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いくひ誌。【2671~2680】

※日々、じぶんのきもちがわからない、じぶんのことがわからない。


2671:【ワンコそばにいる2巻】
路田行(ろたいこ)さんのマンガ「ワンコそばにいる2巻」を買ってきました。書店さんに一冊だけ残っていて、よかったあった、と思ってかっさらってきました。いまいちばん手元にほしいマンガで、いわゆるいくひしさんイチオシのマンガとなっております。ワンコそばにいる、はろたいこさん初の単行本で、以前からSNSでろたいこさんの過去作を読んでいたイチ読者からすると、じつのところしょうじきな旨を打ち明けてしまえば、第一話を読んだときに、なぜこれなのだぁ、といったGOサインをだした担当編集者や編集部にぷんぷんしたきもちが湧きあがったものです。犬の魂が宿ってしまった二重人格じみた青年と孤独な女性のドタバタな物語なのですが、これを世に問うくらいなら、これまでのろたいこさんの短編をまとめて一冊にしてちょうだいよ、とパーカーのヒモをひっぱって頭からすっぽり梅干しみたいになってしまったのもいまではよい思い出です。いまはそんな過去などなかったかのように、ろたいこさんの驚異的な作家性とでも言いましょうか、たいへん楽しく何度も読み返しておりまして、作者のろたいこさんはもちろん、担当編集者さまや編集部さまには、よくぞよくぞ、と感謝感激あめあられでございます。SNSの感想で、ジャンルはラブコメだと書かれていたのを見て、ああこれはラブコメだったのか、と目からうろこが落ちるほどで(帯にも書いてあったみたいですね、いくひしさんは帯をすぐに本に挟んでしまうひとなので)、なるほどいくひしさんは本作をラブコメとして見做していなくて、ただただ主人公の咲山さんやスミタくんやほか登場人物たちが魅力的で、ころころ変わる感情のジェットコースターを眺めているだけで楽しいのです。あと、コマとコマとの飛躍の妙がすばらしく、とてもとてもすばらしく、文学だなぁ、とお手本にしたい技術がてんこもりな点も高評価な理由の一つです。「コミカル」なのはたしかにそうなのですが、ではこれが「コメディ」なのかというと、いくひしさんはこてんと小首をかしげてしまいます。もちろん声をあげて笑ってしまう箇所もすくなくないですし、おもしろいのはたしかなのですが、それよりもなんというか、コミカルでいてかわゆいのです。そう、かわゆい。もうこれがいちばんだいじな気がします。路田行(ろたいこ)さんのマンガは総じてかわゆいのです。愛らしい。手元に置いて、よちよちしたい。人間が愛おしく思えてくる、ふしぎなほどに! いくひしさんがいまもっとも手元に置いておきたいマンガは、「ワンコそばにいる」です。というよりも、ろたいこさんという作家さんの作家性にめろめろでございます。それからそれから、これがだいじなのですが、どうか出版社さんはこれまでのろたいこさんの短編を一冊か二冊か、もうなんでもよいので全部まとめて本にしてくださると、とてもとても、うんとうれしいかぎりでございます。よろしくおねがいいたします! なんてここに並べても誰も読んでないのであまり意味がないのだけれど。(以下、ろたいこさんのツイッターです:https://twitter.com/rotaico


2672:【2020/04/10雑感】
公園に散歩、今日も行った。お日さまてんてんの日だったのに風さんびゅーびゅーで寒かった。男の子と女の子の二人一組のひとたちがいつもより多くて、いくひしさんの行きつけのベンチのある空間がすこしだけいつもより賑やかだった。肩を寄せ合ってきゃっきゃうふふしている男女二人一組の姿を眺めながらパンを齧っていると、まん丸ふかふかのスズメさんたちが集まってきて、いくひしさんってばモテモテで困っちゃうなぁ、をした。でもいくひしさんはけちんぼなのでパンを独りでたいらげた。なんでぇい、とでも言いたげにスズメさんたちはそそくさと飛び去っていったのだった。肌寒い日だからなのかこれまででいちばんグランドにひとの姿がなく、心なし犬の散歩をしているひとたちの姿もすくなかった。自動車も気持ちすくなめに見えたけれども、帰るころには増えていて、電車やバスのなかにはあまりひとの姿が見えなかったので、やっぱり自動車を利用するひとが増えているのかな、と思った。あと、子どもたちはけっこう寄ってくるのに(威嚇して追い払うけれども)、おとなたちはいくひしさんを避ける傾向にあるな、と思った。気のせいじゃろか。肌寒いからなのか、コンビニはどこも扉を閉じていて、あべこべに着物屋さんや書店さんは扉を常時開放するようになっていた。あとはそう、たとえばだけども、これからの季節は、大雨や台風が増えてくる時期なので、もしそういう災害が起こったら例年よりもたいへんそうだなって。避難所だとか、非常食だとか、もちろん医療機関も、不測の事態に対処できるのか、その余裕をこれからつくっていけるのか、やや不安があるけれども、いくひしさんがどれだけ、うーん、うーん、としても何かが変わるわけではないので、それでいていくひしさんはいまのところ困ってはいないので、まあなんというか、世のなか不公平なのだなぁ、といま踏ん張っているひとたちや、これまでずっと人知れず耐えてきたひとたちに対して、漠然とした申しわけない気持ちを抱いてしまう。ただ、こうして申しわけない気持ちになることで、罪悪感を覚えることで、これにて帳消しにしてください、といった打算がまったくないとも言い切れないので、ほとほといくひしさんは人としてよろしくないなぁ、とまた卑下をして、心の安定を図るいくひしさんはやっぱり姑息で、非力で、益体なしの、考えぬ葦なのだなぁ。寝よ。


2673:【とはいえ】
いくひしさんはこのさき生きているかぎり高確率でたいへんな目に遭うと確定的なので、それでもって釣り合いがとれていると思って勘弁してほしい(人はいずれ死ぬ、みたいな考え方だなぁ。極端)。


2674:【カット】
きょうは散歩はナシや! 甘くておいちーいスイーツ、それは梨や! きょうはなんだか寒いので家でごろごろする日にする。さいきんはもうなんもしたくないので、なんもしてない。息もしてない。水も飲まない。さすがにそれは嘘やろ~と思ったでしょ。これがまあ、嘘なんだな。そりゃそうだ、当然だ、あまりに並べることないからってくだらん真似すんな、小賢しいわ横着すんなヒマワリ。読むひとが不快になるような口汚い言葉を並べるのはあんまりなんかこうなんて言うかな、はぁ、疲れた。うんまあそうね、言葉は人格に影響するなんて言いますから、ときおりお花の名前でも挿入してバランスをとってスミレ。子どもでも読める数学の雑学みたいなクイズみたいな本をパラパラとめくっているのだけれど、てんでわからんかんぷんで、いくひしさんの知能のお里が知れてしまいますな。コサインってなんだっけ。微分? 積分? いい気分? それはセブンイレブンやろ、どっ! てな具合にぐぅ垂れております。ぐぅは垂れるくらいなのだからきっと液体なのだろうね。なんとなくだけどネバネバしてそう。で、ぐぅぐぅになるとすこしだけトロミが薄れて、さらにそこからスヤスヤになるとさらさら透明な水になるみたいたなこんな妄想ばっかり浮かべてるだけで一日が過ぎていく生活、あまりにも贅沢すぎん? ぜんぜん関係ないけど、散歩すると雲を眺めちゃうんだけど、あのゆったりと巨大なモワモワが刻々とちまちまとカタチを変えていく姿がすごくなんだろう、脳の内側からじわぁと痺れるような感覚が湧いてくるの、そうそう木々が風に揺れて、葉や枝の細かな動きが全体の挙動を総体としてかたちづくっているのを、ぼぅっと眺めてるときにも似たような脳汁じわぁ、がある。あれ、一瞬じぶんの存在が消えてなくなる感じがして気持ちいい。お風呂に浸かったときに身体が溶けてなくなる感じにも似てるけど、それよりもっと、じわぁ、が薄くて、抵抗がなくて、世界と身体の輪郭の境がなくなっていく感じがして、やっぱり気持ちよい。でも意識してそうなろうとしてもなれないのが、なんでだろうっていつも思う。雲を見よう、木々を見よう、と思うのではなく、なんとなく目がいって、気づくとなってるのがよいというか、そうでないとならない。あの感覚、解かるひといるかな、と思って並べてみたけど、危ないひとみたいに読めちゃわない、だいじょうぶ? 一時期、飛蚊症もじぶんだけに見える危ないやつだと思って、びくびくしていた時期があったけど、案外みな視ている世界、体験している経験って同じなのかもしれないな。たんぽぽ、薔薇、チューリップ。違いのほうがすくないのだ。バナナ、リンゴ、スクワット。それは果物だし、最後ただの筋トレやん。わざとらしい、やめい。きょうはオチはなしや。これがホントのオチカット(それを言うならマスカット)。


2675:【バックアップ】
急速に社会は情報通信技術(ITインフラ)に依存するようになっていくと想像できる。ただ、それはそれでセキュリティやバックアップの面を同時に強化していかなければ不測の事態が起こるたびに社会システムが大きく揺らぐため、言い換えれば大停電や大規模通信障害が起こったときに、社会はいともたやすく経済を停滞させてしまうので、電波を介さない類の経済活動もまたバックアップの意味合いで淘汰しすぎないようにしていく方策は、これは都市設計の意味合いで不可欠な視点に思える。そもそもを言えば、いくひしさんは社会に電波通信が溢れれば溢れるほど、気候変動が進むと妄想している。これは因果関係というよりも相関関係で、つまり電波通信技術は発展すればするほど莫大なエネルギィを必要とするし、それを熱として放出してしまうだろうから、やはり気候変動は促される方向に進むのではないか、と疑問に思っている。もうすこし言えば、二酸化炭素やメタンなどの温室効果ガスを削減できたとしても、熱そのものが指数関数的に通信機器から放出されるようになるので、いま行っている温室効果ガス対策は効果がないわけではないが、解決策としては不十分に思える。ほかにも、資源問題とも相関しているだろうから、原発を廃止できたとしても、やはり何かしら新たに問題が生じるように思えてならない。おそらくそうなるだろう。たとえば一般家庭向けに販売された太陽光発電も、いまでは発電装置のメンテナンスや取り換えにお金がかかり、そもそもそれを行う業者が事業から撤退していて、にっちもさっちもいっていないという話を耳にする。また、太陽光発電は太陽光エネルギィに対する電力変換効率が低く、またその素材の廃棄物が土壌を汚染するとも聞いたことがある。もちろん技術が発展していけばそれら諸問題を解決することは可能だろうし、電力変換効率に関しては目覚ましい進展が報告されているといった記事も目にする。とはいえ、やはり一朝一夕とはいかず、どんな技術であれ、それを社会の基盤に組みこむには、原子力発電に対する懸念や議論と同じくらいの慎重さがあっても損はない気がしている。何にせよ、一つの手段に依存するのではなく、代替案を同時進行させる余裕があるうちに、いろいろと手探りで試行錯誤していくしかないのだろう。特定の分野や企業だけを支援したり、一番になることだけが何よりも優先されるといった価値観は、それはそれで競争原理の有効性があるにしても、それだけに頼るのは、破滅の道につづいていると言えるのではないだろうか。一番になることと何かを新たに生むことは、双方共に価値があり、比べられるようなものではなく、ゆえにどちらも社会の発展には不可欠であり、それら土壌を耕していかねばならないのだろう。とはいえ、社会が発展しないと困るのは次世代を生きる者たちであるので、いまを生きる者たちにとっては、いまさえよければそれでよいのだろうね。そうは言っても、その「いま」の在り方がよくなかったのかも、と可視化されつつあるので、なんともはや、知らぬが仏の社会だったのだ。それはそれでやっていけたのだし、発展してきたのもたしかなので、よい点はよい点として評価していきたいけれども、それにしたってもっとよくできるはず。そうじゃない?


2676:【あーだこーだ】
人生をゲームとして捉えれば、他人を責めることも、他人を蹴落とすことも、出し抜くことも、騙すことも、虐げることも、ぜんぶ駆け引きとして解釈できるので、あまり気を病まずに済むのだろうけれど(つまりどんどん攻撃の手を間接的にして、因果関係をぼやかして、それでいて邪魔者を排除できれば勝てる確率があがるので)、人生をたったひとつのかけがえのないもの、宝物、のようなものとして捉えてしまうと、他者の宝物を傷つけないように、との自制が働くので、人生を尊いものとして考えれば考えるほどに、たぶん、誰かの何かに作用し、損なうことに臆病になってしまうのだろうね。でもというか、だからこそというか、ゲーム感覚のさきに待ち受けるのは殺し合いだし、戦争なのだよね。ゲームは何度もやり直しのきくことだけにしておきたいものだ。(勝ちつづける者だけが何度もやり直せてしまうバグが生じるので、この理屈もあまり説得力はないのだけれどね。要するに、殺されても文句は言うなよ、の世界になってしまうのだ。殺伐)。(言い換えるなら、ゲームとは、何度でもやり直せる仕組みを揃えた闘争の舞台と言えよう)(いま思いついたのだけれど、むかしからゲームが苦手で、それはルールを守るのが苦手だからだと思っていた。ひょっとしたらそれは、勝てばいいのだから相手を殺せばそれがいちばん手っ取りばやくない?とどうしても考えてしまう己が浅薄ゆえからかもしれないと気づいて、じぶんでじぶんに失望してしまった。ねえ気づいて、人を殺しても勝ったことにはならないって)(ああでも、究極的には生存競争には勝っているわけだから、それもまたある一面では勝ちなのだ。ただ、人生はゲームではないので、単に人殺しでしかないのだけれど。人を殺すまではいかないにしても、そういう命のやりとり、人生のやりとり、いちどきりの闘争って、世のなかにすくなくない気がしませんか? するならせめてゲームの上だけにしましょう。すくなくとも人生はゲームではないので。たとえゲームと解釈することができたとしてもね。解釈は解釈であって事象それそのものではないもの)(多様性の視点はどこに行ったのですか?)(ゲーム感覚で人生を謳歌する者ほど勝者になりやすいけれど、同時に加速度的に淘汰圧が加わるので、裾野は狭まり、あべこべにゲーム感覚でない相互幇助の精神で生きている者たちのぬるい舞台が広がりつづけ、一部の勝者よりもその影響力を増したとき、ゲーム感覚で生きていた者たちは、己がゲームの理屈に食い殺される。まっさらな平原には束の間の平穏がもたらされるが、そこに一匹でも狼がまぎれこめば、ふたたびゲーム感覚で他者を食い物とする者たちが強者の顔をして狩りをはじめる。じぶんが狩られつづけるまで、じぶんでじぶんの首を絞めるまで、それはつづき、さらにいずれの舞台ともが消えるまで、この繰り返しは、さざなみのごとく反復するのだろう。この不毛、どうにかできないものでしょうか)


2677:【直したらよくなる、は幻想】
ここ数日で、二名の小説家さんの「初稿」と「改稿後」の文章を目にする機会が(主にSNSで)あった。いくひしさんの目がおかしいだけなのだろうけれど、どちらとも「初稿」のほうがおもしろく読めてしまい、あれー、と眉間にしわが寄ってしまった。これはいくひしさんの感覚でしかないのだけれど、全部書き直してしまったら、何も直してないのと一緒だと思う(これに気づくのに数年を要した)。また、通常は改稿した場合、元の文章よりも文字数はすくなくなるはずだ。そう、書き直すくらいなら削るほうにチカラを入れたほうがよい気がするのだけれど、小説つくるのがドヘタクソないくひしさんが言っても説得力がないので、各々、やりたいようにやっていくのが一番なのだろう。でも、初稿のチカラを舐めないほうがよいと思う。書き直すのなら、それこそ物語の筋から練り直すくらいでないと全文を直す意味がない気がするが、いかがだろう(気がするだけなので実際のところがどうなのかは分からない。時と場合によるのかな)。(直してよくなることもあるし、ならないときもある、くらいが妥当な考えではないでしょうか)


2678:【食い意地】
きょうは雨がぴんぴんの日だった。いつもより気持ちつよめに料理しよっかなと思って材料何かあるかな、と漁っていたら、ジャガイモの詰まった段ボールがでてきて、というか段ボールを覗いたらジャガイモが詰まっていたのだけれど、ジャガイモからはどれも芽がでていて、その芽がなんともイソギンチャクじみていて、触手じみていて、なんだかとっても不気味で、いやーーー! となってしまった。洗いがてら指で芽をボロボロとっていったら、けっこう感触がよくて、独りでおもしろくなっちゃった。ジャガイモと玉ねぎとソーセージを炒めて、チーズをかけて、ごはんといっしょに食べるをした。味付けは胡椒だけだったけれども美味しかった。さいきん夜中に、バターとハチミツたぁーぷりのホットケーキを食べてしまっているので、贅沢な日々だ。身体を鍛えたほうがよいかと思って腹筋をしようとしたのに、背中を床につけて、ころんとなったらもう身動きがとれなくなってしまって、そのまま膝を抱えてゆりかごゴッコをした。けっこうそれだけでもぜぇぜぇ息があがったので、ホットケーキの分はこれにて相殺したことにする。


2679:【ぐでぐで】
雨つづきなので公園に寄るのはナシや! カレーにぴったりのモチモチぺったんこ、それはナンや! あしたこそは公園に行きたい。じつを言うと、いくひしさん、こう見えてアウトドア派なんですよ。引きこもりではあるのじゃが、アウトドア派なんでございますよ。ちいちゃいころはよくどんぐり拾ってた。トカゲ見て、うぎゃー、してた。カエル触って泣いてた。犬に追いかけられておちっこちびってた。おそと、サイアクだよね。引きこもって正解だと思う。アウトドア派というか、アウト!ドア派!でございまして、まあまあドアのあるところじゃなきゃイヤじゃイヤじゃ、おそと? てやんでぇい! みたいなね。きのうは腹筋九百回やって腕立て伏せ二百回やった。うそでした。もはや何回やったらすごいのかすら分からなくて、腹筋と腕立て伏せ、どっちがキツいのかもよく分からん。気持ち、腹筋のほうが楽に思える。床に転がってごろごろしてればええんやろ。え、ちがう? ちがっちゃたかー、まあいっか。ホットケーキにミカンの果肉をどっさり入れて焼いて、ハチミツたぁーっぷりの代わりに練乳たぁーっぷりかけたらおいちかった。きょうはバナナ入れちゃおー(白目剥いてる絵文字)。


2680:【目がぱちー】
文章楽しく読めなくなってた期間が終わって、きょうから読書楽しい期間に入ったので、また楽しんじゃう(楽しんじゃうは、楽に死んじゃうの略ではない)。


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参照:いくひ誌。【491~500】https://kakuyomu.jp/users/stand_ant_complex/news/1177354054883180504

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