょうか。行き過ぎた禁止は他者の生活を抑圧します。都会などの人口密集地と地方の過疎地とでは、行動制限範囲が著しく異なるでしょう。他人と接触しないのであれば、外出制限を設ける必要がそもそもありません。極端な話、南極大陸で一人暮らしをしているひとはいくらでも外出して構わないわけです。「何を避けるべきか」は環境の差異にかかわらず共通しますが、行動選択の幅は大きく違ってきます。赤信号を渡るな、は共通のルールにできますが、信号機のない場所では守る道理がありません。ポストが赤いからといって立ち止まらずともよいのです(あべこべに信号機がないからといって自動車のまえに飛びだせば事故に遭う確率はあがるでしょう。信号機がなくとも左右の確認くらいはしたほうがよさそうですね)。また、行動の判断基準には緊急性が加わります。たとえば医療従事者とそうでない人物との行動選択の幅は自ずと違ってくるでしょう。言葉だけで判断せずに、なぜそれが制限されているのかを考えて、各々じぶんの行動の幅をそのつど判断していけるようになるとよいですね。いくらでも修正していけばよいのです。というよりも自ずと、そのような社会になっていくでしょう。ともあれ、どんな場合であっても法律上は、自由に歩き回ってよいはずです。ただ、自由に歩き回ってほしくないときに自由気ままに歩き回るひとが多すぎると、なんとかしてくれ、との声が高まって、出歩くな、との禁止を国がだせるようになってしまうかもしれません。禁止はなるべくすくないほうが窮屈でなくて好ましい気がします。(本文とは関係ないのですが、いくひしさんがたまに並べる「公園行ってきた」の文字を目にして、不快な気持ちになるようなら、けっこうにストレスが溜まってきていると思いますので、しばらくインターネットから離れて、好きな音楽でも聴きながら居眠りをするとよいのではないでしょうか)(あんぽんたんの戯言ですので真に受けないように注意してください。2020年4月15日のいくひしまんでした)


2690:【鍛練ではなく】
積み木遊びとか、粘土遊びとか、お絵描きとか、ブランコとか、いまはそういうのがしたいかも。


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参照:いくひ誌。【771~780】https://kakuyomu.jp/users/stand_ant_complex/news/1177354054884146983

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